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 未来予報に対して多くの市民がする様に、アンナ・Sもそうした。良きものならば受け入れたものを、悪いものだったので無視したのである。こんなのちょっと凄いだけの占いみたいなものなのだし、そんなもので気を止むなんて馬鹿馬鹿しいじゃない、と。

 ポール・バーナムはそう考える事の出来ない人間だった。

 彼は作家だった。どの程度かはさて置き、しかし作家だった。

 故に彼は、大衆が関心を抱かぬ部分まで、未来予報と予報士の事を理解していた。

 ラプラスの巫女の存在は観測された事実によって証明されたものである。何故彼女達にその様な力が備わっているのか、説明する為の言葉はそれがそうであるという以外には無く、他の分野への応用など効きはしない。全ては巫女の心身に掛かっていると言っても良く、その為の投資は全く惜しまれなかったが、逆に言えばそれ位しか出来る事は無かった。

 しかし、にも関わらず、予知能力は犯罪防止や災害救助、そして相場先読や戦争行為など、社会貢献の一端としては使用出来なかった。

 何故なら、予知夢を回避する事が絶対に不可能だったからである。

 それは巫女の予知の中で、未来を観測し、予報として告げるという行為が、未来を決定付ける因子の一つとして予め組み込まれているからに他ならない。

 未来を知らされ、それによって動いた結果が、知らされた未来なのである。動かなければ、動かなかった未来が待つだけだ。

 生きる奴は生きるし、死ぬ奴は死ぬと言い換えてもいい。

 詰まる所、何も変わりはしないのである。これで一体何の役に立つというのだろうか。

 だから、人々が未来予報に抱いている意識はあながち間違っている訳では無く、寧ろ正しいとさえ言える。本質的に何の役にも立たないという点において、未来予報はそこいらの道端で行われている辻占いと何ら変わりは無いのである。

 それは否定しようの無い事実であるし、当局ですら認めている。

 未来予報は……一応、現在の所、と頭には付けられるが……無意味であり、無能であり、無価値であり、それはただあくまでも、人々の心の平穏を護る為だけに存在している、と。

 しかしそうと言って置きながら、研究開発の類で無く社会制度の一つとして未来予報が組み込まれているのは、他の使い道を見出させない要因たる確実性が、路上の卜占とは比べられない精神の安定を齎し、引いては国家安定の礎となっているからだ。

 少なくとも当局はそう言っている。

 確かに、未来を知った所で何一つ変えられない事に変わりは無い。

 だが、それを知っているのと知らないのとでは、心の在り様は全く違う。

 例え結果は同じだったとしても、その受け取り方は別のものだ。

 有体に言ってしまえば、覚悟が出来るのだ

 例え今日死ぬのだとしても、それを予め知らされていたとすれば、未だ来ぬ恐怖に対して身構えられよう。もしかしたら、その身構えた事が原因となって結果が訪れるという皮肉が待ち受けているかもしれない。だがそうだとしても、何が起きたのか理解出来ぬまま、阿呆の如くただ呆然と立ち尽くし、気が付けば巻き込まれてしまっていたという結末よりかは遥かに良い筈だ。

 だから少なくとも、今この時を生きる多くの人々は未来予報を受け入れているし、当局もそれを一つの社会機構として採用しているのである。広く、浅く、場末のレストランに置かれているくたびれた占い機の安っぽさに、しかし悪魔の如き確実さで持って。

 ポールは、その事を良く理解していた。

 貶められたその凄味を、作家として大衆よりも尚深く。

 そんな彼にとって、予報が告げる未来は到底無視出来るものでは無かった。

 特にそれが自分の事ならば、余計に。

 彼が現在、路面電車の中で揺れる座席に腰を下ろしている理由は、そういう事だった。

 昨晩ポールの脳裏に送られて来た予報にこの電車が登場したのである。

 それは不快な夢だった。

 意味が解らないという事もあるが、純粋に不快なものだった。

 彼は路面電車の中に居て、座席に腰を降ろし、振動に体を左右させながら、窓の向こうで流れ行く景色を見詰めていた。丁度今の様に。周りには数名の客が居て、座るか立っているか眠っているかしている。丁度今の様に。電車は彼等を乗せたまま、円く繋がった線路が上を、ガタガタと妙に眠気を誘う音を発しながら進んでいた。丁度今の様に。それがまるで永久と思える間、続いた。丁度今の様に。そして誰かは解らないが、誰かが絶叫を上げた。これは丁度今の様にでは無い。気が付けば周りの者達も顔面を歪めた悲壮な表情で叫び声を上げている。これも丁度今の様にでは無い。そして彼は更に気付くのだ。最初に叫び、今も叫んでいるのが自分であるという事に。またこれも丁度今の様にでは無く、そしてここだ、こここそが問題なのだ。

