第130話:ストーカーの正体
目の前にいる四院『疾の主』であったその男は、自身を『音無』と名乗った。
刃月音無。
冬の高校時代の同級生で、以前、スズに告白してフラレた彼。
その彼が、この場にいることが姫には不可解だった。
姫は一年前ほど――丁度冬やスズ、美保が通う護国学園での彼等の同級生であることくらいしか知らない。
冬と再会した時に、妙な気配を発して音無が冬に近づいていく現場を、少し離れたところで同じく気配を消していた姫は見ている。あの妙な気配は警戒心を抱くには十分すぎて、その頃から音無という名前から、裏世界でも有名な同名の殺し屋組織と関わっていないかと探りを入れていたのだが、尻尾を捕まえることはできず。
あの殺し屋組織に関係しているということが本人の口からも聞け、推測が正しかったことは証明されたが、それでも、もっと前に気づけば――冬がまだ学生だった頃、またはまた再会した頃にこの存在を倒しておけば、今回のことをもう少し遅らせることもできたのではないか、それこそこのような事態を引き起こすこともなかったのではないかとも。
そう思うと、姫の内心に、後悔の念が押し寄せてきた。
たられば、であるが、今の心情としては、そのように思ってしまうのは必然で。
自分が落ち込んでいることに気づき、自身の内面を再認識し、払拭するために別のことに意識を向ける。
丁度、スノーが枢機卿に今の状況の説明の続きを行っていたので耳を傾けた。
「す〜ちゃん。『疾の主』はとっくに死亡してるの。多分、これに倒されたんだろうなってってのは理解できた?」
スノーの言葉に、思わず枢機卿は無言になった。
『縛の主』が現れ、『疾の主』がすでに死んでいる。
それは、許可証協会からしてみれば、圧倒的不利な状況なのは間違いなかった。
更には、その『疾の主』であったはずの目の前の敵は、殺し屋組織のトップとも言える存在――『音無』所属の殺し屋と名乗りをあげる始末。
『すでに亡くなっていると、言いましたね。そうなると目の前のものは偽者。そしてその正体は、殺し屋組合の中でも異質な組織、『音無』であれば……もうすでに高天原など……』
枢機卿も、現状を少しずつ理解していく。
殺人許可証所持者という肩書きはあっても、その組織がすでになくなっていれば意味がない。
許可証協会を仕切っている人物も、今は姿を偽った殺し屋組合に属している存在。
後は、メイン枢機卿が彼等の手に渡れば。
高天原は、瓦解する。
裏世界は、殺し屋達の世界となり、
表世界は、蹂躙される。
そんな未来が、今、この瞬間に訪れていることに、枢機卿は気づく。
気づき、そして――
「永遠名冬が許可証を剥奪されたあの瞬間が、もっとも私達にとって致命的な一手でした」
姫が同じ未来を感じたのか、そのポイントを思い出して苦々しく言葉を発した。
――後戻りできない程に、もう負けていた。
「あの時にはすでに詰んでいたと言ってよいでしょう」
『スノーの弟は、厄病神かなにかですか?』
「「失礼な」」
二人が枢機卿の言葉に同時に反応する。
スノーは理解できたが、姫が反応したことに、スノーと枢機卿は疑問符をだした。
「……なんで姫ちゃんも?」
「私にとって、永遠名冬は、もう弟みたいなものですからね」
「あらら。言っとくけど、私が長女よ?」
「……いえ、そういうのは別に考えておりませんので」
なぜか嬉しそうなスノーと、先ほどまでの落ち込み具合がスノーによって払拭され、恥ずかしそうな表情を一瞬浮かべてはすぐに無表情に戻るメイド。
『まだ、終わってはなさそうですね』
そんな二人を見て、まだ、好転できるチャンスがあると感じた枢機卿。
「そうだね、まだ終わってない。メインの枢機卿もまだ奪われてはいないし、『縛の主』のやりたいことも、まだ準備中だろうね」
その声に返したのは、敵である音無だ。
「でも、時間はないよ。君たちの時間は、ね」
音無が、すぅーっと、音もなくまさに滑るように地面を滑走した。自身が用意したであろう、背後で妙な威圧感を放つ、起動前のギアに手をかけた。
行動を起こした音無に、姫は驚きの表情を浮かべる。
その起動は、そのギアの正体を知っていれば、起こしてはいけない――《《人に絶望を与える》》と知っているからこそ、破滅的なスイッチを軽々と押した音無を、愚の極みと感じた。
「これが動けば、君達も余裕はなくなるよね」
「ば、馬鹿ですか貴方は……今、自分が何をしたか分かっていますか」
「分かってるよ? 君たちが死ぬことが早くなるってことだろ? それに、もうすぐ永遠名が来る。それまでに、君たちには死んでもらわないと」
急に音無が出した名前に、スノーと姫がぴくりと反応する。
その間にも、ギアはゆっくりと動き出す。
黒から赤へと。起動を現すその瞳が色を変える。
無骨な見た目の黒い機械が、小さな駆動音を上げて震えだす。
「……永遠名冬に、何をする気ですか」
「どうもしないけど?」
「だったら、なんで冬を待つの」
スノーの疑問は至極最もであった。どうもしないなら、今この場で、明らかに場違いな冬の名前を出す必要がない。
なぜこの瞬間に姿を現し、そして冬を待つのか。
それに理由があるとしたら、先ほど音無が言っていた「永遠名が来る」という部分がもっとも重要であると感じた時。
「あぁ……。なるほど。理解しました」
姿を現した時から感じていた違和感。
なぜ、この場で姿を見せたのか。
姫の中で、一つの仮説が浮き上がった。
冬と姫が一年ぶりに再会したときに、彼と冬、そして姫は間接的に会っている。
姿を隠していた技術。あの時も、姿を見せる必要はなかったが、もしかすると、向こうは見えていないと思っていて、近づいたのかもしれない。
彼等に纏わりついていた、ちょっかいを出すために姿を見せていたのであれば、その時に冬も感じていた視線の正体と結びつく。
「……貴方が、看板娘さんのストーカーでしたか」
あの時、冬が警戒していたのは、和美のストーカーだ。
「……ん? 看板?……ああ、杯波和美のことか。違うけど? だったらこっちに連れ込んだ時に俺が思う存分彼女で楽しむって。興味ないからそこらに任せたけど? あ、そういや、あいつ等結局死んだんだよね? ああ、その布、死体か。やっと理解したよ。どんな感じで死んだ……って、まあ、なんとなく分かるからいいや」
その仮説は外れた。
だが、その言い様は、彼女達にとっては不快極まる。
彼女達としても、会話をした数としては少ない。
だが、冬という弟を慕ってくれた女性達だ。そんな女性達を守ってあげられなかったことに。そしてその死に様を見た二人からすると、到底容認できる言葉でなく、怒りがこみ上げてくる。
「だったら……冬に手を出すだけに留めればよかったでしょ。ストーカー」
「ストーカー?……ああ、ストーカーって言うなら、多分、そっちじゃなくて――」
音無は、まるで今気づいたかのように笑う
「永遠名のストーカー、かな? 言われてみれば、確かに俺ストーカーだわ。永遠名の困ったりする顔、見てみたいんだよね。毎日。いつも。どこでも。どんなときでも。さ」
まるでそれが当たり前かのように、ごく自然の笑顔。
その笑みは酷く不気味だった。




