第112話:『彼女』を知る彼
『どうかしましたか? ハーレム野郎』
二人の美女に抱きしめられている冬に、いらっとした表情を浮かべる枢機卿に声をかけられ、水原さんとは違って表情豊かなんですね、と、枢機卿を見てほっこりする冬。
スズに改めて目を向けると、スズは二人の突撃に呆れた表情を浮かべて冬の傍にいた。
「……冬? どうかした?」
気のせい……?
「いえ……無事でよかったです」
いつもと変わらないスズ。
そのスズに違和感を感じるなんてそんなことはないはず。
じっと見ても感じられないそれは、疲れのせいだと考え忘れることにした。
『ピュア、貴方も無事で』
「逃げようと思えば『幻惑』でいくらでも逃げられるからねー」
「幻惑……」
自身の貞操の危機を思い出してぶるりと震えてしまうその技の名に、冬は自身の危機以外にも引っ掛かる《《なにか》》を感じた。
「おや。ピュアも着いたのですね」
「姫ちゃーん。冬の護衛お疲れさ――」
食堂に、唐突に姫の声が聞こえ、ピュアがその声に顔を向けて固まった。
「なんちゅう格好してんだお前は……」
いつものメイド服とは違い、ドレスのような白い服を全身に纏う姫だ。
それが本当にドレスであれば、誰もがほぅっとため息をつく程に、白とその美貌が際立ち惚けてしまうだろう。
「格好?……ああ、御主人様と先程までいましたから。眠られたのでこちらに」
だがそれは。
彼女の身を包む衣服が、シーツでなければ。である。
「際どい……はる、ああいうの、好き?」
「俺に振るな……冬に聞け」
「僕にも聞かないでください……」
シーツで最低限の場所を隠しただけの、服がなくて緊急的に近場のシーツで隠したかのような姿でなければ、誰も何も突っ込まなかったはずだ。
「姫、ほどほどなの」
「ナオ様、姫は我慢しませんよ」
ナオが「むぅ」とむすっと頬を膨らませて不機嫌そうに唸る。
「二人とも。そこまでにしなさいな」
もう一人。
その声に、ナオと姫も、静かに。
「おはよう、お姉たん」
「おはようございます。碧様」
「はい。二人ともおはようですの。……姫ちゃんは、お兄ちゃんをもう少し自由にしてあげてね? ボク達もお兄ちゃんと一緒にいたいんだから」
「はい。善処します。ですが、お二方とは違って数日ぶりでしたので」
姫が御主人様以外に従う人を見るのは、これでナオを含めて二人目だった。
この四人は、深い絆があるんだろうと思うと、御主人様が羨ましく冬は思う。
「あ。永遠名さん。お目覚めになられてよかったですわ」
「ひっ……」
ただ、冬は。
その彼女の姿、その笑顔に、反射的に恐怖を覚えた。
「あ。皆さんもよかったらお食事でも」
その手によって作られたあれが、冬の脳裏を掠める。
だが、それは杞憂に終わった。
その場にいたファミレスの従業員や、外にいる許可証所持者達が全員入ってもまだ余るその食堂に、彼女の指示で一席ごとに現れる食事。
「お口にあえば、いいのですが」
碧の声にずらっと一斉に現れる美男美女の執事とメイド。
それらが一斉に配膳し、一糸乱れぬその動きに食事の準備がすぐに出来上がる。
「では、皆様も、ごゆるりと」
冬は、彼女が手を出さなければ安全である食事にほっとしながら席に座った。
「おーい。なんか、俺の親友が干からびてんだけど。なにがあったんだぁ?」
そこに、更にこの屋敷の滞在者が合流した。
「つーか。メイド……。お前は、なんて格好してんだよ」
「黙れ俗物。御主人様を搾り取っただけですよ」
「あぁ……だから。――って、つやつやなのはそういう話かよ」
「御主人様がそこにいるのですから。食べますよ?」
「食べ……え。二日間……?」
二人の下世話な会話に、思わず間に入る。
冬が寝ていたのは二日間だ。
あの時拉致られた御主人様と姫がずっと一緒にいたなら、それは――
「はい。二日間ぶっ続けました」
それは……。
永眠されたのではないでしょうか。
と。
