第126話:氷の世界
『さて、スノー。間もなくエレベータは階下へと到着しますが』
枢機卿は三画面の一つをちょこちょこと触って情報収集に余念のないスノーへ声をかける。
「ほいほい」と言いながら必要な情報を集めて留め、並べて纏めるスノーから、そろそろ何をしようとしているのかを枢機卿は聞きたかった。
『貴女は、今現在、『ピュア』を凍結されているじゃありませんか』
「そだよー」
なぜ自分が起動させられたのか。
スノーが調べ物をしている間に自身でメイン枢機卿に問うてみたらすぐに返ってきた回答。
殺人許可証の一時凍結処理。
S級といえば、最上級の殺人許可証所持者の称号である。
その称号の持ち主が許可証を凍結されたとなれば、それは許可証協会にとっても多大な損失であり、また滅多なことではそのような処置をされることはない。
それこそ、表世界で、ある一定の地域の人を皆殺しにしても咎められないくらいの権限をもった許可証なのである。
『二度もS級殺人許可証となりながら、凍結されるとはまた……何かやらかしたのですか?』
「やらかしたといえばやらかしたかなー」
枢機卿が『ですからそれを教えてください』と聞き返そうとしたところで、スノーの集めていた情報を見た。
『……なぜ、殺人許可証所持者の情報を集めているのですか?』
スノーが画面いっぱいに集めていた情報は、C級からA級までの殺人許可証所持者の情報である。
その情報は細部にまで渡り、所持する暗器や過去の任務情報、そこから推察できる能力等、その画面には情報と考察で埋め尽くされていた。
「ん~? 情報があったらいくらでも戦いやすいでしょー?」
『戦う?……戦うとは……?』
その五十~六十にも上る殺人許可証所持者達の情報に、嫌な予感が枢機卿のチップの中を巡っていく。
戦うということから、『まさか、許可証協会に喧嘩を売るつもりなのでは』と、スノーが本気を出して許可証協会と戦えばどうなるか分かりきっている枢機卿だからこそ、その考えにすぐに至ることができた。
だが、それをしてスノーに何のメリットがあるのか。
枢機卿はすぐに自身の本体に回線を繋ぎ、情報を仕入れることにした。
「す~ちゃん。もう遅いよー」
がたんっと、ほんの少しの縦揺れの振動が静かに鳴った。
それは、裏世界へと至るエレベータが最下層へと到着したことを示す揺れだ。
到着と共に、エレベータの仄かな光は消え、扉が静かに開いていく。
扉が開くにつれて木漏れ日のように入り込んでくる光は、人工的に作られた光。
開ききった扉の先に見えるは、許可証協会のエントランス。
冬が初めて裏世界へと降り立ち、試験を受け、そして授与し、剥奪された場所だ。
「ま~……これみたら分かると思うけど」
なぜこのようなことになったのか。
枢機卿《緑の液晶画面》を傍らに浮かばせながら、スノーが今から行おうとしていることに唖然とする。
ほんの少しだけ得られた情報には、スノーの弟、永遠名冬の枢機卿からの情報もあった。
その情報と、先のスノーとの会話から推察したのは、自身が考えた最悪の結果だ。
『……まさか……本当に……?』
許可証協会の、今は天井に大きな穴の開いた――冬を助ける際に鎖姫が穴を開けた場所だ――そのエントランスには、ぞろりと、許可証所持者が自身の獲物を構えて立ち並ぶ。
彼等は、エレベータから、見たことのない簡易枢機卿を宙に浮かせながら白髪の綺麗な女性が現れたことに困惑をしているようでもあった。
「そのまさかだよー。流石に数も多いから先に知っておきたいでしょ?」
スノーなら今のこの目の前の光景に対処さえできる。
そう断言できるからこそ、許可証協会のデータバンクでもある枢機卿からしてみても厄介であった。
「私はね。流石にこんな暴挙に手を貸して、我関せずを貫こうとして、それで裏で漁夫の利を得ようとしているこんな腐った協会はいらないと思うのよ。何より、私の弟をここまで馬鹿げた嘘情報で無碍に扱われたら、めっ、って、怒らなきゃ」
そんな可愛らしいもんじゃない。枢機卿はそう思う。
枢機卿は、スノーこそ、『ピュア』と『スノー』の二つを別の人物として許可証協会を欺き、二つの許可証で『S級』まで上り詰めた唯一の存在だと知っている。
ついた弐つ名が『純雪』と言うのも、本人の白髪と性格とその戦い方から来た弐つ名であるのだが、知る人ぞ知る、本人の本名と二つの許可証を偶然にも表していることもまた、奇妙な話でもあった。
「おい……」
「ああ……まさか本当に……」
「やるぞ。この人数ならやれる」
そんな目の前にいる女性が、S級殺人許可証所持者であるということを理解しているのか、ラウンジに集まっていた五十名ほどの高ランク許可証所持者達は、暗器を持ち直した。
「ピュアだ。あれを殺れば、協会のトップだぞっ!」
「この数だ。間違いなくやれる!」
「『疾の主』にも囲ってもらえる!」
「協会に楯突いたらどうなるか、体に染み込ませてやろうぜっ!」
彼らが放つその言葉に、枢機卿は、普段温厚であるスノーの火に、油が注がれたと理解した。
「ほら。所詮、『主』に操られた可哀想な子達の集まりと化しちゃったんだから。いらないでしょ?」
ぞろぞろと我先にと向かってくる所持者達。
その殺気に血走った目は、一人の女性からみれば、恐怖以外のなにものでもない。
「だから。一回きれーに、滅ぼしちゃおっかなって」
だが。
今から起きるのは、C~A級の、裏世界を生き抜いてきた猛者達と、たった一人の女性の――
「がっついちゃってもだめだよー。私、もう人妻で新妻だからー」
――いや。
たった一人の人妻との、殺し合いだ。
『ま……まちなさ――』
――きんっと。
冷たい音が鳴った。
その音を、枢機卿はよく知っていた。
S級殺人許可証『ピュア』となった『スノー』は、ピュアとしては『幻惑』を使った戦いをメインとし、その戦いがあまりにもスノーとかけ離れているからこそ、スノーとピュアという二つのS級殺人許可証所持者を別人と世界に理解させていた。
彼女は今は、ピュアではない。
だからこそ、殺し合いなんてものに発展するわけがないのだ。
そのピュアではない、『スノー』の戦い方を、枢機卿はよく知っている。
『氷の世界』
スノーの呟きとともに、辺りは冷たくなった。
その冷たさは熱く煮えたぎった心さえも芯まで冷やすかのように。
その心を、冷やし、動きを止めるかのように。
――一方的な暴力の前では、殺し合いなんて存在しないのだ。
エントランスにいた生物が。
『氷』に、包まれた。
「はるみたいに溶かせるくらい熱くないと、人妻さんは靡かないぞー」
人妻は、そんな理由でも靡かないと思う。
枢機卿は目の前に出来上がった光景に、
『だから、スノーには手を出すなと、以前から進言してましたのに……』
そう呟く。
許可証協会は、敵に回してはいけない存在の逆鱗に触れてしまったのだと。
思わず、そこに出来た何十もの氷像をみながら、協会の行く末を案じてしまう。
の、だが。
人妻になる前からも、彼女はこんなもんだったと思うと、ただ人妻だと言いたかっただけではないかと、つい、目の前の光景とは場違いに、不謹慎にもそう思ってしまうのは。
きっとこの人妻のせいなのだろうと。
なぜか、そんな思いを持つ、枢機卿であった。




