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それにしても、とその青い上着と赤い木靴を眺めながら、マリアは思った。
かねがね不思議に思っていたのだけれど、シューレは何時も身綺麗だった。その事自体は当たり前の事として認めていたけれど、よくよく考えると少し可笑しい。彼は毎日同じあの服装で、特に手入れや洗濯をしている事は無いのに、何時も清潔なままなのだ。まるで同じ物を幾つも持っている様に。だが、シューレがフォン・ハイゼンベルク夫妻の元に来た時は、何の荷物も持っていなかった筈である。これは何とも異な事だった。
「ねぇシューレ。貴方、何か私に隠している事は無いかしら?」
そこでマリアはシューレに尋ねて見たが、返って来るのは大した答えで無かった。
「別に何も無いよ。お母さん。そんな事ある訳ないじゃない。僕はあなたの子なんだから」
「嗚呼そう。それならばいいのだけれど」
その言葉に彼女は頷いたけれど、納得はしていなかった。シューレが明らかに動揺していたからだ。切らずに直接刺したヴルストが、中空で黄色く揺れている。切らずに直接なのは何時もの事だが、マスタードの量が普段より多くなっていた。
フォークはそうやって使うべきもので無い事をはっきりと指摘しつつ、マリアはシューレに関する詮索屋の話を思い出した。どうせちゃんと探さなかったのだろうと、流していたのだが、もしかしたら何かあるのかもしれない。確かに、奇妙と言えば奇妙なのだから。
そこで彼女は家政婦やら家庭教師やらに、何か少年に関して気が付いた事は無いかと尋ねて見た。彼等から返って来たのも、やはり大したものでは無かったが、一つだけ面白い事が聞けた。何れの時であれ、シューレから目を離した途端、ふと彼が何処に居るのか、解らなくなる時があるのだという。例えば角を曲がった時、自室に入った時、まるで消えてしまった様に、居なくなっているのだ。暫く経つと、何食わぬ顔で出て来はするのだが、しかし隠れられる場所も無いのに妙な話だ、と、彼等は語っている。
成る程やはり秘密はある様だ、とマリアは思った。そしてその事が、影で隠れて行なっている何かこそ、教養を身に付ける妨げているに間違いあるまい、とも。
そうマリアは頷き、親として教育者として、シューレの悪癖を変える事を固く誓った。
マックスは、少年なんてそんなものだよ、と一言言ってやりたかったが、既に関したくとも関せざる状態に陥っている夫に、妻をどうこうするだけの力は残っていなかった。
そうしてマリアはシューレに対し、以前にも増して意識を注ぐ様になった。彼が何時妙な行動に出るのか監視して、もし行動に出たならば即座に締め上げ、それを是正するつもりだった。少年の方でもそれは気付いているのか、見ている限り、怪しげな行いはしなくなった様だが、しかし解らない。教養はやはり身に付かれないし、それに上着と木靴は、絶えず輝き続けているのだ。見ていない所で事を成しているに相違無い。
マリアは独り頷き、根気良くシューレの様子を見守り続けた。その為に彼がますます窮屈な思いをした事は想像に難く無いが、彼女にとっては、些末な出来事に過ぎなかった。
そして幾許の時が過ぎ、やがてそれは訪れた。