第233話:激情
その衝動に身を任せてしまいたい。
任せてしまえばまた俺はあの時へと戻るのだろう。
だがその時にも目の前にいるのはこの男なのだから、俺はどこまでこの男に縛られているのかと思う。
縛る。
その言葉がまさにこの男の名前であり、この男を世界的に現す言葉であると思うと、笑いしか込み上げてこない。
殺そう。
やはり殺してしまおう。
できないのか。
いやできるはずだ。
出来ないはずがない。
今の俺は、『焔の主』とも対等に戦えるまでには強くなっているのだから。
伊達にやり直しを何度も経験し、経験を積み続けてきたわけではない。
夢筒縛の力もある程度使える。
それを知らないこの男が、自分の代名詞『人喰い』を目の前で使われたら、それを自分が受けることになったら。
こいつはどう思うのだろうか。
……面白い。愉快だ。
なあ。
だったら今すぐ、そうしてしまおう。
いや、万全を期すなら、やり直すべきか。
『焔の主』とは何度も殺りあった。
だからこそ、俺は戦うことができた。
そういえばこいつとはしっかり戦ったことがない。
ならば戦えるようにやり直せばいい。
そうだ。
なぜそんなことに気づかなかった。
やり直せば目の前にいるではないか。
俺が殺したいコレが。
卑怯と罵られようがなんといわれようが、自由な裏世界だ。
いきなり襲い掛かって殺してしまってもいいのではないか。
そうだ。
そうしよう。
であればこの型式はそのように変えるべきだ。
次のやり直しで終わるように。
創り変えれば俺はやり直すこともない。
いや、もしものためにやり直せばいいか。
もしかしたら俺がアレに返り討ちにあうかもしれない。
まだ力を隠しているかもしれない。
だったら、何度も何度もやり直せばいいんだ。
目の前にいるのだからいくらでも何度もでも。
アレと戦うことができて、アレを殺し続けることもできる。
この詰んだ世界をまたやり直す?
『縛の主』夢筒縛が支配する人の尊厳のない終わった世界から、誰もが自由である世界へと改変するために?
何を言っているのかと。
そんなことが理由なわけがない。
俺が。
俺が気に入らないからだ。
俺が俺の手であいつを殺したいからだ。
俺の、俺だけの、ただの欲望だ。
俺がそんな世界を認めないからだ。
あいつが支配して、我が物顔で生き続けている世界が。
俺が許せないから――
「――いっくん! 中入ってっ!」
ダメだ。
視界に入れては。
チヨが俺に飛びついてくる。
チヨの接触により俺の体は宙に浮き、開きかけていた扉の奥、『苗床のゆりかご』へと放り込まれていく。
生声だけでこれだ。
チヨの声でなんとか持ち直したが、もし見ていたら、少しでも視界に入っていたら。
確実に俺は、飛んでいた。
俺自身が。
自分の型式を。
やり直しの型式を侮っていた。
怒りで自分でも何を考えていたのかと思うほどに矛盾したことを考え続けていた。
誰が誰を殺せる? やり直せばなんとかなる?