 夢がこの場面まで訪れた時、深夜であるにも関わらず、ポールはがばりとベッドから跳ね起きた。胸に手をやれば激しく脈打ち、呼吸は荒く、不確かなものとなっていた。寝間着には、ぐっしょりと汗が染み込み、まるで一泳ぎして来た様な風貌に変わり果てている。

 一体これはどういう事だろう。ベッド脇に置かれた水差しから直接水を飲みつつ、ポールは思った。これは何時もと違う。何時もとは違う、とても恐ろしい未来だ。死なんか目では無い、とてもとても恐ろしい何か、それを告げられたのだ。

 彼は震える自分を抑える事が出来なかった。

 誰もがそうの様に、突然の死には耐性が出来ていた。死の宣告は何時訪れるか解らない事を理解し、絶えず意識する土壌が、予報によって作られていたからだ。終わりが何時来ても可笑しくはないと覚悟する事で、その恐怖を乗り越えていたのである。

 しかし、今回の夢は違う。予報の予想の範囲外のものだ。こんな奇怪で、そして訳の解らないものが訪れるだなんて、巫女ですら想像出来なかっただろう。

 その上、それは事実だった。

 日が昇るや、ポールは予報の詳細に付いて、自分が登録している未来予報局の巫女へと聞きに向かった。こんな手間を掛けた事は今までに無かったのであるけれど、背に腹は変えられない。面倒だが仕方が無いのだ。と、だが、そうして返って来たのはたった一つの言葉だけだった。しかもそれは、彼が誰よりも良く理解している言葉だった。

 筒状の棺の中、自身の体に起きる全ての生理現象を機械の処置に任せて、只管に眠り、夢を見続ける巫女は、内蔵されたスピーカーを震わせて、こうポールへと語ったのだ。

『それはそうであるとしか言えぬものであり、そして必ず起こる事である』

 その言葉に彼は笑った。大いに笑った。何だ、結局巫女でも解らないのか、と。

 だが、それは正しく無い。

 何が起きるかは解るのだ。起きた何かが、何なのかが解らないというだけで。

 つまり何時もより余計にたちが悪いという事である。

 ポールは笑い、笑い、涙が出るまで笑った後、はぁ、と一つ溜息を漏らした。

 しかし、彼はそれで諦める様な男では無かった。何故なら、ポールは作家だったからである。どの程度かはさて置き、しかし作家であるのだ。

 作家が、この程度の障害で諦める訳が無い。

 彼は調査に乗り出し、電車へと乗った。

 記事の為で無く、純粋に自身の為に。

 自分の身に一体何が起こるのか、その真偽を確かめる為に。

 そして目下の所、電車は何事も無く彼を乗せたまま、何周も何周も回っている。

 それは流石のポール・バーナムでも、心が折れそうな時間だった。

 何待てど暮らせど、事件らしい事件は何も起こらないのだ。

 何も、本当に何もだ。

 電車は線路の上をガタガタと走り出し、駅に至って止まれば乗客を降ろし、乗客を乗せ、またガタガタと走り出し、駅に至って止まれば乗客を降ろし、乗客を乗せ、そして……この繰り返しだけが何時までも続く。

 これは退屈だ。古き懐かしき、自分の脚でネタを探す類の記者である彼からすれば、その退屈さも一塩である。思わず退屈で退屈で死んでしまいたくなったけれど、そんな事は起こり得ない事を彼は良く知っている。まだポールはここで何かの為に驚き、叫んでいないのだ。退屈は終わらずまだ続く事は残念極まり無いのだが。

 しかしどうしたものか。

 ポールは欠伸を噛み殺しながら思案する。このままここに居るのも空しくなって来た。生憎と言うべきか、今日は休日である為、時間は腐る程ある。終日まで乗り続けても何の問題は無いが、そうする事自体が無意味に思えてきた。どうせ何をした所で電車に乗る未来に変わりは無いのだから、一度降りて喫茶店にでも行こうか。

