第113話:受け取る
『永遠名冬。それは、本人から聞くべきですよ』
「……枢機卿……? 貴方も、なにか、知って……?」
枢機卿からかけられた声に、冬の周りの一部が、スズの正体に、そして、先の神夜の言った内容を、『知っている』ことに気づく。
憐れむように冬を見る姫が、「あちらに至ってないのですから知るべき話ではないですよそれは」と、神夜に言い聞かせるように言うと、姫の背中に飛び付いたピュアが驚き狼狽える松と瑠璃を指差し、なにかを伝えている。
「何を……僕は、何を隠されているので――」
スズは、何を隠しているのか。皆は何を知っているのか。それらが隠されていることに、今更ながらに不安と、もっと早くに聞くべきだったと、後悔が心の中でざわめく。
不安は自然と、きょろきょろとスズを求める行為となり。
辺りを見渡すが、その視界にスズは映らない。
「ほれ。冬、受け取れ」
春が、冬の疑問や不安を遮るように、四角い《《なにか》》をふわりと投げてきた。
「餞別だ」
「せ――は? なにを。こんなの貰えませんよっ!?」
ぽすっと、自分の手の中に落ちてきたそれに、驚きを隠せない。
あまりの驚きに、さっきまでの不安も消し飛んでしまう。
「ん? いや。お前、聞いていないのか?」
『……言い忘れてましたね』
「枢機卿……お前、体を手に入れて浮かれすぎじゃないか?」
『失敬な。私はすでに伝えられていたものかと……』
呆れながら煙草に火をつける春の口元に、シャッと、素早く光が走る。
「雑魚相手に手加減しつつ、お荷物抱えて逃げている間に伝えるとでも? 春も、伝えるならもう少しシチュエーションでも考えなさい。後、周りに未成年の女性もいるのですから煙草くらい我慢しなさい」
背中にピュアを乗せたまま、先程まで春の口にあった煙草を手に握り、ぐしゃっと潰しながらの姫の説教が始まった。
「あれ、俺が怒られるのか!?」
「当たり前ですよ。意味不明なことして、今後ピュアをどう養う気ですか?」
「いや、普通に骨董品売って――」
「売れもしないのにですか。貴方は商才が絶望的だといい加減気づきなさい」
あっさりと春が今までやってきたことを否定する姫に、「ぐぬぬ……煙草返せ」としか言えなくなる春。
ピュアから「もっと言ってやれー」と声援が飛ぶが、「貴方が言いなさい」と姫が呆れたように返す三人のやり取りに、仲の良さが伺えた。
「まあ、いいから。誰にも聞かされてなかったことはもう今更いいとして」
そんな春の逃げ先は、冬への回答だ。
「よ、よくないですよっ!? いいからこれ返しますっ! 受け取るものでもないですしっ!」
いきなり目の前で始まったしょうもない言い争いに、ぽかんと口を開けたままだった冬も、我にかえって渡されたそれを突き返そうとする。
「いや。受け取れよ。ないほうが不便だろ」
「僕が持ってても意味ないですし、シグマさんが困りますよっ」
「いや、だから――」
再度タバコに火をつけると、ぷかぷかと丸い輪を吐き出しながら、冬をまどろっこしそうに指差す。
「オマエ、モウ、シグマ」
冬の手に乗ったそれは、四角い交通系カードのような小さなものだ。
そこに刻まれる、人の半生が籠り重く。
許可証No:4444422222444
コードネーム:シリーズ『シグマ』
階級:A級殺人許可証
そんな文字の刻まれたカード――殺人許可証を渡されて、自分がシグマと言われても。
「――は?」
そう、返すことしかできなかった。
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姉を探すという目標。
親への報復という目標。
それぞれが出来なくなることに。
そして、仲間達と、互いに協力して目的を達成しようと誓ったあの約束さえも簡単に消えたことや、スズという最愛の女性を、『許可証』と言う恩恵で守れなくなったこと。
冬自身、B級殺人許可証『ラムダ』となった瞬間に許可証を剥奪され、裏世界に関われなくなったことに、絶望を感じていたのは確かだった。
それが、別の許可証によって救われるなんて。
