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『自分』を振り返って・・・① ~「『人間』は人に間(あいだ)と書いて人間と読む。」・・・じゃあ自分と他人(ひと)の間に有るものって、何?今まで辛い思いばかりで良いことの方が希だったけど。~

 長期休職なんで、自分という者を振り返る時間だけはたっぷり有るので(メンタル療養的に良いかはわからない、多分良いことでは無いとは思うけど)自分は人生で何を求めていたのか、根本的なところをつい、考えてしまうので、今回は人間社会での生きづらさ、自分が他人に対して渇望してる物って何だろう?ってところに焦点を当ててアレコレ書いてみようかなと思います。

 サブタイトルは大昔、多分小学校低学年ぐらいの頃に全校生徒で集まって誰だか忘れたけど講演会みたいなところで聴いたお話しの一部に出て来た一説です。「・・・だから皆さんは人との間を大切にして生きなさい。」みたいな話が続いたと、うろ覚えながら覚えてます。


 しかしながら、当時は殆ど知られて無かった『発達障害児』な自分は大真面目にこの話をとらえて何とか人の輪の中に入ろうとしては自滅ばかりして、結局辛い思いばかりしてた記憶が残ってます。


 そもそもが、他人との向き合い方の基本を作り上げて行く場でも有るはずの家庭でさえ『見た目は普通』に見えて本当に必要なことを殆ど出来て無かったんじゃあないのかとすら思ってしまう程、中身が無い家庭だったなぁ・・・自分も含めて家族全員が真面目に家庭を営もうとしていたとは思うけど、家庭や家族に本当に必要だったものを誰一人として用意出来なかったんだよなぁ・・・そんなもの『出来る人』なら何も考えること無く出来る『普通』のことなのにね。


 もう確かめる術は無いけど、多分、家の家族全員がかなり高いレベルで何らかの『発達障害』的な気質を持っていたんじゃないかと、今思っています。


 母はなんだかんだと不注意傾向が強かったですしモラル的なところで妙に潔癖な拘りみたいなところも有って何より変わったことをしたら直ぐに非行に走ったみたいな思い込みで自分や姉を叱りつけたり・・・。


 自分が覚えているのは自分が小さい頃「何となく火が燃えているところが見たい」と思って流石に火の始末には気をつけて灰皿で紙を小さく丸めて火をつけて遊んでいた跡を見つけた母が『自分が隠れてタバコを吸っていた』と思い込み、『火の遊び』を注意するなら此方も素直に反省出来たのにいきなり『子供の癖にタバコ吸って!』などと怒って来たものだから言い掛かりの酷さに傷付いて暫くの間暗がりで泣き伏せってしまっていたら今度は『タバコ吸ってニコチンでおかしくなった』と思って慌てまくるという勘違いの連鎖までして・・・。


 いや、今、振り返ってみて自分が普段やらないことをやって下手したら火事になってたかもと思うと怒られるのは仕方ないとは思うけど、それがこんな感じでピンぼけな怒られ方をされるとね・・辛いんですよ、『自分が突然何かをやりたい』と思うこと自体が間違いだったのかってところまで思い詰めてしまうので自己肯定感が削られて行ったんだろうな・・結局この話は何となくうやむやに成りましたが今でも何だか胸の奥で燻っている出来事でした。


 後、自分を叱りつける強度についても一貫性が無く、酷い時には自分が読み終えた本を床に投げ捨てた音が、下の部屋で寛いでいた母の気に触ったらしく上の階に有る自分の部屋に文句を言いに上がって来たりとか、そのくせ、母が机の下の鞄の中にずーっとしまって有って、自分が何でこんな所に百円玉の束を起き忘れているんだろう・・だったら自分が使ってもバレないかみたいに短絡的に数枚を盗んだこともしたんだけど・・・。

 (今振り返ると『悪いこと』をして日頃のストレスを晴らしたかったのも有ったような)

 そんな『悪い』ことには全然怒りつけもせず「欲しい物が有ったらこんなことせずに遠慮無く私に打ち明けてくれて良いんだよ。」みたいに甘い対応で『窃盗って明らかに悪いことなのに何時ものように何で叱りつけて来ないんだ?』と逆に悪いことをした自分が馬鹿馬鹿しくなった事も有りました。

 (そういう意味では抑止効果にはなったけど・・・なんか気持ち悪い。)


 結局のところ叱りつけるか否かって基準は『その時の母の気分次第かよ!』って結論になって(例え当の母が躾のつもりで叱ったり諭したりしても、こんなんじゃあ『只の鬱憤張らし』でしか感じられ無かったよな、何より『叱る相手のことを全然見てくれてない』のがバレバレ。)自分に取って『家庭』が癒しの空間では無かった一因、他人に対しての恐怖感の原因の一つ、何より・・・自分の自己肯定感が地を這う大きな原因の一つになってしまっているんだよね・・・。


 他人の目が気になって何か新しいことに挑戦しようと思う気持ちがなかなか湧かない・・・お陰で時間だけは有る今が退屈で仕方ない、中身の薄い人生を生きてますよ天国の母さん。


 悪いところばかりじゃバチが当たりそうだから『これは良かったと思える部分』を一つだけ語って置くよ。


 それは貴方が極端なぐらい『ギャンブル(小銭でもお金が動く賭け事)を嫌っていた』ことだよ。恐怖症と言っても良いぐらい「ギャンブルは駄目だ。」「賭け事は身を崩すから駄目だ。」って言っていたよね・・・お陰でろくな稼ぎも無い自分でも『何とか死なずにいられる』よ。

 もっとも、自分にとって『家庭』ってやつが全く癒しの場所じゃあ無かったせいで他人とは何の縁も無い、うすーい独り身の生活だけどね・・・。


 後、遠方の大学に何とか受かった時に「是非とも行きなさい」って一番背中を押してくれたのも貴方だったよね。お陰で家族に振り回され無い独り身の生活に入るきっかけにはなったよ。

 でも、社会に独りで向き合って自分が如何に社会で生きて行く能力に乏しいか思い知らされたけどね・・・。


 相談しようにも、自分が家を出て2年も経たない内に貴方はガンで亡くなってしまったから愚痴で当たり散らすことさえ出来なかったんだよね。


 もちろん、身を立てて産んで貰った恩を返す事も、何とか高収入を得ようと努力しようとする意欲すら奪って逝ってしまって・・・。

 自分という者に置ける母親の影響ってことを思い出しながら今はもう居ない母への愚痴を綴ってみました。母のガン発覚から亡くなってから葬式の間、不思議と喪失感や絶望感は沸いて来なくて、余り泣けなかった事を覚えてます。

 今では『毒親』って言葉もチラホラ見かけるように成りましたが果たして自分にとって両親は毒親だったんだろうか・・・正直微妙なところですね。


 次回は多分自分にとっての父親の影響について愚痴ってみると思います。では、また次回まで。

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