第156話:『影法師』 4
<瑠璃。君はまだ弱い。それは分かるね?>
兄さんがあの時僕に向けて言ったあのことは、今でも覚えている。
<そりゃぁ、兄さんに比べたら――というか、兄さんと比べられたら僕なんて弱すぎて話にならないでしょ>
兄さんは強い。
それこそ。小さな頃にすぐ近くで見て感じたあの兄さんの強さに、A級へと駆け上がった今でも、追いついたと思えないほどの強さだ。
あの人は異常なまでに強かった。
近づくことさえできない程に強い兄さん。
当時から、型式の力を使って狙撃手のように相手を射止めるその正確な射撃。
近づく者すべてを真っ赤に染めるその姿。触れることさえ許さず、辺りに華を咲かせるその姿。
裏世界という世界の中で異端の天才。
そんな兄を持つのは誇らしくもあるけれど、比べられると見劣りする僕は、兄さんがいうように、やはり弱い。
そんなことは言われなくても分かっている。分かっているし、言われ慣れているから僕の答えも言い慣れたものだ。
<いやいや……そうじゃないよ、瑠璃>
でも兄さんは、必ず僕が兄さんが強いと尊敬と諦めの念を込めて話す時に限って。
最初は僕のことは『弱い』というのに――
<弱いというのは、瑠璃の心だよ。考えてみるといい。瑠璃はまだ小さいんだから心が成熟していない。そんな君が、君より年上である兄に勝てるということがおかしいんだよ>
<心が弱くなかったとしても、兄さんに敵う気はしないけど?>
<『型式』は、イメージだ。それは心だ。自由なイメージという意味では瑠璃のほうが間違いなく高いだろうね。でも、イメージを定着させることもまたできないからね。だから、事、型式での戦いにおいては、瑠璃は弱い>
そんなことは何度も兄さんから聞いている。
でも、そんな兄さんを思い出しても、やっぱり今も兄さんに勝てるかと言われたら勝てないと思う。
こうやって大きくなった今でさえ、あの時兄さんが見せてくれた型式の力を思い出すたびに勝てる気がまったくしない。
あの力が自分に絶対に向かないことは分かっているからこその安心感。
そして、
<でも、瑠璃。君の生まれ持っての型式は、危険だ。イメージさえも壊し、型式を超えたその力……>
兄さんは僕の持つこの力には敵わないといつも言う。
でも、こんな、コントロールもできずに自分に危害を与えてしまうこの力に、何を怯える必要があるのかと思うけど。
<だから。瑠璃。君のイメージが固まり、その力をコントロールできるほどに型式の理を理解したときまで、その力は使ってはいけないよ?>
<……兄さん、毎回念を押さなくても大丈夫だよ>
僕は、この力を使う気はないのだから。
「苦戦ぅ?……お前、俺に勝てると思ってたのか?」
ガンマの一言に、『焔の主』の顔にしわが寄った。
怒りに、辺りを震わすかのようなその圧迫感が撒き散らされる。
「そりゃ、勝てるけど、この状態で勝てるとは思っていないさ」
「ぁあ?……へぇ、面白いこと言うな、お前」
ガンマのその一言に、更に辺りの空気が、心なしか重くなった気がした。
「おめぇ……なにした?」
だがそれは、先の『焔の主』の怒りに寄るものではない。
ガンマが引き起こした事象だ。
ガンマに訪れたのは、小さな変化ではあった。
その小さな変化を『焔の主』も感じ、ざわりと、珍しくその変化に心が揺らぎ、思わず質問してしまっていた。
「……貴方に勝つのに、『焔』の型では熟練の違いがありすぎて無理。相反する『流』の型も、『焔』を極めた貴方には効果は薄い。だったら――」
ガンマが、その質問に答えを返す。
だがその答えは、『主』のほしい答えではない。
「他の型式で、貴方を凌駕すればいいだけだよね」
「……はっ。できるのかよ。『疾』や『縛』の型で何とかなると思ってんのか」
「違うさ。使う型はそれらじゃない」
「あぁ?」
ガンマは自分を落ち着かせるためか大きく息を吸い込み目を開く。
その紫の瞳で、目の前の敵に、「倒す」という確固たる意志をぶつけて、見つめる。
「使いたくはなかったけどさ。やっぱ出し惜しみはだめだからね」
「……おもしれぇ」
辺りを、ガンマが塗り潰した『主』の圧迫感を、更に上から圧倒的な力で押し潰すかのように、『焔の主』の圧迫感が辺りを支配する。
兄さん。
あの時と違って、僕は強くなったかな?
ガンマは心の中で自身の兄のことを想う。
あの時、兄が言っていたことは今ではよくわかるとガンマは思う。
『型式』はイメージの力だ。
自由なイメージで自分の思うように力を作り発動させる力。
そのイメージが、具体的に、はっきりと実物と同じく発現できればより強固なものともなるのもまた然り。
だがもし。
そのイメージが。
生まれ持ってすでに具体的に確固たる現出して固定化して存在していたとしたら。
型式で作った偶像であるにも関わらず、そこに現物として常に傍に存在しているのであれば――
「『呪』式、展開」
――それは、年月が経てば経つほどに。
何よりも強い、『力』ではないだろうか。
「兄さん。あの時の約束。大丈夫だよ。飲み込まれたりなんかしない。今なら、きっと――だから、兄さん……《《弓兄さん》》。使っても、怒らないでよね?」
ガンマが、ゆっくりと。
両手を、辺りを包み込むように広げた。
そして、紡ぐ。
その紡がれる言葉は、ガンマの生まれ持った力を現出させる言葉だ。
「『呪』の型――」
『影法師』
ガンマが、自身が使える最強の切り札を、切った。




