第129話:主の正体
地面に降り立ってすぐ。
姫はスノーの元へと移動した。
着地と同時に、『疾の主』が勢いよく両手を広げて抱きつくような仕草をしたからもあり、姫としても、この男に近づいてほしくなかったのが理由だ。
敵対しているスノーに近づけば向こうも安易に近づけないからでもあるが、姫はスノーと話をする必要があったのでちょうどよかった。
「姫ちゃんっ」
「ああ、やっぱり。やっぱり僕の元へ来てくれるんだね」
「……無事で何よりですよ」
「無事かどうかを聞きたいのはこっち!」
「残念ながら……」
「ああ……相変わらずのその姿、やはり君は最高だ……」
「そう……ダメ、だったのね……」
二人の会話の中に時折入ってくる主の気持ち悪い恍惚の声に、『ちょっと黙ってほしい』と枢機卿は思わずにはいられない。
もっとも、それはスノーも姫も一緒だった。
『……誰かが、亡くなられたのですか?』
「枢機卿にしては情報が古そうですね。……ええ、体だけは無事保護できましたが……」
『そうですか……。確か、B級殺人許可証、コードネーム『水原』。弐つ名が『鎖姫』でしたか』
「……久しぶりですね。私のコードネームを聞くのは」
『貴方も今のこの状況は理解されていて、協会に敵対しているのですか?』
「敵対、というより、もう、滅ぼそうかと思っておりますよ」
そう言った姫の声は静かなものではあった。しかし、ただの声であるのに、恨みや怒りの感情に溢れ、聞く者に畏怖を与えてしまうほどに内に秘める怒りは激しい。
「ああ……いい……」
ただ、その怒りの声は主には快楽を与えたようで。
姫が自身の背中に向けられた突き刺さるような視線に、心底嫌そうな表情を浮かべる様をスノーと枢機卿は見てしまい、この二人に何があったのか不安になった。
「……永遠名冬に関わっていた女性二人が裏世界に拉致され、そちらを救出に向かったのですが、すでに死亡していた、という結果です。どのような死に方をされていたかは女性として伏せさせていただきます」
『また弟関係ですか。スノー、あなた達がいながら一般市民を誘拐されるとは……まさか、成功体とも関係しているのですか?』
「水無月さんが見つからなかったことから、すでに『縛の主』の手中に」
その結果に、スノーが冬になんて説明しようかと考えている間に二人の会話は進む。
「いらないと判断されたお二人は、置いていかれたのでしょう。だからあのように……」
姫はそこで話を区切る。
くいっと、近場の何もない場所に合図を送ると、スノーの背後に、見知らぬメイド服の女性が現れた。
妙な威圧感のある複数の女性達だったが、ランクは違うとはいえ、その女性達もギアであることはスノーにはすぐに理解できた。
そして、姫と共にこの場に現れてくれたことに感謝もした。
なぜなら――
「もう一度、生きて会いたかったね……」
「間に合わなかったことについては、申し開きもないですよ」
「……ううん。頑張ってくれてありがとう」
二人一組で真っ白い布に包まれた一人分程の大きさの荷物を輸送していたからであり、その数が二つあることに、スノーの目にほんの少し水分が溢れる。
「私の弟が巻き込まれて、更に巻き込まれちゃったね……もう少し、傍で護ってあげられてたら……ごめんね……」
スノーはその布に近づき一部をぺらっと捲った。
「……この偽物が、動かなかったらこんなことにはならなかったのよ」
そこにある、それに。
彼女もまた、怒りがこみ上げてくる。
枢機卿からしてみれば、それが何かは予想は出来るが、交流もなければ、知っていても知識のみの存在である。
だからこそ、悲しむような感情はなかったし、そのような感情さえ持ち合わせていない。
ただ。
人は、ほんの少し言葉を交わし交流した相手にさえも、感情を揺さぶられ、感情も顕に出来るのかと思えば、その感情に興味もあれば、今所有者であるスノーが、枢機卿《自身》を無くしたとしたとき、同じように悲しんでくれるのかと、その包まれた何かに、羨ましさを覚えた。
