第165話:大きな大きな樹の下で 2
「なぜ……瑠璃、君が……?」
思わずフリーズしてしまう程の衝撃。
冬が搾り出した震える声は、改めての疑問の声だった。
瑠璃君が?
あの、僕等の中でも一番強かった彼が?
何で? 誰に?
一気に駆け巡るその感情を抑えきれない。
『……どうやら相手は、あの『焔の主』。刃渡焔のようですね』
『焔の主』。
刃渡焔。
冬はその男に一度だけ会っている。
そして、それを思い出した場所はつい先程だ。
「まさか……」
あの場所で?
そんな疑問はすぐに確信に。
「お、降ろしてください。ひめ姉!」
結果だからこそ、すでに終わった話だとは冬も分かっていた。
分かっていたが、それでも、二人を信じないわけではないが、その結果を「はいそうです」と、信じることはできなかった。
すぐに、姫のお姫様抱っこを解こうと暴れ――
「……無駄ですよ」
――られなかった。
「……ぬ……抜け出せない……!?」
「知っていますか? 貴方が私に抱きしめられているこの体勢。これはお姫様抱っこと呼ばれる以前より存在していた、古の、人をホールドするための技術ということを」
なぜこんな状況で『なぜなに姫様講座』が始まるのかと、冬は別の意味で驚愕し、共に、お姫様抱っこというのはこうも抜け出すことが不可能なのかと、冬は暴れることさえ許されず、慄くことしかできなかった。
身動きが取れない状況に、驚愕に彩られる冬の表情を覗き込むように姫が見つめ、「ふふっ」と妖艶な笑みを浮かべる。
普段近くでその絶世の微笑を浮かべられれば思わず頬を赤らめてこちらが目を離してしまうかもしれない。それこそ、見とれてしまうかもしれない。
だが、がっちりホールドされているこの状況では、その妖艶な微笑は、命を握られているかのような言いようもない不安を掻き立てられる。
「可愛い可愛い、私の弟。抜け出そうとする様も可愛いですね」
『……鎖姫。いい加減、私と交代しませんか?』
実際は、そのようなことはなく。
ただの慈しみに溢れた微笑ではあるのだが、動けない状況、聞かされた友人の死、そして、焦りが生まれながらも動けないジレンマに、そう思ってしまったのは仕方のないことなのかもしれない。
だが、確実に言えることは。
「そんな技術、聞いたことありませんよっ!?」
「おや、意外と冷静ですね」
『冬。そこまで壮大なものではありませんよ。……ただ、普段このように長時間そのような体勢にされることはないですし、そのように捉えたことはないので、言われてみれば、逃げ出せないようにするには丁度いい体勢かもしれませんね……』
和美と美保が亡くなっていたことを知ってあそこまで怒りを露にしたのに、もうすでに忘れたかのように態度を変えた枢機卿。
先程とは打って変わって、冷静に今の冬の状況を分析しだした枢機卿に、「ころころと変わりすぎではないか」と思わずにはいられない。
『……冬。今は悲しむ時ではないとのことで。本体が不必要な感情を凍結させたので悲しみは感じられないのですよ』
枢機卿が驚く冬に簡潔に答えた。
枢機卿の本体が動き、そしてリンクしあうということはそのようなことができるのかと驚いた。
それが、見た目は人のようでも、機械――人工知能だからなのかと思うと冬の心に悲しみが溢れ、殺人許可証所持者の立場からすると、そうであることが正しいとさえ思えてしまい羨ましく。冬自身も、知った情報に情緒不安定となっていた。このような時は確かに枢機卿のように心を凍結できればこれからの仕事に支障はないのかもしれないと思うほどには影響が出ていた。
「……泣けない、泣かないという意志もまた、辛いものですね」
『冬も……お互いに、ですね』
そう言うと、枢機卿は慈しみをもって冬の髪を梳くように撫でる。
優しさと哀しさが籠ったその触れ合いに、少しだけ冬も落ち着きを取り戻す。
「……僕達が通り過ぎてきたあの場所で。瑠璃君は戦っていたのですね」
『どうやら、私達が通り過ぎる頃には決着は着いていたようです』
「……手遅れ、だったと……?」
