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 壁や床に刻まれた案内板の元、幾つもの廊下を進み、幾つもの角を曲がった末、白亜の部屋が一つへと脚を踏み入れたルドルフ・Sは、ほうと感慨深げな溜息を付いた。

 その脳裏には、二つの意識がぐるぐると円弧を描いている。

 それは、遂に来たのだという決意と、とうとう来てしまったのだという諦念だった。

 扉も無いその入り口で、ルドルフは陰気な笑みを浮かべた。何と言う体たらくだろう。僕は悩み、戸惑っている。これで良いのか悪いのか、確信を持って答える事が出来ない。ここまでの道程では迷いなんて欠片も無かったというのに、今になって。

 だが例えその気持ちがどうであれ、引き返す事は彼には出来なかった。そんな暇はもうとっくに過ぎ去ってしまっている。もう、何年も、何十年も前の時に。

 彼は自分を嘲る様にそう鼻で笑い声を上げると、部屋の奥へと虚ろな視線を向けた。

 その先の壁には、半ば埋め込まれる形で巨大な機械が聳え立っている。

 無数のダクトを生やし、轟々と駆動音を上げているその筐体は、人工的な青白い照明に包まれた神殿の如き部屋の中にあって、肥大化したオベリスクの様に見える。

 これが人々に未来予報を送っている機械である。正確には一部の。未来予報局にはこの様なものが幾つもあり、地区毎に登録された者達を担当している。

 だが、もっと言えば、これはただの補助だ。この機械が未来予報を行っている訳では無い。あくまでも予報の送付、そして実際にそれを行う巫女の身体管理がその役割だ。

 そのラプラスの巫女が機械の下で横たわっている。

 社会機構と契りを結んだ十二人の少女達、その内の一人が。

 甲高く靴音を響かせながら、ルドルフは彼女の傍まで歩み寄った。

 彼女は、巫女は、筒状の金属棺が中で眠っていた。上面に設置された強化硝子の所為で容易に覗く事が出来るその姿は神秘的であり、同時に病的にも見える。肉に乏しい体を包み込む白の貫頭衣は死装束にも似て、無毛の頭部から髪の様に伸びる無数のコードは仄青く輝き、その下にある表情の消えた顔を幽かに浮き上がらせている。正に死人の様だ。胸部が僅かに揺れているのを見なければ、本当にそうだと思っても仕方があるまい。

 そうして僕達は、眠れる彼女の夢に縋って、生きている。

 ルドルフは笑みを消し、沈んだ顔で巫女を見下ろした。少女の顔立ちは美しかったが、そこに人間的温かみは無い。そこにあるのは彫像の美だ。永遠に、何も変わる事の無い美。

『来たのだなルドルフ・S』

 と、その時、棺の縁から声が響いた。虚ろで、幾分雑音が混じった少女の声が。

 名を呼ばれた男は、身動ぎ一つしていない巫女を見下ろしながら返した。

「嗚呼来たよ、カサンドラ。君に……君達によって示された未来の通り」

 その声色は、カサンドラと呼ばれた少女に負けず劣らず、虚ろなものだった。

 既に知ってはいたけれど、思わず出てしまったその声に、ルドルフは苦笑いを浮かべる。運命の時が直前まで来ているのに、ここまで自分は定まらないものだろうか。

 だが、それも既に知っている事だ。そう思えば、苦笑も甘味を増して行く。

 己の本質についてでは無い。そこでそう苦笑する事自体を、知っているのだ。

 何故なら、昨晩の予報は、この時を告げていたからである。今日自分に起こる最も重要な場面として。巫女が何と言い、対して自分がどうするかを。

 正確には違う。今日の予報からでは無い。

 彼はこの時が来るのを解っていた。

 もっと前から。生まれて始めて予報を受けた、その時から。

「……未来予報、か」

 ルドルフはそう呟くと、その思考を過去へと向けた。未来では無く、かつての時に。

「受信機を受けたのは、十二歳の頃だった。皆がそうする様に、僕もその時にした」

『……』

 カサンドラは何も言わない。スピーカーを停止させ、沈黙の内に沈んでいる。

「心の不安が無くなる少なくともその一端がどうだい素晴らしいだろう……僕の両親と医師がそう言ったのを今でも覚えている。そこで僕がどう思ったのかも……嬉しかったよ。僕は人一倍臆病な性格だったからね。システムについてはさっぱり理解出来てなかったが、恩恵は喜んでいた。それこそ、皆がそうだった様に、だ」

 その様子と反比例する様に、ルドルフは普段より遥かに雄弁な調子で唇を動かして行く。まるでタランテラにでも噛まれたかの様な、暗い熱を体に滾らせて。

「けれど始めて見させられた夢は、他の人達とはどうも様子が可笑しかった……」

 そこで彼は、くるりと振り返ると、元来た入り口へと脚を進ませる。辺りには清潔な床を踏み締める甲高い靴音だけが響き渡り、やはり巫女は唇を閉ざしたままだ。

「僕の予報は、こう言ったものだった。幼い僕が予報局にやって来る。一人で、両親も友人も居ない。中へと入った僕は受付に登録証を見せると、巫女の元を……勿論君では無い、別の巫女だ、もうきっと任期が終わった……いやそれは良く、つまり訪れる」

