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 この様に、名無しのシュレディンガーは、フォン・ハイゼンベルク夫妻の息子となった。

 名前が無いままでは不都合という事で、シューレという仮の名が付けられて。

 そうして始まった新たな生活は、正に『学校(なまえ)』通りのものであった。

 シューレは、その見た目に反して、マリアが思っている様な教養というものを何一つ備えてはいなかった。会話は得意の様だったが読み書きの類はろくに出来ず、特に書く事に関しては絶望的だった。計算も覚束無い。物を数える時は両指を使うか、直ぐに諦め、三つの数に分けてしまう。即ち『ある』か『無い』か、それとも『沢山』だ。礼儀作法もまるでなっていない。フォークもナイフもちゃんと握る事が出来ず、料理や飲み物は、大皿に瓶から直接飲み食いするのを好み、お陰で彼の周りには食べ滓や染みが酷かった。

「まさかこれ程だなんて……酷い、酷過ぎる、あんまりだわ……」

 そんな少年の様子に、マリアは強烈な眩暈を覚えた。一応予想していたとは言え、彼がここまで無教養だとは、思いもしなかったのである。彼女はシューレをどうしようも無い人間に成り掛けの少年として更に強く哀れに思うと共に、彼をここまで放置していた街の住人達を強く憎んだ。彼等がもっと早く何とかしていれば、ここまで堕落する事も無かったろうに。田舎者の無責任さが、蕾を閉ざし掛けてしまったのだ。

「これではいけないわ……私が何とかして上げなくちゃ」

 マリアは決心した。

 母親として、いや人間として、自分がシューレを正すのだ、と。

 そこでまず彼女は、彼が独りで出歩くのを硬く禁止した。教養無き人間と接する事で、教養無き人間になる事を恐れたのである。勿論一日中閉じ込めるだなんて酷い事はしないが、外に出る時は何か用事がある時で、行くにしても独りっきりでは絶対に行かせない。自分か家政婦、そのどちらか、或いは両方を付けた。責任者として自分が出るのは当然だ。

 家の中に居る時間は、教養を身に付かせる時間であった。自分がかつてそうした様に家庭教師を呼び出して、勉学に励ませ、また作法に関しても講師を付ける事で、何処に出しても何ら恥ずかしくは無い人間となる様、努力させた。その為に仮令何らかの罰を齎したのだとしても、文句を言われる筋合いは無い。これも全て彼の為なのだ。

 それらは徹底的なものであり、朝起きてから眠るまでのシューレのあらゆる時間、行動は、マリアの手の中へと収められていた。街の住人達は、何もそこまで、と思い、実際に言葉に出したが、シューレが外出を禁じられ、マリアが彼等を歯牙にも掛けなかった所為で、その声が届く事は無かった。マックスもまた、何もそこまで、と思い、実際に言葉に出したけれど、彼の声は妻の反論によって空しくかき消されてしまった。

「貴方までそんな事を言うだなんて信じられないわっ。貴方は、私達の子供がこのままで良いだなんて、本当に思っているの? もしそうだったら、私は貴方と離縁しますからね」

 妻を愛している身からすれば、その言葉は何よりも効果的である。

「むむむ……」

 所で、当の本人はというと、マリアの振る舞いに対して余り気にしては居ない様だった。

「そんな顔しないでよ、お父さん。お母さんは僕を思ってしてくれてるんだから」

 彼はそう言ってから微笑を浮かべ、マックスの心を幾分軽くさせてくれた。しかしながら、シューレに教養が身についているかと言えば別にそうという訳でも無いし、また彼の口からは時折微かな溜息が毀れ出すのも、また事実ではあったが。

 マリアにとってそれは、腹立たしい限りの事である。染み付いてしまった粗野は、早々拭い切れないとは言え、何らの進歩も見られないとは。

 腹立たしいと言えば、もう一つあった。それはシューレが着ている青い上着と赤の木靴の事で、その流行遅れな、余りに派手過ぎる格好を、マリアは幾度と無く変えさせようとしたのだが、これだけは彼も聞き入れなかったのだ。

「ねぇシューレ。ちゃんと鏡を見て、そこに映っている自分を御覧なさいな。貴方がその格好を好きなのも、確かに似合っているのも解るけれど、でも時と場合があるものよ。服装というものはね、そういうのをしっかり考えて誂えないと、ね?」

 そうマリアが言っても、シューレはただ首を横に振るばかりである。

「お母さん、ごめんなさいお母さん。でも、僕はこれが気に入ってる。とっても気に入ってるんだよ。他の事なら何でも言う事を聞くから、ね、これだけは許してよ」

 彼の言葉に、彼女は仕方が無いとばかりに大きく溜息を付き、実際仕方が無く、シューレがその格好をしているのを許してやるのだった。

 尤も、他の事を上手くやった試しなど、在りはしなかったのだが。

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