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エデンの東は桃源郷(シャングリラ)の西

今作は別作品二部構成です。両作品の関連性は、作者が把握する限り多分無く、世界観としても、某企画作品とは恐らく無関係であります。ただ桃源郷については、過去作を断片として扱うべきネタとして取り入れております。予めご了承ください。

 その少年について街の住人達が知っている事は、実を言うと殆ど無かった。

 更に知っている事を上げて行くと、あくまで外面的な事でしか無い事に気付くだろう。

 白銀に垂れる巻き毛。好奇に釣り上がった青い瞳。華奢で小柄な体躯。好ましく整った中性的な目鼻立ち。絶えず浮かんでいる無垢な微笑。少々古めかしい貴族風の青い上着に、対を成す様に真っ赤な赤い木靴。それからシュレディンガーという家名。本名は自身も知らないらしいので、誰もが皆、シュレディンガーが名前であるかの様に振舞っている。

 何の事は無い、そういう名前の、美目麗しい少年が居るというだけの話である。

 後は精々、何時の間にか居付いていた、と、それ位のものだ。

 にも関わらず、彼等はシュレディンガーの事を良く知っていると誤解していた。屈託の無い笑みを浮かべながら、鼻歌混じりに彼方此方へと顔を出し、通りを歩くその姿は、住人達にとってお馴染みの光景だったからだ。そして何時も愉快そうな彼の様子に、周囲の人間まで朗らかな気分にさせられ、細かな事を大して気にしなくなっていたのである。

「やぁシュレディンガーじゃないか、こんにちは」

「あ、カールおじさん、こんにちわ。今日も気持ちのいい天気だね」

「いい天気だって? こんな今にも雨の降って来そうな雲模様だって言うのに」

「雫の中を歩くのも悪く無いよ。世界には嫌になる位、日光が降り注ぐ国もあるんだから」

「嫌になる位の日光ねぇ、アルプスの向こうかい? 出来れば俺はそっちの方がいいねぇ」

「行って見たい? 砂漠にある国なんだけど」

「いや止めておこう、店の事が心配だ、と、ほら林檎だ、持ってきな」

「わ、ありがと、おじさん。でも、出来れば、そっちの桃の方がいいなぁ」

「贅沢言うもんじゃない……ヨハンナの奴に叱られちまう。また今度な、今度」

「うん解った。それじゃ林檎ありがと、おじさん。さようなら」

「嗚呼さよならだ、シュレディンガー」

 大体がこんな按配に。

 所がふとした事で住人達は、この街と街の近郊に、シュレディンガーなる名前の家が一軒も存在しない事に気が付いた。人々の間に溶け込み、触れ合いを愉しんでいる風な少年を見て、皆てっきり何処ぞの金持ちの素敵なお坊ちゃんだと思っていたのだが、そうでは無かったのである。街で金持ちと呼ばれる者達も、似た様な事を考えていたのだから。

 しかしそうなると不思議なのは、彼が何者なのかという事である。家が無いならば孤児という事だが、シュレディンガーの場合、それは想像し難い。彼の容姿は高貴な血筋が入っている事を端的に表しているし、服は何時も清潔極まり無い。

 更に謎はある。少年の姿は良く市街に見受けられたけれど、何時もという訳では無い。時にふらっと消えて、何日も現れない事があった。そんな時は、誰も彼もが「そういえば今日はシュレディンガーの姿が見えないなぁ」などと寂しそうに呟き、再び現れて静かに心躍らせるものなのだけれど、だが、それは街の住人達だけで無く、少年の方でもその様であるらしい。数日振りに現れた彼は、まるで始めて来たかの様に熱心に辺りを見て回っては、聊か大袈裟に喜怒哀楽を示すのである。

「ねぇシュレディンガー。あんた一体何処に行ってたんだい? 家族はどうしたんだ?」

 酒場の女将が訝しがって一度尋ねて見た事もあるが、彼はその猫の眼を潜めて曰く、

「家族なんていないよ。僕が居たのはずっと遠くで、でも近くでもあったよ」

 その言葉は何とも意味深長に、だが彼に良く似合った言葉であり、女将も酒場の客もそれ以上尋ねようとはせず、ただ「そうかい」と頷いてから、ニシンの塩漬けやら林檎ジュースやらを奢ってやっては、はしゃぐ少年の様子に笑みを浮かべ合ったものである。

 またある時、退屈を持て余していた探偵気取りの若者が、シュレディンガーの後を追った事もあった。彼が何処から来て何処へ行くのか、確めようとしたのである。だが、結局それは失敗に終わってしまった。日がな一日、彼が住人達と談笑したり、差し入れを貰ったりしている姿を羨ましげに見詰めた挙句、若者は少年を見失ってしまったのだ。何の変哲も無い角を曲がった所に自身も続いて行けば、シュレディンガーは居なくなっていた。 彼が再び姿を見せたのは何日か経過した後の事である。

 若者は何とも歯痒い思いで肩を落としたけれど、話を聞いた住人は、口々にこう言った。

「ああ、でもやっぱりなぁ、そんな気がしていたんだよ」

 と。まるで曇り空を見上げながら、「今日も気持ちのいい天気だね」とでも言う様に。

 何が『そんな』なのかは自分達でも説明出来なかったが、それで納得してしまったのだ。

 以来、無粋な詮索はなされず、シュレディンガーは、何とも奇妙な、だが愛らしい少年として、ある種の街の象徴として、ますます受け入れられる様になったのである。


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