 ポールは首を二、三度鳴らした。丁度良い事にもう直ぐ駅が近付いて来る。よし、そうと決まれば善は急げだ。彼は呼び鈴を鳴らすと、颯爽と降りようと出口前の手摺を握った。

 その時ポールは、今にも乗り込まんとする人々の中に見知った顔がある事に気付いた。

「ルドルフ、ルドルフ・Sじゃないか。懐かしいな、何年ぶりだい」

 彼ははっとして舞い戻ると、入って来た旧来の友人に向けて声を掛けた。懐かしさと、これで暇を潰せるという思いで、普段より明るい口調になっていた。

「嗚呼……ポール・バーナムか……久しぶりだな」

 けれど、びくりと肩を飛び上がらせてから、ゆっくりとこちらを向いて返された相手の返答はおざなりとも言える程に沈んだものであり、ポールは正直肩透かしをくらった。ルドルフは昔から堅物であり、はっきり言って話していて面白い相手では無かったが、しかしこれ程の男だったろうか? もしそうだとすれば、良く自分は付き合って来たものだと感心するけれど、どうもその顔色を見る限り別の理由がありそうだ。

「どうしたルドルフ。顔色が優れないぞ」

 降りるのを止め、瞳伏せたままの友が隣に立ったポールは、彼と一緒に座席へと座り直した。再び動き出した電車の中で、あの単調な、うんざりするガタガタが始まる。

「いや少し……これから、未来予報局に行くつもりなのさ」

「何、何だって? お前もなのか?」

 だが、ポールにとってそれは興奮の始まりだった。

 詳しく聞いて見ると……抑揚に乏しい男ならば、その言葉数も実に少なく、何かが解る程に詳しくは無かったが、想像は出来た……どうやらルドルフも、昨晩気になる予報を受けたらしい。しかもその奥方まで、何か人を不快にさせる夢を見させられた様だという。

「由々しき事態だ」

 話を聞き終えたポールは、そう呟くと、にやりと笑って見せた。

 作家として、これは実に由々しき事態である。

 彼はその由々しき事態がどの様なものかと想像して見た。

 敵対国家の陰謀かテロリストの工作か異星人の仕業か救世主光臨の兆しか。

 どれであっても全く持って由々しき事態である。

 沈黙の中に沈んだルドルフの傍らで彼は何度も頷いて見せた。

 そこでもし回りの様子に気が向いていれば、彼等の話を聞いていたのは、という事はつまり奇妙な未来予報を受けていたのは電車の中に乗っている乗客全てである事が解っただろうが、ポールは楽しい物思いに沈んだままだった為で、辺りへの注意を怠っていた。

「おやルドルフ?」

 だから作家は、友人の姿がとっくの昔に消えている事にすら気付かなかった。慌てて辺りを見渡せば、既に電車を降りて道を歩いて行くルドルフの姿が垣間見える。

「何だあの男、挨拶一つせずに出て行きやがって」

 呆れた様にポールは呟き、腕を上げずに肩をすくめて見せた。全く仕方が無い奴である。

 しかし彼にとって、ルドルフなどもうどうでも良かった。少なくはあったけれど、彼の口から、使えない巫女の言葉より遥かに重要な情報を聞く事が出来たのだから。

 ポールは唇を吊り上げると、天井を眺めながら鼻歌を奏で始める。

 もう降りる気は失せていた。何かは確実に起きている。そして何かが何なのかも、確実に解るだろう。俺はそれを待てばいいのだ、この場所で、何時までも、何処までも。

 彼は毀れ出る笑みを隠そうともせず、喉を引き付かせて笑い声を上げた。その頭の中で、作家としての本懐の元に、これから起きようとしている事態が次から次に浮かんでは消えて行く。退屈など何処吹く風だ。今は有り余る時間が愛おしい。

 ポールは愉快に考え続ける。自分の未来に何が待ち受けているのだろうか、と。

 そんな彼を乗せ、電車は都市の中を駆け抜けて行く。

 閉じた円環の中で、ニュートンが見つけた林檎が坂道をごろごろごろごろと転がって行く様に、繰り返し繰り返し、同じ場所を巡り続けながら。

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