「五体満足」じゃ無かった件 ヤッパリね・・・。
いきなり出落ちみたいなサブタイトルですみません。
あ、更新についても書けたら書く不定期で。次の投稿は全く未定です。
2018年8月 某市某精神科病院にて。
担当医:「確かにチェックテストの結果はADHDの傾向が強いですね。話した 感じ抑鬱の気質も強いようです。」
市内に有る少し大きめの精神科の問診で担当のお医者さんから告げられた時、自分が感じた感想は辛さでも衝撃でも無く、
「やっぱりね」
という安堵に似た感覚でした。
物心ついた頃から今まで自分が感じて来た違和感。普通の事が何故か解らなかったり出来なかったりした苦しみ。
何よりも自分の家族も含め誰も理解してくれなかった、
「普通との壁の原因」
どうやらそれが解った(医学的とはいえ理解して貰えた)事にホッとしたことを覚えています。
「五体満足に産んで貰って!」(そんな事言うんじゃありません(怒))
他人との感覚のズレに苦しんで色々訴えてた時に、
今は亡き母が良く返して来た言葉です。
「(みんな似たような思いはしているから)頑張りなさい」とでも言いたかったんでしょうが、
既に頑張り続けて苦しんで訴えている相手には辛い言葉だって事、
メンタルケアの概念がまだ定着して無い時代とはいえ解らなかったんだろうな・・・。
それと、「五体」って言葉には精神やら神経も含まれているから自分は明らかに「五体満足」では無かったんだよね。
今さら愚痴ってもどうにもならない話だけどね。
今でも障害持ちが判明することは辛い事という認識が一般的ですが自分にとっては寧ろ未來が開けたような?妙な事態に感じられて、
もっと速く受診でも受けてたほうが良かったのかもとは思うけど、
障害傾向のボーダー判定される可能性も高かったとも思うしこの程度の時期で良かったのかもね。
初めて小説みたいなものを書いてはみましたが・・・パソコンなんて持って無いからタブレットで投稿してるせいもあってか異様に長時間の打ち込みに成ってしまいました。
正直次がいつ書けるか未定です。
(もし読んでる人が居たら)何年後になるかわからないけど次回をお待ちくださいm(._.)m