第168話:大きな大きな樹の下で 5
振り向いた先にいた友人がなぜそんなことになっているのか。
何でそんな状況になっているのか理解できない松は、戦うことさえ忘れて冬にツッコミを入れるしかなかった。
その大声は、辺りの殺し屋や所持者達も一瞬動きを止めてしまう程で。
だからこそ。その大声の元凶に視線は集中し、殺し屋達は畏怖のあまり一時的に戦いをやめて世界樹の前へと撤退した。
松が振り向いた先にいたのは、冬だけではない。
数としては限りなく少ない人数ではあるが、『個』としては警戒すべき相手がいるからである。
まさに、仕切り直しであった。
「戦乙女。戦況は?」
殺し屋達が警戒心をもつべき相手。
冬を今のこの状況に似つかわしくない体勢で持つ張本人――B級殺人許可証所持者『水原』こと水原姫。裏世界でも名を馳せる『鎖姫』が、今の状況に参戦してくれ、より許可証所持者達はこの戦いが有利になったと思えた。
「ん~。ちょっと厳しいかもねー」
「……ああ、なるほど」
姫は雫のその言葉だけで状況を理解する。
世界樹の奥。そのくり貫かれた黒い穴。
そこに残存している殺し屋達が終結し、改めて戦いの火蓋を落とそうとしている姿を見たからではなさそうであった。
「まだまだ戦力はあるということですね。むしろ、本隊はまだ中に、と言った辺りでしょうか」
そこにまだ何かしらが残っていると匂わせる姫に、冬も枢機卿も、まだまだ増える敵に緊張感を高めた。
そんな二人を、姫はくすりと笑う。
「……枢機卿、冬。ここから先は貴方達だけで進みなさい」
「……え?」
『なぜです? ここを殲滅させてから先に進んだほうが安全では?』
枢機卿の言うことは正しかった。
世界樹の中に敵がいることを匂わせるのであれば、尚更数が必要であり、この巨大な大樹の中がどうなっているか分からないからだ。
いくら世界樹の内部構造を枢機卿本体が知っていて道案内ができるとはいえ、そこは『縛の主』の本拠地である。
「そう、できない理由もあるのですよ。あまり時間もないようですから行きなさい。裏手のほうに向かうと、もう一つ入り口があるはずですよ」
『しかし……』
「なら、戦乙女とそばかすも付いていきなさい」
「「はぁ!?」」
そう言うと、姫は、名残惜しそうに――いや、正しくはぽいっと捨てるようにではあるのだが――冬を枢機卿に投げ渡した。
まるでボールのように投げられた冬を、今度は枢機卿が抱きしめ受け止める。
「や、やっと――っ!?」
『ふふふ……やっと捕まえましたよ。冬』
お姫様抱っこから解放される。
そう思った冬を、またお姫様抱っこしホールドする枢機卿に。
歓喜に震えて離してくれない枢機卿に。
ああ。僕はもう、地面に足をつけられないのではないでしょうか。
と、絶望感が冬に襲い掛かってきたのは、言うまでもない。
「さ、いきなさい」
「いや、でも、ひめ姉。それだと……」
「いいから。……実は、言ってみたい言葉があったのをつい思い出しまして、丁度使いたいのですよ」
瑠璃や和美、美保のように、知らないところで失っていたなんてことは冬にはもう耐えられそうにもなかったが、だからといって見ているその場で失いたくないとも思う。
そんな感情から来る、共に戦って先に進みたいという提案でもあったのだが、姫は唐突に、まさに今思い出したかのような一言を発した。
「ここは私に任せて、先に行け、でしたか?」
それ、死亡フラグでは……?
そんな死に怯えを感じ出した冬から、そんなことを姫には言えず。それこそ、先の仲間の死が冬の脳裏によぎって、共に戦いたいと強く思ってしまう。
「それ死亡フラグやで。どっちゃかって言うと、一人で敵を相手にするときにいうもんやから、今使うところでもないかもしれへんな。使い方間違えると変なるで」
「ふむ。なるほど、難しいですね。ではこのような時は、どんな言葉を使うといいですか?」
「……ぃやぁ……先に進ませようとする言葉やんか。今の状況ならどれも死亡フラグにならへんかな。敵を前にしとるし、話的に更に敵おるんやろ? ほな死亡フラグの回収になるでこれ。いやまあ、さっきのでもええんやけどな」
「あ~、律儀にまともなツッコミ入れる旦那様も素敵よ~」
ただ、その仲間の死を払拭するかのように矢継ぎ早の松のツッコミに、
「ま、あんさんなら余裕でこの辺りの相手を殲滅しながら無傷で先に行くわいらに追いつけそうやけど。――あ、これも死亡フラグの畳みかけやな」
姫が強いということを知っているからこそ、松の言葉が理解できた。とはいえ、先の戦いにおいて、姫でさえ勝てない敵もいることを知った冬としては、やはり心配であった。
だが、なんだか妙に納得できる松の言葉に、冬は、姫が打ち出した死亡フラグも、松がそうやって軽くいなしていくことで心の中で薄れていくことを感じた。
松の言葉には妙な信頼感がある。
聞いていて楽しい。面白い。そう感じて、周りも自分も、松とすぐに仲良くなれるのだと、思い至る。
「死ぬつもりもなければ、この程度の敵、どうとでもないので貴方達が邪魔なだけではありますが」
「ぅぉ!? ちょっと予想してなかった斜め上の話に驚きしかないでっ!」
「死ぬ確率高いのは貴方達で、私はその気になれば御主人様の元へ逃げればいいだけですし」
「その御主人様近くにおらんやん」
「呼べばすぐに来ますよ? 呼びます?」
「いやぁ……そんなどこぞの忠犬じゃないんやから」
「犬……あぁ……御主人様を犬扱いして楽しむのもいいですね」
「犬……扱い……え……水原君、を?」
水原君。ごめんなさい。
変な世界を開いちゃったかもしれません。
いえ、むしろ、開こうとしているかもしれません。
なんてことを、気づけば脳裏に過ぎらせる程には、冬もリラックスできてしまっていて。
「安心しなさい、冬。すでに開発済みです」
そんな同級生への憐れみとそれを開かせてしまった複雑な気持ちを心を読むかのように言い当てられてびくっとする。
だが、そんな読まれて返されたその回答に。
「え、開発、済?」
「ええ。開発済です。愛人ですよ? 私」
「開発済みとその愛人って辺りは関係なくないですかねっ!?」
そんな同級生のコアな部分を知ってしまって、目の前にかなりの敵数がいる今の状況を無視した会話に、気づけば死亡フラグのことさえ忘れて、会話を楽しんでしまっていた。
姫なら、この場に残って、ここでこの敵を足止め、倒すことができると。
そんな淡い期待を想い。
そこには、この中で自分が最も弱く、最も戦えないという想いはどこにもなく。
誰よりも死にそうだからこそ、周りが助けてくれているという部分は冬にはなかった。
その冬の勘違い、そして彼等の勘違いが――後に、響いていく。
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――この楽しかった時に、戻りたい。