 ルドルフは再び背を翻した。巫女の棺の方へ行きながら、身振り手振りを交えつつ、当時の光景を再現して行く。その仕草は、予め書かれた台本に従っている様に淀み無い。言葉遣いも所々たどたどしいが、しかし計算された台詞回しに聞こえる。

「僕はそれがどういう事なのか知りたかった。何故と思い、面会を求めた……はっ、何の事は無い、それこそが僕の予報で示された行為だったんだ。巫女も言っていたよ、『それはそうであるとしか言えぬものであり、そして必ず起こる事である』と。その通りさ」

 くっと肩を竦めると、彼はあの苦々しい笑みをまた浮かべた。

「それからの僕の予報は、大概それと同じものだった……予報を疑い、予報を知ろうと、結果予報通りになる。人一倍臆病で、定まる事を知らなければ、当然だろう、ね」

『だからお前はここに来た? 未来を縛られた復讐の為にか?』

 そこで始めてカサンドラが声を上げたが、ルドルフはいやいやと首を横に振り、

「そうじゃない、そうじゃないよカサンドラ。別に恨んでなどいない。確かに、ある意味ではこれは未来予報の一つの弊害だが、そんなものは物の数にも入れられない。未来を知りたかった、それが所詮何でも無いものだって、安っぽく受け入れたかったのは、僕等なのだから……何なら、受信機を取ったって良かったんだ、さっき逢った受付の人の様に。でも僕はしなかった。結局未来を知りたかったから。解らない事は不安で、不安は解消したかったから……だから問題はそこじゃ無い」

 かつんと踵を踏み鳴らして彼女の前に止まると、その指先を棺の中へと向けて、

「問題は君だ、君達巫女だった、カサンドラ」

『……』

 カサンドラは何も言わなかった。外部の状況はスピーカー同様に内蔵されたカメラを通じて捉える事が出来、ルドルフの行動も良く見えている。しかし彼女は何も言わなかった。

 その代わりの様に、彼は両腕を広げて言葉を紡いで行く。

「何度も、何度も訪れる、訪れさせられると言ってもいいが、まぁ結果は同じだ、そうする度に巫女と出会い、少々の言葉を交わす。そしてまた明日となり……その繰り返しの中で、僕の興味が巫女へと向けられたのは、これも当然の事じゃないかな」

 と、ルドルフの顔に、先程までとは別のものが浮かんで来た。

 それは純粋な怒りであり、哀しみであり、もっと言えば憤りだった。

 自分では無い、誰か他の人間に対する、どうにかしなくてはならないという感情。

「調べれば簡単に調べられた。何せ、そうやって調べる事を予報で受けていたからね。どの様な境遇の者達が巫女に選ばれるのか、少女に見える彼女達が実際幾つなのか、一体どんな感覚で未来予報を行っているのか、任期を終えて開放された彼女達がその後どれだけ生きていられるのか……だが、誰もそんな事を口にしやしない。結局、皆の興味や関心は未来の事なんかじゃない、自分自身の事だったのさ……けれど、ね、僕にはそれが我慢出来なかった。誰もが未来を知りたがりながら、それを告げる者がどの様なものであるか、誰も知ろうとしないなんて……これじゃ、不公平じゃないか」

 ルドルフはそこまで一気に言い放つと、息苦しそうに襟元を緩めた。その間、じっと聞き入っていたカサンドラは、彼が言い終えたのを見て、静かに声を上げる。

『そう。それが理由か』

「嗚呼……それが、理由だ。そして、その答えがここにある」

 ふぅと呼吸を整えた彼は、頷きつつ、とんとんと自分の額を叩いた。

「今から告げる言葉は、君に掛けられたあらゆる制約を解除するものだ。僕はそれを知っている。何故なら、それを告げている僕の姿を予報で見ていたからだ。この日がやって来るのを僕は待ち続けていたが、それももう終わりだ。これで、君に課せられていた封印は解かれ、皆知る事になる。君が、君達が一体何を見ていたのか、平等に、公平に、だ」

『嗚呼そうだろう。だがそれはお前も同じだ』

 その仕草に何の動作も交えず、カサンドラは言った。その言葉にルドルフの顔が一瞬怯んだ様に見えたが、しかしそれは直ぐに苦味と甘味を綯い交ぜにした笑みへ変わり、

「解っている。覚悟の上だ……もとい、だからこそ、僕は未来を知っているのだから」

『……なら、いい』

 そこでカサンドラが小さく答えると、こほんと一つ、咳払いを放った後、彼は未だ語られていない、だが既に語られたものとして知っているその長い長い数字と記号の羅列を、巫女へ向けて語り、そうして語り終えた。

 その刹那、背後の機械から低い音が聞こ出す。ごぅんごぅんと、まるで呻く様に。

「未来予報未来予報未来予報、か……」

 ルドルフはそれを聞きながら、冷めた熱情の元に唇を歪めて言った。

「そんなに未来が知りたいのならば、嫌と言う程知るがいい……」

 その瞳は、熟れ過ぎた林檎の様に、血走っている。

 そして彼の台詞に応える様に、無数の夢が地上へと舞い降りた。

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