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彼の纏うくしゃくしゃのローブの腹に、長い包丁が突き刺さっていて、ミーシャが慌てて刃を引くと鮮血が溢れ出る。
「……何よ、これぇ!?誰よ、あんた!?」
ゾッとしたヴィオラだったが、彼女は咄嗟にミーシャの首筋に手刀を当てて、気絶させた。
崩れ落ちるミーシャには目もくれず、ヴィオラはレイフの傍に膝をつく。
「レイフ!!しっかりして。誰か!医者を呼んできて!!」
彼女が叫ぶと、何人かが慌てて部屋を出て行った。
「はは……大丈夫だよ、ヴィオラちゃん。僕は腹を刺されても死なないのは、君だって知ってるだろう?」
「死ななくても痛いんでしょうが、馬鹿!」
ヴィオラはレイフのローブを引き裂き、傷を露わにする。病的に白い肌には生々しい拷問の傷痕があり、それを見た周囲の者は息を飲んだ。
傷痕なんて、ヴィオラにも山ほどある。仕事に支障が出るので、目立つ箇所にはないだけだ。
ドレスを裂いて、止血用の布にしようとした彼女はレイフの傷に付きまとう、黒い靄のようなものを認めて、顔を顰めた。
「……レイフ、これ何」
レイフは、観念したようにぐったりとヴィオラの胸元に頭を寄せる。
「あ、ヴィオラちゃんの胸、やわらかーい」
「馬鹿言ってると、今すぐ息の根止めるわよ」
「……こわ」
ヴィオラは、その黒い靄を振り払うように手で振ったが、靄はちっとも動かない。
実は先程のクリストファーを取り巻いていたものと同じものなのだが、彼の周囲にあった時は魔力の低いヴィオラには目視出来なかったのだ。その色の薄いものよりも、もっとずっと重苦しい雰囲気を宿している。
「……これって、呪い?」
初めて目視で確認したものに、ヴィオラは信じられない、と口にする。
呪いと聞いて、周囲は怯えたように彼らから距離を取った。
「……うん、そう。あー……聖女の資質がミーシャにもあるっていうのは、本当で。彼女の方は、その力を扱う性質を悪い方向に使っちゃったみたいだね」
「え……」
ヴィオラに庇われた位置のまま、呆然と成り行きを見ていたアリスが驚いて声を出す。
顔色を失くしたヴィオラに、にっこりと微笑みかけようとしてレイフは失敗する。ごふ、と咳をすると、口からも血が溢れてしまったのだ。
身の内を食い尽くさんと侵攻してくる呪いは、焼けるような熱を持っていた。呪いに掛けられたのは久しぶりだが、相変わらず例えようもない程苦しく、そして不快だ。
でも、守れた。
「ヴィオラちゃんが、無事でよかったぁ」
へらっ、と笑ったレイフに腹が立って、ヴィオラは咄嗟に彼の頬を引っぱたいた。
ぱちん!と彼女にしては弱弱しい攻撃だったが、まさに死にかけのレイフには大ダメージだ。
「……ひどくない?」
「馬鹿!!身を挺して庇うとかじゃなく、すごい魔術師なんだから、凶器の方を弾くとか他にやりようあったでしょ!これだから童貞は視野が狭いのよ!!」
「すごくひどい!!」
ごふっ!と盛大に血を吐きながらレイフは涙目になった。
感謝して欲しいとは思っていなかったが、ちょっとぐらい褒めてくれてもいいのではないだろうか。
「私が助かってもあんたが死んだら片手落ちでしょうが!褒めないわよ!」
ヴィオラはそう怒鳴りつけると、ぐるりと首を巡らせた。
「アリス嬢!」
「は、はいっ!?」
怒鳴りつける勢いで名を呼ぶと、傍に立ち尽くしていたアリスがびく!と震える。
「今こそ聖女の奇跡を見せつけてやるチャンスよ!この視野激狭童貞魔法使いをぱぱっと癒してやってちょうだい!!」