彼が、冬を救うために、自身の許可証の情報を、データベース上で上書きし、悪意の塊となった『ラムダ』を、『シグマ』へと書き換え、ラムダという存在を消し去っていたなんて。
冬だけでなく誰もが思う、春の離れ技だったのは間違いなかった。
「な、なんでそんなことを……っ!」
だが、それは、彼自身の許可証を譲り受けることになる。
『常立春』という先輩の人生のなかで、彼が輝いていたであろうその一瞬を、
「あ、あなたは……どうするんですかっ!」
冬が、何かに巻き込まれ、悪意を叩きつけられた結果、彼のその一瞬を冬が、冬自身がもらってしまうことを。
彼の、裏世界で生きてきたその人生と、これからを、奪ってしまったことを。
冬は、許すわけにはいかなかった。
「ん? いや、別にいらんし」
なのに、本人は意外とあっけなく。
「な……なんで……なんでこんなことを……なんで……なんでここまで、してくれるんですか……?」
疑問は、彼がどうして自分のことをここまで構ってくれるのか。なぜ良くしてくれるのかに変わる。
彼が行ったことは、簡単には変えることのできない行動で。
彼が起こした結果は、冬が、また、裏世界へと戻るための手段を手に入れたこと、冬からラムダという汚名が払拭された瞬間で。
「お前に罠を仕掛けたやつと戦うためにも必要だろ? 俺にはもういらん。だから、やる」
そんな簡単に渡せるものでもないこともわかる冬。
分かる。分かるからこそ。
「受け取ることなんて――」
「受け取らないならただのコレクションカードになるだけだ。売れば高いからどっちでもいいんだがな」
煙草をまた一本取り出し、火を点けると、「ふー」っと一息吐くと、春は続ける。
「お前が、これからシグマとして。俺の代わりに裏世界で生き抜け」
彼から伝えられ、その託されたその重みに。
「受け取れませんよ……」
また、姉を探すことができる。
スズを、守ることができる。
皆との約束を、一緒に探すという約束を守ることが出来る。
そう、思ってしまう自分もいて。
「シグマさん……」
「シグマじゃない。春だ」
「春、さん……」
冬は、もう返すことさえ許されないその新たな許可証をぐっと胸の前で握りしめる。
返すことはもう出来ない。
許可証を譲渡するなんて聞いたことがない。それこそ失敗すればどちらも許可証を失っていたのだろうと思うと、この春という気の良い兄のような存在の、この許可証を、受け継ぎたいとも思う。
「……ありがとうございます。これでまた……姉を探すことが出来ます」
返しきれない恩を受けたことに、涙を流しながら、感謝をした。
いつか、この恩に。彼に報いることが出来るだろうか。
そう思う冬ではあるが、
「お……ぉう。頑張れ」
「そ、そうよー。頑張れー」
なぜか、二人が微妙そうな表情を浮かべることが、冬には理解できず。
『……傍から見ると、とても残酷ですね』
「春……ピュアの時といい、今回のことといい、いい死に方しませんよ」
姫と枢機卿が、若夫婦に非難の声を浴びせながら、俯き涙を流す冬の頭を撫でる。
そんな四人の会話に、ここでも何か隠されていると思うと、いつか教えてもらえるのだろうかと、冬はまだ認められていないのだろうと思ってしまい、ほんの少し胸がずきりと痛んだ。
……隠されている。
隠されていた……?
思った疑問は冬にほんの少しの違和感を持たせるが、それとは別に、皆も、このシグマの許可証を譲り受けたことを知らないのではないかと気づいた。
「そう、だ。皆にも伝えないと――」
と、慰められていた冬が、また許可証所持者として共に一緒にいられることを報告しようと顔を上げたとき。
違和感が一気に、あふれ出した。
「……あ、れ……?」
おかしい。
『どうかしましたか?』
「枢機卿……」
冬は、枢機卿を疑うようにじろじろと見る。
『なんですか、失礼な』
「いえ……あの……」
『?』
こんな時、必ず、傍にいるはずなのに。
なのに、いないのだ。
彼等がこの異様さに気づいていないことにも、違和感がある。
それが、一つの違和感の正体。
感づく。
ぐるりと見渡してみて、気づく。
もう一つの、違和感を。
「スズは、どこに、いますか?」




