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「アリス・ウォーレン!お前との婚約を破棄する!!」
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「なんで!??」
レイフはその場で、大声で叫んだ。
だが遠見の魔術で大広間を監視しているだけの彼では、かなり距離のある場所で今まさに行われている婚約破棄の現場を止めることは不可能だ。
「あーもーマズイマズイマズイマズイ。アリス嬢は聖女なんだから、王太子でも餌にして国に縛り付けておかなきゃダメってちゃんと忠告しといたのに、このゆるふわ脳内お花畑下半身野郎は、何おっぱいデカイだけの股の緩い女にオとされてんだよ単純馬鹿!脳みそ海綿体!!」
大きな水盆にくっきりと映る大広間の様子、レイフには一方的に音声も伝わる。
王太子がありもしない罪をでっち上げてアリスを糾弾している姿がまざまざと映し出されているし、情けなくなるようなお粗末な王太子の口上もレイフの耳にばっちりと届く。届いてしまう。
伯爵令嬢アリス・ウォーレンに婚約破棄を突き付けたのは、ビックリ!この国の王太子・クリストファー王子殿下だ。
アリスは伯爵令嬢である前に、神託を受けた聖女である。聖女が他国に流出することを阻止する為に、次期王妃という席を用意し、アリスにこの国に留まってもらっていたというのに。
ここにきて下半身ダルダル野郎、もとい、王太子がアリスの腹違いの妹・ミーシャと婚約すると発表する事態。
この状況を逐一監視していたのは、通称”監視の塔”の千里眼の魔術師、レイフ・ギフテッド。
天才の名を欲しいままにし、魔道具の製作にかけては右に出る者はいないと言われている当代随一の魔術師だ。
ただし、重度の引きこもりである。
水盆で国家の大事になりそうな芽を逐一監視し早めにその芽を摘み取るシステムの構築を、王命として請け負っているのだが、彼自身は監視の塔から出ることはない。
「聖女は義妹虐める程暇じゃないっての!朝の祈りに午前は次期王妃教育、午後からは狸狐の化かし合いのお茶会、懺悔室での御勤め、夕餉前にまたお祈り!アリス嬢も呆然としてないでここでこそガツンと反論しなよー!屁理屈で事実が捻じ曲げられて冤罪は生み出されるんだよ!!たくさん見て来た僕が言うんだから間違いない!」
その水盆の周りをぐるぐる回り、レイフは机の上にごちゃ、と置かれたガラクタの中から、水晶に金属盤が溶接された道具を手に取った。
その金属盤には番号が彫ってあり、双子水晶の片割れを持っている者に魔力があれば遠く離れた相手であっても会話が出来るのだ。
レイフの秘密道具、助っ人召喚である。
ただし、助っ人にヤル気があれば、の話だが。
「ヴィオラ?ヴィオラちゃん?返事してお願い、俺の将来と首が物理的に危ない!」
監視の塔から、遠く離れた城内の一角で、返事がする。
「…………あんたの首には興味がないけど、あんたの将来が潰れると私のお金も危ういわよね」
レイフが水晶に向かって必死に呼び掛けると、一年の3/4は雪で覆われている北の国の夜もかくや、という冷たい声がその水晶から聞こえ、彼は歓喜した。
『ああん、今日も冷たい声だねぇ、そこがいいよ、君は!今ドコ?何してた?』
「え……すごいキモい人に誘われてるみたいな気がするから、切るね」
『切らないでぇぇぇ!!君のお金がピンチだよ!!』
レイフが叫ぶと、水晶に供給している魔力を止めようとしていたヴィオラが止まる。
ヴィオラ・ワイエス。
レイフの唯一絶対の外へのトリガー。表向きは王城で働く侍女として動いているが、その実は千里眼の魔術師の手足となって問題を解決するエージェントである。
ちなみに、ドのつく守銭奴。金に興味のないレイフの給料は、魔道具製作にかかる分以外はほとんど彼女に流れていた。
「それは困るわ。ダーリン、何をすればいいの?」
『頼むよ、ハニー!君、今、大広間付近にいるよね?』
「なんで知ってるの、キモい」
『遠隔会話水晶は僕の開発した魔道具だから、位置把握は出来るようになってるの知ってるでしょ!』
レイフは会話と、監視と、将来の不安で千々に乱れる情緒と、で大変忙しい。
彼が無駄な会話をしている間にも水盆の中の光景は刻一刻と事態を悪くしていっていた。
「それで、私は何をすればいいの?」
ヴィオラの落ち着いた冷たい声は、レイフの煮立った思考を少しだけ落ち着かせてくれる。
彼は水盆を見つつ、状況を確認して決意に満ちた表情を浮かべた。
『事故に見せかけて、王太子を気絶させよう!!』
「それ暗殺未遂で私が捕まるわね?」
呆れたヴィオラの声は、まだワントーン冷たくなれるらしい。
『それは困るぅぅ!!』
「…………いっそ、未遂じゃなく、後腐れなく王太子を殺しましょうか!パッカーン!と」
名案!とばかりにヴィオラが微笑んで言うと、レイフは頭を抱えてのたうち回った。何をパッカーンとするつもりなのか、怖くて聞けない。
『めっちゃ後腐れるぅぅーーー!!!』
「なんで?害悪の芽を早めに摘むのが私達の仕事でしょう?社会正義よ、民の為よぅ!」
甘い声で彼女は強請るように言うが、レイフは騙されないぞ!と反論した。
何を隠そう。
ヴィオラは、元々他国に雇われて”千里眼の魔術師”であるレイフを殺しに来た、暗殺者だ。
塔に侵入した際に、彼の製作したおかしな魔道具に捕まり、死を覚悟していたところを当のレイフにスカウトされて今の職務に就いた曰くつき。
ことあるごとに対象を殺して問題を解決しようとする点と、他に頼るものがない為異常に金に執着しているところが、玉に瑕、とはレイフ談である。
『ヴィオラちゃんは、面倒くさい時はいつも殺して済ませようとする!言っただろう!?僕は君に二度と殺しの仕事はさせないって!!』
レイフの叫びを聞いて、ヴィオラはほんのり頬を赤らめる。
どうかこの様子は見られていませんように、と祈りながら、努めて声はいつも通りの冷たさを装った。
気取られるのは、なんか悔しい。
「……えー?何、つまり……とりあえずアリス嬢が他国に流れなければいいの?」
普段通りを装った、訝し気なヴィオラの声にレイフは飛びついた。
『そう!それ!替えの利く無能王太子より、唯一無二の聖女様優先!!』
きっぱりはっきり不敬発言のオンパレードだが、この監視塔はその職務内容から防音防聴は完璧なのだ。
その為、本来ならば国の認可の降りた専用の通信機でしか外との交信は出来ないのだが、そこはそれ。
双子水晶という珍しい鉱物と、レイフの異常な魔導具製作技術の成し得る抜け穴である。
「……お安い御用よ」
にやりと笑ったヴィオラは、踵の音を高らかに立てて大広間に辿り着いた。