ヴィオラの啖呵に、アリスは戸惑う。
「え、でも、奇跡なんて起こしたこと、ないのよ……?」
「それでもやってみせて!こいつが……臆病で意地っ張りで、無駄なことばっかりする、こいつが死んだら、困るでしょうが!」
ヴィオラが怒鳴ると、息も絶え絶えのレイフが唇を尖らせる。
「……ヴィオラちゃん、僕のこと……精神的に、殺そうとして、る?」
「もうあんたも喋るんじゃないの!」
ヴィオラは彼のことも怒鳴りつけ、アリスに手を伸ばす。
「聖女が、本物なんだっていうなら、この人を助けて。……お願い」
勝気な彼女の瞳に、涙が浮かぶ。
それを見て、アリスは決意した。ここで、奇跡の一つも起こせないで、どうして聖女を名乗っていられよう。
自分の為ではなく、人を、愛する人を、助けて欲しいという懇願を、撥ね退けられるものなどいない。
「やってみるわ……!」
アリスはそう言ってぎゅっ、とヴィオラの手を握ると、レイフを抱きかかえた彼女の傍に膝をついた。
回復魔法なら、元々アリスは使うことが出来る。
しかし、只人が視認出来る程に育ったこの呪いは、強力すぎる。聖女たるアリスには、それはあまりにも醜い欲に塗れたものに見えた。一目見ただけで、レイフの肉体と魂が内側からこの呪いに食い荒らされているのが分かる。
レイフは、きっとアリスと同じものが見えている。
己を食い散らかす呪いに、その身と魂を蹂躙されることの苦しさといったら、アリスには想像も出来ない。
けれど彼は静かに、終わりの時を待っているように見えた。ヴィオラに抱きしめられて、その最後の時を待っている、ように。
苦しむ表情も見せず、苦痛に叫ぶこともせず、ただ己の行く末を受け入れ、ヴィオラの顔だけを満足そうに眺めている。
「……ここで失敗したら、歴代の聖女達にあの世で叱られるわね」
ごくり、と喉を鳴らしてアリスは小さな声で言う。
それを聞きとがめたヴィオラは、彼女にだけ聞こえるようなごく小さな声で、応えた。
「もし失敗したら、まず私があの世にお送りしてさしあげますわ、聖女様」
ゾッとするような冷たい声。しかしヴィオラはまるでそんなこと言ってもいない、という風にレイフから目を反らさない。
「あ、あ~……僕のヴィオラちゃんは今日もおっかなくて、綺麗だな……」
「あんたのものじゃないわよ」
きっぱりと言って、ヴィオラはアリスに目配せをした。
「私に、あなたを殺させないでくださいよ、聖女様」
「勿論」
ぐっ、とアリスは腕に力を入れる。
初めてだし、どうなるか分からないけれど、”大丈夫”という確信はあった。
だってアリスは知っている。自分が、正真正銘、聖女だということを。
アリスの掲げた手から、金の鱗粉のようなものが舞う。
それは渦を描いてだんだん集まり、レイフの体へと伸びていった。咄嗟にヴィオラが、彼を得体の知れないものから守ろうと頭を抱え込んだが、アリスに制されてそっと腕を解く。
その頃にはレイフの意識はなく、顔色は真っ青だ。
強気な言い方をしたものの、聖女を信じ切れていないヴィオラは今にも大声をあげて泣きだしてしまいそうだった。
今まで、簡単に摘み取ってきた多くの命。
もしもここで報いを受けるのならば、人殺しのヴィオラの方が相応しい。
生まれて初めて、ヴィオラは神に祈った。
この人を助けて欲しい、代わりになるのならば、この命を捧げるから、と。
金の粉が、黒い靄のようなものをどんどん霧散させていく不思議な光景を、ヴィオラは唇を噛みしめながら見つめていた。
”聖女の奇跡”を。