なるわけない。
やり直した先で襲い掛かって倒されればまたその場からやり直しはできるかもしれない。
だが、やり直したらまたこの怒りは蓄積されるのだ。
結局はすぐにやり直した先にいる夢筒縛を見ただけでやり直しの型式が発動する状態となってしまい、今度こそ抜け出せなくなってしまうだろう。
それこそチヨという防波堤さえ意味を為さなくなってしまうほどに。
怒りに溢れたこの力は、俺の夢筒縛への怒りを蓄え、今もやり直す機会を伺っている。
今か今かと、俺を巻き戻そうとする。
やり直すための型式なのだから、当たり前だ。
もしかしたらこの型式が俺を巻き戻すために今の状況を作り出したのかと思える程に。
チヨの優しくも鋭いタックルで地面に打ちつけられて我に返った俺は、目の前のない乳をどかしながらすぐに扉の先を見た。
アレをみたいわけではない。
そこにアレがいたのであれば、俺はすぐにその行動に移らなければならないが、そこにもしアレがいたら、移れるわけがないのだからそこで終わりだ。
だがその時間がどれだけあるのか、扉を閉めることで少しは時間を稼げるだろうかと、すぐに目的の冬の元へと動こうと、様々な考えを脳に巡らせながら扉を見た。
その扉を見た視界に入ったのは、背中だ。
『先ほど万代さんが言っていたことから推測すると、貴方は、会うのは危険。しかも、見るだけでも危険という認識で合っていたようですね』
それは機械の体。
メイド――枢機卿の背中だ。
枢機卿がゆっくりと背中から細長くて黒い棍を取り出すと、どすんっと猛将のように地面へと突き立てて向こう側を威嚇する。
『冬に会えないのは残念ですが、ここを護るのは私くらいしかいないでしょう?』
こちらを横目で伺う彼女が、部屋の奥をちらりと見た気がした。
ダメだ。
これは最も正しい正解には行き着けない。
ダメなんだ。
その正解の一つが扉の前に立ち、俺の視界と行く手を遮る。
行く手を遮るのは、俺達を、ではなく、その先にいるはずの相手。
そのおかげで俺は今もまだ残っていられるが、これは悪手だ。
三つのうちの重要なもの。
枢機卿を、やり直しの先へ、連れて行けなくなる。
狂う。
狂って行く。
ただでさえ、不確定な要素が出始めているこの状況に。
そしてこれから俺が行うやり直しの型式に、複数人と必要な物を持っていくという不確定なやり直しの先に。
俺の計画が、狂って行く。
少なくなったから不確定要素が減るというわけではない。
必要なものだからこそ不確定でも持っていく必要があったから三つだけなのだ。
『……貴方が行おうとしていることに、私は恐らく必要ありませんよ』
「な、何を……」
『貴方に必要なのは協力者。それであればやはり、冬と許可証がもっとも必要なのですよ』
扉がゆっくりと、枢機卿の手により閉まっていく。
「まっ……ま――」
『私の機能は、別に冬の枢機卿である私ではなくても、本体でも、貴方が向かう先にいる私でも、事足りるでしょう?』
扉が閉まりかけ、小さくなったその声。
ばたんっと、閉まった扉が、辺りに落としたのは、沈黙だ。
「だから……これを知っているお前がいなければ、これらを理解してもらえないだろうっ!」
俺の叫びは、空しく扉の向こう側へ聞こえることはなく。
冬だけではダメなんだ。
冬と、それを理解し状況を説明し、辺りに撒き散らすことが出来て、周りに信用を持って公開でき、俺のことを敵と見定めていない、お前が。
このやり直す前のこの世界線で、俺を少なからず敵と認識せずに交友を持つことが出来た、枢機卿という存在が、このやり直す先に、必要なのだ。
ずぅんっと、うっすらと重低音が扉の先から聞こえる。
揺れる。
ぱらぱらと、部屋の天井や壁が衝撃で一部の壁が揺れて埃や細かな塵を零した。
定期的に音とともに衝撃で揺れるそれらは、扉の向こう側で枢機卿がアレを必死に押さえ込んでいる証拠でもある。
だがそれらは、扉が閉まった先へと向かってしまい、届かなくなってしまったことも示す。
俺がやり直しの先へと持っていくべきものが。
一つ。
失われた。
そして、ぱきりと。
何かを踏みしめて割れたような音が、部屋の中から聞こえた。
枢機卿がちらりと見た先。
そこに枢機卿が一目求める彼がいたのか、見ることが出来たのかは分からない。
なぜならこの部屋はとにかく暗い。
『苗床』の水無月スズの意志を奪うために、光さえも最低限しか当てていないこの部屋は、扉が閉まれば通路からの光が遮られてより一層暗くなる。
だから、そこにいたそれを、みることが出来たのか、まだ扉が開いていたからもしかしたらその光で見えたのかもしれない。
せめて俺たちのために、俺の目的のために扉の先で戦うことを選んでくれた枢機卿に、そうあって欲しいと、思わずには、いられない。
「……冬」
俺は、そこにいた、彼の名を、呼んだ。




