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小話5(キスの日SS)



「ヴィオラちゃんヴィオラちゃんヴィオラちゃん!!」

 監視の塔に、どたどたと裸足で駆けまわる音がする。

 陽はかなりの角度まで登っているがベッドから出てこなかったヴィオラを、レイフが起こしに来たのだ。ちなみに彼は早起きしたわけではなく、単純に徹夜をして寝ていないだけである。


「おはよう、ヴィオラちゃん! 朝っていうかそろそろ昼だよ! あのね、今日って」

 ばーん、と扉を開いて現れた男に、ヴィオラはクッションを投げつける。ぼふん! と顔に当たった柔らかな感触に、レイフは情けなくも倒れた。

「ひどい! 愛する恋人になんて仕打ち!」

「……ひどいのはどっちよ。朝からうるさいったらありゃしない」

「だから、もう昼だもん……」

 のそのそとようやく起き上がったヴィオラの顔色は、悪い。レイフはハッとして空気すら震わせないように静かに動くと、半身を起こした彼女に相対するようにベッドに腰かけた。

 それから恭しく恋人の頬に触れる。

「具合悪いの? ヴィオラちゃん」

「ん……体は平気だけど、この時期は頭が痛くて」

 ひんやりとしたレイフの掌が心地よくて、ヴィオラは自らそれに頬を擦り寄らせる。普段懐いてこない猫が気まぐれで撫でさせてくれたような感動を覚えつつ、レイフはヴィオラのことが心配になった。


 人間はか弱い。ヴィオラは戦闘能力は高いけれど、体自身はごく普通の人間のものだ。

 レイフのように、ナイフで貫かれても死なない身ではない。

「っ、死なないでヴィオラちゃん~~~~」

「勝手に殺すんじゃないわよ!」

 縁起でもないことを唐突に言い出した、彼の思考の飛躍にヴィオラは拳骨で応える。しかしそれにいつもの威力はなく、悔しそうに彼女はレイフの胸に頭を預けた。

「ヴィオラちゃん~~~~」

「大丈夫……病気とかじゃないのよ、季節の変わり目に少しこうなることが多いだけで」

 気圧の影響なのだが、それを知識として知らないヴィオラはただひたすら耐えるしか手段を持たない。

 仕事があれば無理をしてでもベッドから出ているのだが、幸い今日は休みの日。この大きなお子ちゃまさえ大人しくしておいてくれるのならば、ベッドの住人をしていても問題はない。

 一方レイフとしては病気でも怪我でもないのならば、回復魔法を使うわけにもいかず手をこまねく。

「ひ、冷やすのと温めるの、どっちがマシかな?」

「んー……頭は冷やす方がよさそう」

「わかった」

 そっと彼の唇がヴィオラの額に触れ、またレイフは静かに動いて部屋を出て行く。一度起こした体をまた倒すと頭痛がひどくなりそうで、ヴィオラはクッションをヘッドボードにたててそれに凭れかかった。


 溜息をつくと、寝室の空気はどこか密度が濃いように感じる。ベッドの下に停滞していくかのようなそれは、レイフがいる時はその空気が和らぎ頭痛が少しマシになったかのようだった。

 勿論、気の所為なのだろうけれど。

「……早く戻ってこい、バカ」

 自分で用事を申し付けておいて勝手は承知で、ヴィオラは小さく呟いた。


 やがてそう待つこともなく、レイフがまた静かに部屋に入ってくる。その途端、やはり僅かに空気が緩む気がしてヴィオラは眩しそうに目を細めた。

「起きてて平気?」

「今は起こしてる方がマシかな、て」

「そっか……」

 眉を八の字に下げた彼は、持って来たものを一旦サイドテーブルに置いて今度はヴィオラと並ぶようにしてベッドに座り片腕を彼女の腰に回す。

「レイフ?」

 不思議そうにヴィオラの朝焼け色の瞳がレイフを見上げ、その澄んだきらめきにそんな状況ではないのにレイフの胸はときめく。

 ヴィオラのことが好きだ。彼女を特別大切にしたい。

 彼女が、自分のことを特別愛してくれているのと、同じように。それ以上に。

「体を起こしてるなら、僕が持っておくね」

 レイフは適度な溶け具合の氷嚢をタオルで包んだものを持って、そっとヴィオラの頭に当てた。彼の指先から僅かに金の鱗粉のような光が煌めき、氷嚢を同じ温度でキープする魔法がかかる。

 さらりとこなしたが非常に高度な魔法であり、体系だって構築するつもりが彼にはないので世紀の発見は見送られてしまった。

 この国の平和を守るのは、また明日から。今大切なのは、ヴィオラのことだけだ。


「……腕、疲れない?」

「ヴィオラちゃんの為なら頑張る」

 ひんやりとした氷嚢のおかげでヴィオラは呼吸が楽になったが、それこそ氷嚢を魔法で留めておけばいいようなものの、当のレイフは楽しそうだ。

 もう少しだけ甘えよう、とヴィオラはレイフに凭れかかる。

「あと胃に何か入ってた方がいいかと思って」

 空いている方の手で渡されたカップには、ハーブの香りが僅かにするレモネード。

 カップを受け取り、ヴィオラは僅かに傾けてそれを飲む。それほど熱い温度ではなかったのに、中に入っているハーブのおかげなのか胃の中がじんわりと温かくなる心地がした。

「……美味しい」

「よかった。もし眠れそうならこのまま寝ても構わないよ」

「……うん……ねぇ、さっき、最初に部屋に入ってきた時、何を言おうとしてたの」

 カップの縁を指先で辿ると、ヴィオラはそう訊ねる。

 ああ、とレイフは苦笑した。優しい彼女は、いつもこうしてレイフの小さな言葉を拾ってくれるのだ。少々過激だけれど、そこも大好きだ。


「あのね、今日はキスの日なんだって。だからヴィオラちゃんとキスがしたいなぁ、と思ったんだけど……キスは明日でも出来るからね」

 労わるように様に穏やかな声で言われて、ヴィオラは唇を尖らせる。

 この男は普段は傍若無人のくせに、どうしてこういう時に限って遠慮するのだろう?

 彼の我儘なんてせいぜい熱々の揚げ物が食べてみたい、だとかヴィオラちゃんと一緒に星が見たいだとか、他愛のないものばかりなのだ。


 もしも星を取ってきて欲しい、と言われても、ヴィオラは愛するこの男の為に、星であっても月であっても取ってきてやるのに。


「ふーん……しないんだ、キス。今日は休日なのに? レモネードと氷嚢で、かなり回復したのに?」

 挑戦的にそう言うヴィオラに、レイフは赤い瞳を瞬く。それでも僅かに回復したとはいえ、まだ彼女の顔色は悪い。

 明日も明後日も、ずっと一緒にいる約束をしているのに、今日彼女に無理を強いるのは申し訳なかった。

「ヴィオラちゃん……」

 子犬のように眉を下げる恋人に、さらに彼女は畳みかける。

「明日は忙しくて無理かもしれなくて、今日、今、私の唇は空いてるのに?」

「うう……誘惑しないで」

 きらりと光る瞳。この瞳に逆らえる筈もない。

 いつだってレイフは彼女に無条件降伏なのだ。


「私に勝とうなんて、百年早いのよ」

「あー……もう、今日もヴィオラちゃんは最高だね」

 そっと氷嚢を外して、レイフはヴィオラの頭を引き寄せる。僅かに香るハーブの香り。

 笑みの形の唇に、彼はとびきり優しくキスをする。

「当然」


 キスは、レモンの味がした。



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