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「じゃあ、後はよろしくねヴィオラちゃん」
レイフが軽く言って、魔法陣の中央に立った。
すると陣が輝いて金の鱗粉をふわりと漂わせる。
魔法の干渉を受けない様に部屋の隅でじっとしながら、ヴィオラはレイフの様子をじっと見つめていた。
基本的に未来は定まっておらず、無数に枝分かれしていく。その中で決定的な確定した未来を視ることが出来るのが未来視。これはレイフにはあまりコントロール出来ないようで、聖女の件の時の様に突然ヴィジョンが彼の脳裏に流れ込んでくることも多いのだとか。
しかし過去視の方ならば既に過去に起こったことを視る為、こちらはかなりレイフにとって制御出来る力らしい。ただし正確な時間や位置、もしくは人物に関する情報が必要で視る箇所をピンポイントで絞り込むことが肝要なのだと彼は言った。
とはいえ、他にヴィオラはレイフ以外に千里眼を持つ者を知らないし、レイフ自身も同様。千里眼の力の使い方や細かい性質を説かれたところでどうしようもないのだ。
それでも当然レイフはそれらのことを誰にも喋ったことはない。
雇い主である国王には出来ること、出来ないこと、リスクを伴う範囲などの説明をしてあるのだが、それも国王の方でも使用説明ぐらいのつもりで聞いていた。
ヴィオラにだけだ。
ヴィオラにだけ、千里眼の魔術師のことをバケモノ扱いしない彼女にだけレイフは自分のことを知って欲しくて説明していた。
過去を視に潜ること自体に物理的な危険はない。
だが、時間が経ち過ぎていたり距離が離れ過ぎていたるすると深く潜ることになり、元の自分のいた時間軸を見失って浮上出来なくなる可能性があるのだ。
その為、エルドラド国王は国土の中心にあるこの王都の、王城に千里眼の魔術師を置くことを厳命している。
レイフがどこにも行けないのは、そういう理由もあった。
以前その国王の命令で何十日も遡って過去に潜った時は、戻って来るのにとても苦労したしその後レイフは何日も昏睡状態に陥った。魔力切れだ。
生来膨大な魔力を持って生まれた彼には滅多にない体験であり、通常の魔術師が一晩休めばかなり回復するところを、数日の完全な昏睡を要した程である。
でも、今回のレイフに迷いはなかった。恐ろしさも、ない。
金の鱗粉の向こうで、美しい顔を苦虫を噛んでいるかの様に盛大に顰めている、愛しい女性をこっそりと見遣る。
この魔法に対して自分に出来ることがないのがもどかしいのだろう、ヴィオラはまるで暗殺対象でもあるかの様にレイフをギロリと睨んでいるので、つい彼は興奮してしまう。
あんな風に彼女の意識を全て奪って見つめられていることに、レイフは快感を感じた。言ったら変態と罵られてしまうだろうか、それもちょっとイイな。
不穏なことを考えているのがバレたのか、ヴィオラは聞こえよがしに盛大に舌打ちをした。
「さっさと行って、さっさと帰ってきなさい! ダーリン」
パァ、とレイフの表情が輝く。
ダーリン、ハニー、と呼び合うのはいつものことだが、これはレイフが巫山戯て始めた呼び方でヴィオラはそのジョークに付き合って呼び返してくれているだけだった。
今初めて彼女の方からダーリン、と呼ばれ、そして二人は冗談ではなく本物の恋人同士なのだ。
「オッケー、ハニー!」
レイフは元気一杯に返すと、魔法に集中する。
何も怖くない。
早く帰って来いって言ってくれる人が、待ってくれているから。
魔法陣の文字や記号が金色に輝き、レイフを飲み込んだ。
大きな卵の様な形に彼を覆いつくし幾重にも魔術文字が帯となって張り巡らされて、その隙間から僅かにレイフの白い髪が見えるだけ。常に文字は蠢いていて、常時魔法が展開していることが素人目にもわかった。
それをじっくりと睨みつけるとヴィオラは木製の質素な椅子を引き摺って持ってきて、そこにドカッと行儀悪く座る。脚を高く組んで、そこに頬杖をついてもう一度舌打ちを繰り出した。
全く気に入らない。
本来調査はヴィオラの仕事だ。上司であるレイフに危険の伴う魔法を使わせることは調査員としての名折れだった。
勿論、彼女一人の手に余ることも多くあるだろうけれど、それでも千里眼の力は極力使わせたくなったのだ。
彼が自分をバケモノだと断じて、あらゆることを諦めてしまっていることは明白だ。
だから、ヴィオラは千里眼の力なんかなくてもトラブルぐらい解決してみせられる、レイフが特別なのではない、ということを他でもないレイフに証明してやりたかったのだ。
今回のことは早期の解決が望ましいし、レイフは過去視は比較的制御可能だから、とあっさりと力を使うことを決めた。誰が考えてもそれが最適解なのだろうけれど。
ヴィオラだけが悔しかった。
また調子に乗るから、レイフには言ってやらないが。
魔法の行使中、レイフは無防備な状態になる。
塔にはあらゆる防御システムが張り巡らされているが、モニカの目的が千里眼の魔術師を殺めることだとしたらこれほどの好機はないだろう。
だから今夜彼が過去視を行なっていることは、国王を始めごく一部の者にしか知らせていない。仕事として千里眼の力を使う時は国王に申請する必要があると言うので渋々ヴィオラは報告を許可したが、正直一部の者にでも教えたからには広まる危険性は大いにあると踏んでいた。
何せ、モニカは一度この塔に入っているのだし、未だ彼女は自由に城内を歩いているのだ。少女一人が単独で、近衛騎士やヴィオラ、そしてレイフの目を掻い潜ったとは思えない。
確実にモニカの故国か、この城内に彼女に手を貸している者がいるのは明白だった。
おもむろにヴィオラは足のベルトに仕込んだナイフを一本取り出して腕の上でシュッ、と回す。滑らかな生き物の様にヴィオラの腕を傷つけることなく移動し、再び指先に戻ってきた冷たいナイフの感触に彼女は落ち着くのを感じた。
曲芸の様な技は、ナイフの重さや感触、どの角度どの指で投げても同じ精度で扱える様に訓練した際に自然と出来る様になったものだ。
手遊びにナイフを回しながら、金の魔法の卵を見つめ、それからヴィオラは静かに音もなく立ち上がる。
完璧に整えたいつもの地味な侍女服は、馴染んだ服装なので彼女の動きを妨げるものではない。むしろあちこちを強化してあったり、暗器を仕込んであったりと普段に身につけているドレスだからこそ、戦闘服と言えた。
レイフの魔法は音を立てない。胎動し続ける金の卵に注視するのではなく部屋、ひいては塔全体にヴィオラは意識を向ける。
王城の衛兵詰所の設置されている、監視用の「水盆」という名の魔法具は誰でも扱える様になっているが、この監視の塔にあるその言葉そのままの姿をしている水を湛えた大きな水盆はレイフにしか扱うことが出来ないのだ。
彼が塔から出ていくことは滅多にないので、今まではそれでよかった。しかしこれからもこの生活を続けるのならば、他の方法も考えておかなくてはならない。
ヴィオラには暗殺者としてのスキルしかないのだ。侵入者の監視は専門外。
攻めに特化していて、何かを守る戦いはしたことがなかった。
だが、今はそうも言ってもいられない。
「ここから先は、ご遠慮くださらない?」
ヴィオラは逆手に握ったナイフを、躊躇なく自分の後方に向かって投擲した。




