第146話:遅れすぎて
前回までのあらすじ
姫、本気みたいなの出す。主に冬から姉呼びされるために。
圧倒的な火力。
それは、自身をシグマに『ひめ姉』と呼ばせようと、強制さをも持った妖艶な笑みを浮かべながらも、轟音と共に続いていた。
辺りに響く轟音とすでに何万発とも放たれたであろう光の銃弾は、一体どこから生まれるのかは分からないまま。ただただ、ガガガと、ガトリングの発射音と、着弾して弾けた際の衝撃で相手を後退させる音が響く。
「さて。次の一手はありますか? 冬」
ギアが回避しようとぴくりと動きを見せる度に器用に銃口をずらして退路を予測。動くことも許さず的にする姫が、シグマの隣に来て質問する。
「……いえ。ひめ姉は、ありますか?」
呼び方を誤ればこのガトリングは自分に向くのではないかとびくびくしながら、シグマは先に呼ぶことを許されたその呼び方で返した。
「……ないですね。時間がもう少しあれば、何とかなるかとは思いますが、それまでこのままでいられるか、ですね」
一瞬、間を置いて答えた姫が「悪くない」と、ぼそりと頷いてから答えた。
シグマは何に対してだったのかは分からなかったものの、問いへの返しに、やはり、と今の現状を理解する。
常に『鎖姫』を撃ち続けられてその場で動きを止め、少しずつ後退しているギア。
それは、
『止められている』
だけなのである。
姫が参戦し、圧倒的な火力を持ってギアを押し留めてはいるが、何万発も当てているのに姫が攻撃を止めていない事がその理由であり、それだけ撃ってもまだ現存していることがおかしい。
シグマであれば、あれだけの数――何万発と撃ち込まれれば、大鋸屑のように細かく、鰹鉋に削られた鰹節のようになっているであろう。
なぜか鰹節に例えてしまった自分の姿にぶるりと震えながら、撃ち込まれなくてよかったと心底思いつつシグマは着弾点にいるギアを見る。
先程と同じ。
シグマが針を放った時と同様――いや、正しくは針よりも衝撃もダメージも高いためか、両手を前に出して防御の姿勢をとろうとまだ動いている。
その腕さえも、白い銃弾の鋭さに、着弾と共に前面への動作を阻害されて踏み出せてはいないだけで。その鎖姫の最大の力を持ってしても、まさに、動きを阻害されているだけで。
つまりは。
その火力は、足りていないのだ。
「ば、化け物……ですか」
「間違ってはいませんが、これこそ、人が創り出した傑作品ではありますね」
姫を見ると、姫もまた、焦りを覚えながらそれ以上進ませまいと『鎖姫』を撃ち込み続ける。
「……負傷者が側にいては思うように戦えません。今は後方で枢機卿に処置してもらいなさい」
「でも……ひめ姉は……」
いまだ鎖姫で足止めをしている姫は、シグマに目を向けるのはほんの少しで、ほとんどをギアに向けて、細心の注意を払いながらその場に縫い付けている。
その銃撃がやめば、先と同じようにまた荒れ狂うのだろう。
だから、姫はその場から動くことはできない。
「私は、あなたの姉ですよ?」
……姉、違う。
「その姉が足止めしている間にでも、少しは休んで体力回復させて手伝いなさい」
姫が言う通り、シグマの体は満身創痍であった。
体力温存と言ってお姫様抱っこされていた時がどれだけ楽だったのかと思ってしまうほどに、ギアの暴力を捌くことに神経や体力を使ってしまっていた。
「それに……」
姫がちらりと、背後の負傷者に一瞬だけ目を向けた。
悲しげな瞳に一気に不安が押し寄せる。
「う……嘘ですよねっ!?」
一気に駆けてエレベータ前へ。
ギアとの戦いは、最も被害の高い彼女から引き離すために徐々にその場から離れるように動いていたため少し距離があった。シグマが姫から感じ取った不安に、今はほんの少しの距離さえもどかしかった。
「ね……ねぇ……さ、ん……」
『冬……』
枢機卿がどうしたらいいのか分からないと言っていそうな程に冬を見る。その悲しそうな表情は、機械が作る虚構の表情とは思えないほどに悲痛だった。