「例えあの場でガンマと会っていたとしても、何も出来なかったでしょうね。……看取れないことが幸せとは言いませんが、文字だけの情報で知ったのは、今はまだよかったのかもしれません」
冬は姫の言葉に冷たさを感じながらも反論はできなかった。
文字だけであったから、まだ現実味がないのだろうと思う。
初めて裏世界で出会った友達。
共に約束しあった友達の一人。
松と瑠璃と冬で誓った、家族を探し出すという協力。
探しながら裏世界に関わってきたこの一年の間でお互いに育まれた友情。
それらが無駄になったような気もして、冬はまた寂しくなった。
「……瑠璃君との、約束……。一緒に探して、やり遂げたかったです」
冬は家族である姉を見つけることができ、話すこともできた。
だが、瑠璃はどうだったのであろうか。
「……冬。貴方、気づいていないのですか?」
「え?」
姫の驚きに、何を言われているのか理解ができない。
「貴方はすでに、ガンマの兄に会っていますよ?」
「……え?」
『A級殺人許可証所持者『紅蓮』。青柳弓ですよ』
「し、師匠が!? あ、でも、言われてみれば。あれ? まさかあの伝言って……」
考えてみれば、弓と瑠璃の共通点は多い。
雰囲気も、瞳の色も、話し方等も似ている。
誰よりも底の知れない強さだって。
「最後を看取り、この情報を報告したのは、紅蓮ですね。二人は会えましたよ」
「は……ははっ……」
瑠璃君の最後が一人じゃなかった。
探していた兄と最後に出会うことができた。
よかった。
最後の最後で兄に会えたのなら……。
だけども、自分が気づいていればもっと早くに出会えたのではないかと思うとまた辛く。
この結果は変わることはなかったのだろう。
自分がいたからといって何かが変わったわけでもないのであれば、自分がこれから先に起こすべき結果で報いればいい。
だから今は、意識を変える。
変えて、この先にある、世界樹へ。スズのいる世界樹へと向かい、スズを助けてみせる。
……
…………
………………
どれだけ自分の気持ちを整理しようとしていたのか。
「見なさい、冬」
巻き込んでしまったバイト仲間の和美と美保の死。
そして、許可証仲間の瑠璃の死。
どれだけ自分は深くダメージを負ってしまっていたのかと、姫の声に気づく。
「あれが世界樹ですよ」
姫と枢機卿は、冬が考え続けている間、静かに目的地へと冬をゆっくりと運んでくれていた。
どれだけ自分は周りに助けられてきたのか。
裏世界に来てから様々な人に助けられてきた。
その皆に報いる為。
そう、冬は自分の気持ちを切り替え、押し寄せる後悔と悲哀を心の奥底にしまい込む。
今は、この先へ。
そう念じ続けながら、彼は、目の前を見据え。
「世界樹……ついに、辿り着いたのですね」
自身の瞳が映す視野の中に目いっぱいに広がるその大木へと、冬は辿り着いた。
まだ至近距離に来たわけでもないにも関わらず、視野に収まりきらず、全容が見えないその巨大な幹。
何百年とそこに佇んでいるにしてはあまりにも巨大で。だからといって、その巨大な樹が見窄らしいわけではない。
今も脈打つかのように生命力に溢れ、青々とし、どこまで続くのかと思えるほどに広がり続ける幹から分かれた枝と葉を擁し。あまりにもがっしりした枝の為、どれだけの振動があっても揺れることがなさそうな大樹である。
樹海の向こう側――裏世界へ初めて入り込んだ時も、それから何度もエレベータから見た、遥か霞むほどの遠くに見えたその大樹が、目の前に。
その大きさに、冬は今まで自分が悩んでいたことすべてがちっぽけだと思ってしまう程に圧倒された。
そして――
「左翼、まだ余裕あるならもういいからつっこめやーっ!」
そこに。
冬の、裏世界で出会った友人。
そばかすの似合う、学生服の青年――
C級殺人許可証所持者『フレックルズ』
立花松。その人と。
「突貫だけの指示する旦那様も素敵よ~」
その恋人。
B級殺人許可証所持者『戦乙女』
桐花雫。
二人が、下位所持者と共に、激闘を繰り広げていた。