同級生の安否を気遣いながら、遅れてきた男性を見る。
見たことのない男性だ。
御主人様を親友というその男は、サンタが身に付けているような帽子を被った、左目の下に泣きぼくろがあるのが特徴的な男だ。
「あ。初めて、だよな? 俺は御月神夜ってんだ」
御月神夜。
彼はそう名乗ると、当たり前かのように冬の隣に座って、食事を所望した。
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「永遠名冬。これのことは俗物と呼んであげなさい」
「いや、そう呼ぶのお前だけだかんな?」
「貴方と同じく、御主人様を狙う方なので俗物で十分です」
「「狙ってないし」」
席につきだしたファミレスの従業員達が、まだ落ち着かずざわざわと不安の声をあげているなか。
「俺さ、お前と話がしたかったんだよ」
何事もなく話しかけてきた神夜は、冬の隣に座ると、冬を見た後、対面に座り食事をする松と瑠璃をちらりと見た。
「……『準成功体』が、三体」
「じゅん――え?」
「で、『苗床の成功体』も……。彼女がさ、無事助かって、普通の生活ができていることもそうだし、お前らもこうやって話が出来ていることにも、俺は嬉しいし、そうであってよかったって――」
何を。
何を言っているのですか?
思わず、言葉を失いながら、冬は神夜をまじまじと見てしまった。
それはその言葉を向けられた冬以外の二人――松と瑠璃もそうである。
「何を、いっとんのや?」
「準成功体? 君の口振りからすると、僕達のことを君は知っているみたいだけど」
神夜の発言のどこかが勘に障ったのか、瑠璃の瞳が開く。
「いきなり、変なことを言うのは、あまり好みではないかな。殺すよ?」
瑠璃から、辺りに撒き散らされるは、殺意。
一般人を巻き込まないように放たれた殺意は、びりびりと、物理的な衝撃を伴っているかのように神夜を襲う。
「おーこわっ。……知らないわけではないけど……ていうか、お前らが……知らない?ってことにこっちが驚くわけで――」
裏世界で誰もが恐怖するであろうその殺気をものともせず適当にあしらいながら、返された言葉に戸惑う神夜。
その神夜のいったことに、冬はひとつの仮説に行き着いていた。
それは――
「苗床……それはまさか――」
スズのことではないか、と。
その言葉が何を意味しているかは分からない。
むしろ、そのような言葉を人に、ましてや女性に使っていい言葉とも思えない。
だが、それは、先ほどの神夜の発言から確実に、『彼女』という言葉が『スズ』であると、確信を持てるほどに、冬は理解できてしまっていた。
スズの正体、スズが隠していること、スズから聞きたいこと、自分が知りたいこと。
それらを全て。
この目の前の、『神夜』という男は知っている。
それは、自分よりも。
スズのことを知っていて、さらには松や瑠璃、そして自分のことさえ知っているかのような口振り。
今、ここで。
彼からその言葉の意味を知るべきではないのか。
その言葉を、スズではない別の人から聞くべきなのか。
それを、許せるのか。
この男が伝えた短い内容は、スズだけのことでは終わらない。
もしかしたらそれは。
なぜか情報のない、三人が探す家族の手がかりにも通じているのではないか。
それであれば、今この場で、この神夜という男に聞けば、自身の姉のことがわかるのではないか。
そんなことさえ、冬は思ってしまう。
先の神夜の発言。
『準成功体』と『苗床の成功体』。
それは、確実に。
自分達の関係性を安易に説明し、それが裏世界の何かしらにも繋がっているようにも思える。
それであれば、いっそのこと、皆がいる前で。
この男から全て聞いてしまえば、いいのではないか。と。
『永遠名冬』
「ピュア、春、ここの馬鹿を落ち着かせなさい」
そんな考えへと深く落ちていく冬を引き戻したのは、冬の左右の肩に優しく置かれた、姫と枢機卿の手だった。