エレベータのドアを背に、力なく座り込んだままの実姉は、ぴくりとも動くことはなく。
そんなにも辛そうな枢機卿から、何が起きているのか想像さえしたくなかった。
腹部に止血のためか、ひんやりとした冷気を漂わせた姉。
その冷気が起こした氷結は赤と臓物に塗れ、今は溶け出した冷水を赤く染めて小さな水溜りを作り出す。
「や、やっと……やっと、会えたんですよ……?」
ぷるぷると震えが治まらない手で、実姉の頬に触れる。
その頬に、人の温もりは感じられず。閉じた瞳の睫毛には、霜で化粧がされ、体は凍り付いているかのように硬い。
まさか、そんな。と。その変わり果てた姿に、ただただ、シグマの心に暗闇が幕を下ろして――
「人を勝手に殺すんじゃないの〜」
もう動くことさえなさそうであったピュアが、ぱちりと左目を開けた。動きは早く、シグマのなくなった右目に掌底を当ててきた。
シグマは、「ひっ」と、その冷たい手のひらの感触に痛みも混じりつつの驚きの声をあげてしまう。
「姉さん、生きてくれていて、よかっ」
「ほぼ死んでるけどね。……冬、先に行きなさい」
「え?……なん、で……?」
「私よりまだたどり着ける可能性あるんだから。姉達を犠牲にしてでも行きなさい」
じゅうっと。その冷たい手からあり得ないほどの熱量がシグマの窪んだ空洞に溜まっていく。
なぜそんなにも先に進ませようとするのか。
心配さえさせてくれない姉に、違和感を感じた。
「進むなら、せめて身体満足じゃないとねー」
痛い。
布が巻き付いていて痛みを癒やして和らげていてくれるはずなのに、それを超えて痛む、もう破裂してないはずの右目。
「座標――固定。じっとしてなさい」
「なに、を……?」
右目に触れながらその右目を凝視するピュアが呟いた。その呟きに合わせ触れ続けるだけで、更に痛みと、眼窩に丸みを帯びた違和感を感じだす。
ピュアの右目に触れる手のひらが、更に冷気を帯びた。その、すでにひんやりを通り越して、ただ痛いと感じるようになった冷気に、シグマの右目近辺に白い霜が浮かぶ。
ピュアが、意を決したように息を深く吸い込み、型式を放つ。
『犠牲』
冷気を纏い紡がれたのは、『流』の型。
その型が起こすは治癒の力。
シグマの右目はすでに破裂して損傷し欠落している。だから、自己治癒能力を最大限にあげてもその右目は戻ることはない。
だが。
それを、何かで代用したのであれば、話は別である。
「……右目、が……」
布がするりと離れていき、布が封じていた先に見えた景色が。今までと同じように景色を映し、視覚の情報を脳に与えて今の状況を伝えるその瞳が。先ほどまで暗かったその視界に、潰れる前の変わらない目が戻ってきたことに、驚くことしかできない。
「ほんっと、しゃれにならないわぁ、あのおっきいのは……」
ごふりと、いまだ右目を瞑りながら口元から吐血する姉に、シグマはまさかと、右目に改めて触れる。
この、見えるようになった右目は、姉の右目だとすぐに気づいた。
「私の目をあげる。いい目だからきっと役に立つわよー」
「なにを!」
「いいのよ~。もう長くないから。だから有効活用しないとね~」
「っ!?」
だから。それはさっき思ったばかりだと、信じたくなかったことだと、シグマは体を震わす。
「最初のお腹の一撃で内臓なんて破裂しまくりだからねー……ま~、体を冷凍して留めてはいるけど、死後硬直してるようなもんよー」
この状態で生きていることが奇跡なのかもしれない。
だから、もう長くない。
見たら分かった。
シグマも布で癒やされたとはいえ、ただ触れられただけで右目を物理的に潰された。あの一撃を腹部に放たれ、暴れる限りに衝撃を受ければどうなるかはピュアの体を見ればすぐ理解できた。
腹部だけではなく、縦に切り裂かれた傷痕や、すでに切り離されてなくなった腕。
見た目にも致命傷な姉に、何もできないシグマは、涙を零すくらいしかできなかった。




