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柔らかいキスの感触に目を覚ますと、レイフの視界には美しいヴィオラの顔が広がっていた。
「……え、何この幸せ空間」
「いや、熱計ってるだけだからね」
スンとしたいつもの整った表情が遠のいてしまうのを、レイフは残念な気持ちと共に見送る。
長い時間を遡っての過去視を行ったレイフは、案の定オーバーヒートを起こして寝込んでいた。極度の疲労による熱であり、病気でもないし元々体質的に薬が効かない彼はただひたすら体を休めるしか回復の方法がない。
モニカ達に襲撃されたあの夜から、既に三日が経っていた。
実はあの襲撃の夜、この監視の塔に張り巡らされているセキュリティの魔法は、レイフの研究部屋に限りわざと穴を作っておいたのだ。
刺客の方はモニカが塔へと入った時の魔術的な痕跡を鍵としてセキュリティを突破したと考えているのだろうが、年季の入った引き籠りを舐めてもらっては困る。それぐらいの細工はお手のものなのだ。
さすがに千里眼の魔術師が本気で調べてもモニカを狙う犯人が判明しないのはおかしい。
やがて不審に思ったヴィオラ達にモニカを疑わせて、囮である彼女の過去を視る為にレイフが千里眼の力を使わせることで無防備になった彼を殺害する、というのが犯人側の計画だった。
対して、その過去視の際に無防備になるレイフまでもを囮に使うのがこちらの作戦だ。
結果稀代の魔術師がわざと作った魔法の脆弱な魔法の穴に見事引っ掛かった刺客達は、あの夜あの場所に誘い出されたという次第だった。
それならば危険を冒してわざわざ過去視を行わずとも、フリだけでも良かったのでは、とヴィオラは作戦を聞いた際に抗議したが、あの時点ではまだモニカの関与も決定的ではなかったし襲撃に来ることも確定ではなかった。
過去視自体も必要だったのだ。それによってモニカの過去が分かり、そのレイフの言葉はエルドラドにおいて確かな証言として扱われることとなる。
「熱はかなり下がったけど、調子に乗って起きちゃダメよ」
レイフに背を向けたヴィオラは、看病の為に用意したタオルを畳んでいる。
しかし先程の感触は間違いようもなく、キスだった。ヴィオラちゃんは熱を計る時には誰にでもキスをするの? とはさすがのレイフも言わない。言ったが最後、怒って二度とキスをしてくれなくなるだろうからだ。
その代わりに彼は別の言葉を唇に乗せる。
「モニカ嬢のことはどうなったの?」
「きちんと司法の元で裁かれているわよ」
モニカはホーランドの貴族令嬢でも何でもなく、エルドラドの地方都市であるホーランドからの船が着いたと思われていた港街の高級娼婦だった。
愛らしい顔と如才ない仕草は仕事柄、ホーランドの言葉などは港街という場所柄身につけたものだったのだ。
ホーランドからの留学は、驚いたことに当の貴族令嬢が体調を崩したので一時休止していたことが港街に直接調査に向かった者の調べで発覚した。
その件に関して、留学制度のエルドラド側責任者であるナフトン伯爵がそれを隠蔽し、モニカを留学生の令嬢に仕立て上げたのだ。
「言われてみれば、塔を襲撃した際のモニカは完全にエルドラド語を話していたしね」
それまでは片言の大陸共通語や流暢なホーランド語で話していたのだ。
「……ちっとも気づかなかったなぁ」
「刺客としてはイマイチだけど、女優としてはなかなかだったかも」
ヴィオラは、レイフの氷枕を変えてやりながら苦笑する。
個人的に貿易会社を所有しているナフトン伯爵は、他国との貿易に際して自分の会社を融通し富を得たかったものの、それにはレイフと彼の作ったシステムがどうしても邪魔だったのだ。もしも、貿易による利権を伯爵が独占出来れば莫大な資産となり得る。
その為にエルドラドの情報の守りの要である千里眼の魔術師を殺めようと決意する程に、ナフトン伯爵は金に目が眩んでいた。
しかし彼とて、ホーランド貴族令嬢の急な体調不良、という出来事さえなければこんな大それたことは思いつかなかったかも知れない。
しかし、千載一遇のチャンスに伯爵は思いついてしまった恐ろしい計画を止めることができなかったのだ。
実際、最後の最後、千里眼の魔術師の侍女が恐ろしいほどの戦闘要員だという事実さえなければ伯爵の計画は上手く行ってしまっていた可能性は大いにある。
何せ同じ王城に勤めているだけあって、ナフトン伯爵のレイフの千里眼に対する対策はかなり効果がありヴィオラが齎す情報がなければモニカを疑うことも、過去視の際に無防備になるレイフを狙う、という計画にも気づくことは出来なかった。
千里眼が完璧ではないことも、レイフの敷いた監視システムが全てを網羅出来ているわけではないことも浮き彫りになり、体調が回復すればレイフはしばらくシステムの再構築に時間を取られることだろう。
「……あの時」
レイフがぽつりと呟くと、ヴィオラは首を傾けた。
「ヴィオラちゃん、本当はすごく怒ってたでしょ」
「…………そうね」
認めるのは業腹だったが、確かにモニカの煽り文句に激怒していた。
レイフが毒でも刃でも死なない身であったとして、それをモニカに責め立てられるのは筋違いだと思ったし、何より自分の愛する男に対して死んでしまえ、などと言われて腹をたてない者は、愛を抱いているとは言わないだろう。
ヴィオラは、レイフが言うように彼がバケモノだったとしても気にならない。彼を愛しているから。
生きることを罪だなんて、絶対に言われたくなかった。
「あれを見てね、思ったんだ。あー僕ってばヴィオラちゃんに愛されてるなーって」
ふふ、乙女のようにはにかむ男に、ヴィオラは眉を顰めてみせる。照れ隠しだ。
こういうことにはすぐ気づくくせに、レイフはヴィオラの心の機微には疎い。しかし今は、随分と納得した様子で頷いていた。
「それで分かったんだ。僕が誕生日、言わなかったから怒ったんじゃないんだね」
いや、言わなかったのも怒っているが。
そう思いながらヴォイラは黙って彼を見つめる。
「ヴィオラちゃんは、僕が僕のことをバケモノだって決めつけて、愛される資格がないって思ってることに、怒ったんだね」
「……」
再度セキュリティの魔法を完璧に掛けなおした監視の塔には、王城の喧騒も届かず静かなものだ。
うららかな昼下がり。乾いた空気の中、遠くで僅かに聞こえる鳥の羽ばたき、レイフが身を起こす衣擦れの音だけがやけにクリアに聞こえた。
「僕って既に、ヴィオラちゃんにたくさん愛されてるから、その資格がないなんて思うのはヴィオラちゃんに失礼だったね」




