懐かしい感覚
3月の風は冷たく
ターミナルを出ると思わずブルっと身震い。
それから
ネットで予約していた空港近くのレンタカーをピックアップする。
車を運転するのが好きだった。
学生時代バイトして好きな車買って日本中あちこちドライブしたものだ。
今もバリ島で運転しているが
どうもこうも、楽しくない。外国人は車を所有できなくなりレンタルするわけだがどの車も毎回常にどこか壊れている。サスペンションも完全にヘタって長時間乗ると疲労感が物凄い。なんなら、一度窓を開けると閉まらない。出先で急に壊れて立ち往生なんてことも。道路はガタガタで交通量は年々爆発的に増え大混雑、しかもほとんど野生で走る奴らばかりでルールらしいルールなんてないも同然だ。
レンタカーはほとんどがマニュアル車で、そこだけは気にいっているんだけどね。
今回成田で借りたのはトヨタのプリウスだ。
カギを受け取り運転席に座る。
まだ新しい車で新車特有の匂いがする。けどこれは「新車の香りスプレー」かもしれない。匂いが強すぎる。日本はいろんなものがあるからな。
トヨタらしい、覚えのある内装。ああこれは懐かしい感覚だ。ホッとして頬が緩む。
しかし、問題が起きた。
さっき渡されたコレ、何。コレがカギか?
四角いぞ。
こんな鍵あるか。
一体どこに差すんだ?
いくらその四角い物体を眺めても、まったく見当がつかない。
これは、考えても絶対にわからないヤツだ。
見送りのスタッフが運転席の窓に顔を寄せてきた。確実に不審がられている。
僕はドアを開けた。
「あの、これ、どうやってエンジンかけるんでしょうか?」
「えっ?!」
驚くスタッフ。不審感をあらわにしやがる。
「このボタンを押すんです」
他にも色々分からないことだらけだ。なんだか気恥ずかしいが聞くしかない。
四角いカギは差さなくていいのか、じゃあどこへ置けばよいのか、ついでにFMラジオやナビの操作も。
「あのぉ…… 大丈夫なんですか?」
ものすごく怪しまれている。
「ああすみません。ずっと海外で旧型のマニュアル車でね、
こんな新しい車が初めてなんです、アハハ。運転は大丈夫ですよ」
「はぁ、そうですか」
もろに安心している様子だ。よかった。
FM の周波数を昔よく聞いていた 81.3 に合わせて発車。
それにしても社内が静かだ。密閉感というのか、重厚感というのか。かすかなエンジン音だけの静けさの中、ステレオの良い音でラジオが優しく流れる。
アクセルを踏み込んでみる。
加速が上品だ。なめらかでスムーズ。この、日本車のシフトチェンジのプログラムはクオリティが抜群に高い。空いた道路を清々しい早春の景色がグングン流れていく。
腹の底から楽しさが湧き上がる。
間もなく、道路わきに咲く桜が目に入った。
ああ、桜の季節だそういえば。忘れていたよ。
まだ3月だけど
今年は早めなのかな?
ラジオを聞きながら、とりあえず車を走らせる。
……昔はこんなにトーク長くなかったよな、
もっと音楽が聴きたい……
学生時代にドライブした道を走ってみたくなって
ナビから反れた回り道を行く。ナビはくじけることなく、すごいスピードで次のルートを提案してくれる。
そういえば昔、こんな風にナビを無視していたら「経路が分かりません」と出たことがあったな。ナビが道分からないってどういうことなんだと、ナビに向かってずいぶん説教したもんだ。
田んぼや川の景色。これはあの頃と変わらない。
道路わきに埴輪が登場してきた。海へ続く道だ。こいつら、まだ立ってるのか。
かわいいな。
初めてこいつらを見た時は驚いたもんだ。なんで埴輪が道路にこんなに立ってるんだってね。それで高校の日本史の授業を思い出したんだ、この辺りには確か大きな古墳群があったんだ。たしか埴輪博物館ってのもあったっけ。埴輪は良い。あの表情がなんともいえない。土産コーナーで手乗りサイズの小さな埴輪を買ったんだった。結構気に入ってた。どこに行っちゃったんだろ。日本を出るとき慌ただしかったからなあ。一人暮らしの部屋の荷物をほとんど処分してずいぶん色んなものが手元を離れたんだ。埴輪も処分しちまったかな……
景色の裏に、遠い記憶が少しずつ浮かぶ。現れては消える。シャボン玉みたいに。