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 シュレディンガーを引き取りたいと願い出る者が現れたのは、そんなある日の事だった。

 彼等の名前はフォン・ハイゼンベルク夫妻。

 最近になってこの街に引っ越して来た、所謂資本家の者達である。

 特にその件を言い出したのが、フォン・ハイゼンベルク夫人マリアだった。

 彼女は、人一倍善良な人間であった。優しくて面倒見が良く、裕福な家庭で育ち、専属の家庭教師を付けられた事で、世間一般以上の教養も持っている。全てが万事理路整然としている事を望み、そう在れと行動して、見事その通りにして来た、優秀な女性でもある。

 少なくとも自身はそう思っている。

 その彼女が街の住人達に向けて提案を出したのも、偏に自身の経験に哲学によるもので、良き人間になる為には良き教育が必要不可だと、硬く信じていたからに他ならない。また、そう良き風に導いてやる事が良き大人、つまり自身の役割であるとも、考えていた。

 だから街をふらついている、どうやら孤児であるらしいシュレディンガー少年の話を聞いた瞬間、彼女は力の限り叫んでしまったのである。

「まぁまぁ、貴方方は何と惨い事を成されているのです。親の居ない子供をそのまま放置しているだなんて、折角の蕾を華と咲かせる事無く、枯らしてしまうおつもりですか」

「いやぁ、でも彼は独りで上手くやっているみたいだし、いいんじゃないかな、別に」

 相手をしていた町長は、耳を摩り摩りそう返したが、それは火に油を注ぐ行為だった。

「分別の付いていない子供なのです、何が良いか悪いかなんて解る訳ないじゃないですか。全く、貴方方がしっかりしていなくてどうするのです。何ら真っ当な教育を受けずに育った者がどうなるか、ちゃんと解っておいでなのですか。どうしようも無い人間ですよ。貴方方は貴方方の愛するというその少年を、名無しのシュレディンガー君を、どうしようも無い人間にしてしまうおつもりなのですか? 違うでしょう? ならば、何故放っているのです。いいんじゃないかな、別に? 何も良い訳がありませんわ」

 ここまで言われてしまうと、流石に返す言葉も無い。それに、言われて見れば確かに一理はあるかもしれん、と町長含む住人達は頷き、事の成り行きを見守る事に決めた。

 ともあれ重要なのはシュレディンガー本人の意思である、と。

 そこで町長は少年を呼び寄せると、フォン・ハイゼンベルク夫妻の元へ誘った。

 正確にはフォン・ハイゼンベルク夫人マリアの元へ、と言うべきだろうか。

 夫マックスの方は、それ程強い関心も無かったが、妻を止めようともしなかった。

 元々もっと都会の街に住んでいたにも関わらずそこでの喧騒に疲れ果て、引退か否かの妥協案として、近くのここへと無理をして越して来た身である。この街へ来るのに断固反対していた妻を思い、万事は彼女の好きにさせるつもりだった。また子宝に恵まれていなかった為、子供を引き取るという事に関してはやぶさかでもなかったのである。

 少年は、そんなマックスと、彼の前に立つ笑顔のマリアへと招かれたのだ。

「シュレディンガー、こちらがマックス・フォン・ハイゼンベルク氏に、マリア・フォン・ハイゼンベルク氏だ。君を養子として、自分達の家に迎え入れたいそうなんだよ」

「養子?」

 町長がその言葉を口にした時、彼は始めて耳にしたかの様に小首を傾げた。

 そこでマリアはそっと屈み込むと、彼の手を取り、

「えぇ、そう。つまり貴方を私達の子供にしたいという事よ」

 可哀想な孤児に対して出来得る限りの愛情と憐憫を込めた笑みを浮かべた。まるでシュレディンガーが、今まで他者と触れ合う喜びを知らなかった野生児か何かである様に。

「子供? 子供って、つまり貴方の家で暮らすという事? 一緒に生活して?」

「えぇえぇ、そう、そうよ、その通り。私達の子供として、家族として、一緒に暮らすの」

 マリアの言葉に、少年はほんの少し瞼を潜めた。一体何を考えているのだろうか、と町長に、それからマックスが固唾を呑んで見守る中、シュレディンガーはぱっと顔を上げ、

「うん、解ったよ、おばさん。僕なんかで良かったら、一緒に居させて貰うよ」

 そう言うだろうと微塵も疑っていなかったマリアは、先と変わらぬ笑みのままに、

「どういたしまして。ではこれからは、お母さんとお呼びなさいね。おばさん、では無く」

 彼女はそう訂正した。唇を僅かに痙攣させながら。

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