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 未来予報局受付兼守衛であるマルティン・Hは、憮然とした表情を浮かべていた。

 その視線は大広間を挟んだ大扉を抜け、麗らかな日曜の日差し溢れる外を眺めている。

 どうしてわしはこんな日に、こんな場所へ閉じ込めらているんだ。

 彼はとんとんと枯れ細った指を机に打ち付けながらそう思った。

 思えば思う程、この時代錯誤な場所の末法臭さが鼻に付き、外を歩くだけの人々が羨ましくてたまらず、ろくに意味をなしていない受付兼守衛……今日はともあれ人なんて滅多に来ないし、ちゃんと見ていようといまいと、別室には軍隊上がりの強面どもが待ち構えているのだ……という自分の存在がますます惨めになって来て仕方が無い。

 大体わしは未来予報なんて受けちゃいないっていうのになぁ。

 用事を追え、落胆と疑問と一抹の安堵を宿した顔で奥から出て来る男が自分の傍を通り過ぎて行くのをじろりと眺めながら、マルティンは眉間に皺を寄せた。

 彼は世にも珍しい事に、未来予報の非受信者だった。

 未来なるものに興味など一切無く、勤めの理由も、ただ賃金が良かったからだ。

 そもそも彼は、何故皆がここまで未来予報に関心を抱くのか、理解出来なかった。

 もしかしたら今までの予報が当たったのは偶然で、あの狭い棺桶の中に押し込まれた可愛そうな娘達の戯言か、幻覚かもしれないというのに、どうして誰もが熱中出来るのか、政府がご熱心になれるのか、さっぱり解らない。観測された事実? へっ、どれだけ観測しようと、事実なんて解る訳が無いじゃないか。全部まぐれか幻で説明出来るのに。

 ふんと彼は鼻息荒く吹き出すと、そのまま外へと出て行く男の背を目で追って行く。

 嗚呼いいなぁ、と心の底から感じた。世間様は今日日休みだっていうのに、わしはあの巫女の様に、暗く、寒々しい施設から一歩も出る事が出来ないなんて。

 いやラプラスの巫女はまだいい。あいつらの仕事は皆に喜ばれて、とも限らないが、少なくとも認められてはいるし、わしなんかよりも遥かに待遇はいいのだから。

 マルティンは何時か同僚から聞いた巫女についての話を思い出し、更に自分のそれと比べてしまって思わず溜息を漏らした。無論の事、代わりたいとは毛程も思わないが……六十歳近い眠り姫、いや眠り王子なんて酷い冗句だし、彼は巫女の問題に少なからず気付いている、やはり稀有な人間だ……得られるものは羨ましいものだ。

 だが、それこそ悩んだ所で仕方が無い。世の中にはそんな風に、仕方が無いと言わざるを得ない事が山程あるのだ。一々悩んでいては、切りが無いでは無いか。

 そう頭を振ると、マルティンは引き出しを漁り、雑誌と、それから鉛筆を取り出した。懸賞応募用のクロスワードは、この仕事を行う上で最良の友である。意識を紙面と記憶にだけ集中出来るし、気が付けばもう終業時間へと至っているからだ。

 彼はいそいそと雑誌を広げると、中途半端になっていた頁を開いた。そしてマルティンの目と手が伸び、さぁ続きをと動き出した所で、その頭上から声が掛かった。

「……すみません、宜しいですか?」

「あ? ……あぁ、はい、何でしょう、何でしょう」

 折角良い所だったのに。マルティンは毀れ出ようとする舌打ちをどうにか抑えると、鉛筆ごと雑誌を隠しながら、己に出来うる限りの愛想の良さと共に顔を上げた。

 見れば受付の前に、一人の男が立っている。整った、と言えば確かに整った顔立ちをしているが、どうにも沈んだ表情の所為ですっかり台無しだ。年齢も然程若くないのだろうが、その表情の為に、幼く見える。悩める青年という印象だった。

「あぁ巫女への面会ですかな?」

 背筋を伸ばしながら、マルティンは言った。彼の顔を見れば未来が見えずとも、何がどうしたいのか一目瞭然だ。そもそもの話、ここに市民が来る目的など最初から一つだけだ。

「えぇ、そうです……これでお願いします」

 案の定、男はそう言うと、懐から取り出した財布より、市民登録証を取り出す。マルティンはその合成樹脂性のカードを受け取ると、しげしげとその名を確認した。今とは髪型が若干違う写真の隣には、『RUDOLF STEINER』と刻まれている。

