第157話:『影法師』 5
「なんだよこれ……なんだよこれぇぇっ!」
『焔の主』の叫びがその場に木霊する。
だが、その叫びさえも、その場ですぐに掻き消えてしまうほどに、今『焔の主』は窮地にたたされていた。
とはいえ、その声は窮地とはいえ、嬉しそうではある。
なぜなら彼は、あまりの強さに、このような窮地に立たされる状況さえ久しぶりであり、戦闘狂が窮地に立たされるということは、より興奮できるということであるからこそ、嬉しくて仕方がなかったのだ。
命と命の駆け引きをする戦いが好きだからこそ、彼は裏世界に存在し、裏世界で『焔の主』として、『圧倒的な『個』の力で人を恐怖で抑制』して一騎当千の力を持って最強の座に君臨していたのだから。
「次は何をしてくれるんだぁとは思ったんだが……」
ガンマが発した、『影法師』という言葉と、『展開』と紡いだ言葉。
その言葉と共に現れたのは――
「なぁんもみえねぇじゃねぇかっ!」
――暗闇だ。
辺り一面の暗闇。
『主』がガンマの足元からあふれ出た闇に気づいたのは、すでに自分が飲み込まれる直前だった。
先程まで、辺りは自分と同じく煌々と赤い、自分が起こした『焔』の炎によって明るくなった場所だった。それこそ、ガンマが逃げ続けた結果による、辺りを焼き尽くす程の――焼き尽くされた木々の燃え広がりによって、辺りは真っ赤な灼熱の地獄だ。
そこからの急激な目の前の光景の変化。
そこに『焔の主』は嬉しさが止まらなかった。
「は~……こりゃやられたわ~……」
先程までの、焼き尽くされた森林地帯の一部は、『焔の主』には力を与え、ガンマには体力の消耗を強いていた。
辺りの炎は自分の眷属であり、力の源。そしてその力が傍にあればあるほどに『焔の主』は力強く雄雄しくなることができる。
その火の光があれば。より。
そんな状況を打破したのが、『呪』の型、『影法師』である。
場の支配権を、ガンマは『主』から奪い取ったということになるのだが、ガンマがどのように支配権を奪ったのか。それはその光があるからこそ起こせたことであった。
「『呪』の型の使い手たぁ……流石に驚いたぜっ! 影使いって呼べばいいのか!? なぁ!」
明るい場所には、闇が存在する。
それは辺りを燃え尽くしたからこそ警戒するほどに多くはなく。だが、全てに存在するその闇は、密やかに、どこにでも存在していたのは確かだ。
辺りでゆらゆら、ゆらゆらと蠢くその傍に。
それは、
『影』だ。
ありとあらゆる光によって起こされるは、対極に位置する、闇。そして影。今この場には太陽の光等は存在しないため、正しくは『影』ではなく『陰』と言うべきか。
暗い場所があれば存在する陰。ほんの少しの光があるだけで存在することのできる影。
人と言う種族が、鮮やかな肌の色であれば、影はどこにでも存在しうる。
それそのものが闇より明るいからであり、それ以上に暗くなければ、影を消すことは叶わない。
輪郭を作り出す、影。
そんな影が。
ガンマの足元から。
体にかけて。
辺りの影全てが一斉に。
光や物体に関係なく。影単体が生き物のように蠢き、四方八方から『焔の主』を包み込んだのだ。
「あんなん、避けられるわけねぇーだろぅが」
圧倒的な速さで。今まで見たことのない、闇――自分のものを含めた影そのものに襲い掛かられ、呑み込まれるという初体験の現象に、『焔の主』は身動きをとることさえ許されなかった。
これが致命傷を与える一撃だったのなら。と、『焔』を極めた『主』が、確実に死んでいたと思わせるほどの、致命的な一瞬であったといえよう。
「ふぅ……だがなぁ……これだけだったら、な~んも意味ないわなぁ」
だが、それは致命打のある攻撃ではなかった。
ただ、暗闇に包まれただけ。
視界を奪うという部分においてはこの暗闇は優秀である。
なぜなら、まさに、『黒』だからである。
全てが、見えるもの全てが黒。
それこそ、自分の体そのものも見えないほどの黒なのだから、どこを見ても、何をしようとしても、黒すぎて何も見えないのだ。
「はぁ……」
だが、彼は『焔の主』である。
彼が極めたのは『焔』。つまりは『火』である。
彼自身が、光のようなその火によって、輝いているかのように燃えているのだから、周りをその火の光で照らすことも可能だ。
だからこそ、まだまだ安全である。まだまだ自身のキャパシティには余裕がある。
そんな風に思っているからこそ、『主』はまだこの状況を、甘く考えることが出来ていた。
それは自身の強さを信じて疑わないからこその、彼の、彼足る所以であり、確固たる実力、来歴から来る自信であったとも言えよう。
付け加え、ガンマとこの自分が圧倒的有利にたっている状況に陥るまで戦っていた経歴から、彼には負けることがないという余裕があったことも、その甘えを生んだ理由でもあった。
余裕があるからこそ。
先に、自分で言ったことと矛盾していることに、気づけもしないのだ。
いくら自分が明るく火の光を発するとはいえ。
《《自分さえも見えない》》ほどに。
<暗い>と。
そう、思ったことが、今自分が思っていることと矛盾しているということに。
そして、影というものは、先の通り、どこにでも存在しており、ましてや、彼が火の光を発することが出来ているのなら。
より濃く。
暗闇の中でさえ、影は存在できるという、状況を。
理解していなかった。
「俺を殺すには、まだまだ――」
とんっ
「――ぁあん?」
とんっ
「……――っ!?」
その音に、自分が攻撃を受けたと認識するまでも、やはり時間がかかってしまう程に、それは一瞬であった。
炎の塊であるはずの彼が、負う筈のないダメージを、負った瞬間である。
「俺の……腕……っ!?」
彼の、炎の塊である両腕が、一瞬にして、闇に消えた、瞬間でもあった。