『偽物……ですか』
だが、そんな感情より、今は目の前の相手を彼女達が『偽物』と言う、主のその呼ばれ方のほうが重要であった。
枢機卿は情報媒体である。
所有者を、正しく導く必要もあるからこそ、スノーを、その一言で目の前の敵に引き戻した。
「そう。偽物。……事態をややこしくして、便乗しただけの偽物」
包まれたソレから目を離し、また主を憎悪の籠もった眼差しで睨みつける彼女が言葉を続ける。
「そうでしょう? なにがしたいのか、そんなギアまで持ち出して。まったく理解に苦しむわ」
「……へぇ?」
怒りをぶつけられた『疾の主』は、その怒りを物ともせず。
歪な微笑を浮かべ、ぶつけてきた二人を見ながらスノーの言葉に興味深そうに耳を傾けた。
「『音無』」
「……」
そう言われた『疾の主』は俯き、表情が見えなくなった。
『音無……? 殺し屋組織『音無』……『別天津』の集まり、でしたか?」
その名は、枢機卿もよく知っていた。
殺し屋組合のなかでも危険とされる存在。
五人だけで構成された殺し屋集団。
一人一人が、脅威度Sランクの殺し屋達の集まり。
「だとしても何を。目の前の方はどう見ても――』
あまりの強さに、天地開闢の名を与えられる、裏世界で殺し屋の頂点に君臨する謎の集団。
天之御中主。
高御産巣日。
神産巣日。
宇摩志阿斯訶備比古遅。
天之常立。
そんな五柱の神の名を弐つ名とされた謎の人物が、なぜ今スノーの口から告げられたのか――目の前にいる、比較的協会側であったはずの四院の一人を見て告げるスノーに、『偽物』という言葉がさらにのしかかる。
『――なるほど。つまり、あなたが言っていた敵と言うのは……』
スノーが言っていたことが正しいのであれば。
裏国家最高機密組織『高天原』と、その下部組織、『許可証協会』は、すでに機能していない。
『焔の主』は高天原の四院の一人とはいえ、まともな思考の持ち主ではない。それは今も昔もかわらず。
『縛の主』は四院でありながらも世界樹を手に入れたことで高天原と敵対し、当時の殺し屋、許可証協会の連合軍と、彼にとっての重要な研究成果をスノーに盗まれて消息を絶った。
この時点で、高天原は半分の統率者を失っているにも関わらず。
残った、良心ともいえる主達も、
『流の主』は枢機卿には現在の立ち位置は不明だが、現状を考えると動いてはおらず、そして『疾の主』は――敵。
『……今の協会を管理しているのは、『流の主』、久遠静流ですか?』
そう言えば、と。
『流の主』には子供がいたと記憶していた枢機卿は、内部情報を漁りながら自身の知りえた情報をアップし、内部の情報を精査し適切な情報へと切り替えていく。
「静流さんは、動いてないよ」
『……なるほど』
枢機卿は、現状をしっかりと把握した。
それを感じたのか、スノーも姫も、目の前の主を見つめる。
「どっち? あそこで私達から逃げた『人形使い』? それとも――」
姫に見つめられても、すでに目の前の主は、先ほどのように惚けることはしない。
「ああ。……妹はすでに君達の所から逃げているのか」
そう言うと、『音無』と呼ばれた男は。
ずるりと。
まるで皮が剥けるように――
「やはり。あなたでしたか」
「久しぶり、なのかな? それとも、あの時は僕に興味はあったのかな? もし、僕があの学園内で君の御主人様に手を出してたら興味はもってくれていたかな?」
――ゆっくりと正体を現した。
そこにいたのは。
「興味はありませんよ。貴方ごときが、御主人様をどうにかできるわけがありませんから」
「ははっ。水無月さん以外にも人気だったメイドさんにもフラれちゃったよ。俺、意外と人気あるはずなんだけどなぁ」
冬の高校時代の同級生――
「改めて名乗らせてもらうよ? 俺は殺し屋組合所属・殺し屋組織『音無』構成員。高御産巣日の弐つ名持ち。刃月音無だ」
――組織と同じ名前を持つ、『音無』だ。
意外と引っ張る同級生。
音無君は、とっても強いんだぞ☆