「ルドルフさんね、少々お待ちを」

 また何とも似合わぬ名前だ。老人はそう思いつつ、傍らに置かれたコンピュータを操作しながら、その脇にあるスリット式のリーダーへカードを通した。更にキーを叩けば、この男がこの日この時間に面会を求めたという情報が登録される。防犯という意味では殆ど意味が無い……何処だかのマーフィーさんだって言ってるじゃないか、起こる可能性のあることは、いつか実際に起こるって……と思うのだが、一応体面が重要なのだろう。それに、この情報は巫女の因子の一つとして使われるそうだから、決して無意味ではあるまい。

「はい、どうも。これで通っていいですよ、場所は解っていますね?」

 何にせよやる事は変わらず、何百回何千回と行ってきた作業を何事も無く終えたマルティンは、ルドルフの方へとカードを差し出した。

「えぇ、何度も行ってますから、ありがとうございます」

 彼は疲れた様な笑みを浮かべて応える。

「……しかし、何だね、今日はやけに面会者が多いが、余程の夢でも見たのかね」

 その表情がますます悩める者に見えた為、彼が登録証を仕舞っている間にマルティンはそう呟いた。さも何気無く、興味なさげと言った様子で。いや実際そうなのだが。

 しかしルドルフは違った。その丹精な顔が険しいものとなり、

「あなた……付かぬ事をお聞きしますが、未来予報を受けられていない?」

「え、ああ、はい。まっ、笑っちまうでしょうがね、一応は予報局で働いている人間なのに未来予報を受けてないだなんて。確かに珍しいっちゃ珍しいそうですが」

 その表情が余りに真剣だったものだから、マルティンは乾いた声で吹き出す様に笑った。それが一体どうしたのだこの臆病者めと言わんばかりに。実際彼はそう思っていたが、言葉には出さなかった。それがこの社会で上手くやって行く為の知恵という奴である。まぁたまに、ごくたまに、そんな知恵など金繰り捨てる時だってあるのだが。

「そうですか……」

 けれどルドルフは彼の方をちらとも見ておらず、顎に手をやって何事かを考えている。

 その様子に流石のマルティンも唇を閉ざした。わしは何か悪い事でも言っただろうか。

「あー……申し訳ない、どうかされましたかな?」

 彼は語気を抑えて尋ねた。別に何と思われようと構わないが、少し目覚めが悪い。

 ルドルフの方というと、それ以上言葉を、意味ある言葉を紡ぐ気は無い様だった。

「と……何でもありません。それでは、健やかな日を」

「はぁ……いやいや、こちらこそ」

 そう言って彼はあの先程の笑みを浮かべると、目礼と共に奥の方へ進んで行く。

 健やかな日だって? 確かに、だが確か過ぎるじゃないか。

 マルティンはちらと外の方を見ると、釈然としないままに去って行くその背を見送った。何か深い意味がある様に思えたが、しかし何でも無いと言われては、それまでだ。

 そうして彼は再び独りとなった。

 広過ぎる受付の間で、暫し彼は奥へと至る入り口を眺めていた。薄暗く、影となったその先、迷路の様に入り組んだその先に、それぞれの巫女に宛がわれた部屋がある。マルティンが見ていなくとも、監視カメラで逐次チェックされていなくとも、ルドルフは彼の未来を予報する巫女の元へ行くだろう。何の疑いも無い事実として。それ以外にあるまい。

 しかし何の為に行くのやら。こんな健やかな日に?

 彼は眉と眉の間に皺を作り、先の言葉の真意を伺った。

 何か大それた事でも考えているのだろうかと思い、あの男なら遣りかねないとも思ったが、しかしマルティンには確かめる術も無く、その気など鼻から無い。

 やりたいならば好きにすればいいじゃないか。わしには関係の無い事だし。

 彼はそう頭を振るうと、中断されていたクロスワードへ改めて取り組み始める。

 暫し間を置いて書かれた文字は『ウェルテル』、その次の文字は『鍵十字』であった。

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