始まりの日、旅立ち
「いい加減にしろよ、野蛮なゴミめ。」
そう、玉座に座りながら怒りに目を染めて言う長い黒髪の老人を前に、俺の意識は再びの混乱を強いられていた。
この老人はミズル。俺を召喚した、セーニョ大帝国の帝王だったはずだ。
俺は彼の側近だろう紫髪の少女に勇者じゃないだのなんだの言われて殺されかけて、窓をぶち破って逃げようとした。
いや違う、逃げた、はずだ。なのに、外に飛び出した浮遊感を感じた刹那には、まるで場面が切り替わるかのように先程居た大広間へと立っていた。
不思議と痛みは消えていた。ジクジクと痛んでいた肋骨も、鼻から出ていた血も、意識の遠のく感覚も、何も感じない。痛みは、忽然と姿を消していた。
おかしい。あの出来事があったのは間違いないはずなのだ。あの時感じた謎の万能感や、溢れ出るような力の感覚はもう残っていないが、それでも。
それでもあの出来事は、間違いないはずなのに―――
「あぁカナタ、急に移動したのと怪我が治っているのは、俺のスキルだから気にしなくていい。それよりどうしてこうなったのかを聞きたいんだけど、ティロス?」
ティロス、というのが誰のことか分からずに後ろを振り向くと、そこにはあの、紫髪の女がいた。周囲には、俺を襲ってきた赤ローブの男達も。
「な、ぁ……!」
恐怖や怒りがごちゃ混ぜになった声を上げ、俺はもはや本能的に少女から距離を取ろうとする。だが、身体が思うように動かすことが出来ない。
怪我のせいだけじゃない。あの王様のスキルだろう。
抵抗を諦め、同じく困惑しながらも怒りを隠さない紫髪の少女―――ティロスと呼ばれた女は、俺を睨みつけながら言った。
「この男は〈勇者〉のスキルを持っていませんでした!あれだけ私たちが苦労して構成した召喚魔術も、私たちの想いも、全部踏み躙ったんですよ!?だから、殺すのはあたりまえで―――」
酷い言いように、俺も反論以前に沈黙するしかなかった。
完全に、逆恨みだ。誰かにここまで憎まれたのも初めてだ。底知れない悪意に晒されて、危害を加えられて、おかしくなってしまいそうだった。
「勝手に召喚したのは俺たちだ。勇者じゃないからと言って殺そうとするのは間違ってる。ましてや、まだ子供のカナタを集団でリンチするなんて言語道断だ。」
「で、ですが……」
「黙れよ。元よりお前は強さしか見ていなかったが、ここまで酷いとはな。ティロスに同調したゴミ共も、相応の処罰は覚悟しておけよ。」
どうやらこのミズルという老人、軽薄だが言う時は言う男らしい。
怒りと義憤で語られる言葉に、ティロスも、赤ローブ共も悔しげに顔を伏せている。
ひとまず、気は済んだ。後は、俺の聞きたいことも聞かなければ。
「俺が勇者じゃないって言うのは、本当のことなのか?」
「ああ、ステータス表示の魔道具に〈勇者〉が映らなかったならそうだろう。我々の勇者召喚魔術――ユグドラシルはまだ不完全だったのかもしれない。本当に、申し訳ないと思っている。」
どうやら本当に人違いらしい。
ただただショックというか、空虚な感じがすごい。
しかし、本題はここからだ。
「……俺は元の世界に、帰れるのか?」
これが俺の1番聞きたかったこと。俺は再び元の世界に戻り、生きていくことはできるのか。
俺はまた、舞香に会えるのか。それを聞かないと、やっていけそうになかった。
「……残念だが、君の肉体は元の世界だと既に死亡している。元の世界に戻る方法はないし、仮にあって戻ったとしても君は既に死んでいる。」
「あぁ、そうか。」
口から、平坦な声が漏れた。
泣きそうな程悲しいのに、叫び出したいほど怒っているのに、身体が反応しなかった。力が抜けてしまっていた。
もう、俺は、舞香には会えない。
その事実が、俺の身体を侵食する。
まるで、ズブズブと絶望の沼に引きずり込んで離さないようにしているかのように、身体が絶望で染まっていくのを感じる。
「でも、まだ希望はある。」
絶望する俺に、ミズルがふとそう告げた。
「強くなれ、カナタ。」
「……は?」
「スキルを習得し、レベルを上げ、強くなれ。そして【時空の天使】にあってこい。」
聞きなれない単語。時空の天使とは、何なのだろうか。
「この世界には、様々な概念、事象を操る天使というものが存在している。その最上位である〈六道〉天使の一角、時空の天使クロノスであれば、時空を操る彼であれば、カナタを元の世界に戻せるかもしれない。」
「そいつと、会うには―――」
「強くなり、レベルを上げるんだ。天使は、強い奴に集まってくる。そして契約できた暁には、俺のもとに来い。俺は絶対に、お前を元の世界に戻してやる。」
途方もない話のように感じた。さわりだけ聞いても、かなり確率の低い話であることは十分わかる。でも。それでもだ。
それでも1%でも、俺に可能性があるのなら。
「分かった。俺はその、時空の天使とやらに会ってくる。必ず。」
そう強く断言した俺に、ミズルは満足そうに頷いた。
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殺されかけ、再度大広間へと招集されてから約5時間が経ち、俺は今城の裏から出て少し離れた平原にいる。
時刻は、ようやく正午にさしかかった頃らしい。
―――あの大広間での決意の後、俺はこのセーニョ大帝国を出ることになった。
どうやら、俺が〈勇者〉でないことが全国民に広まれば、少なからず反発が起きることは確定しているらしい。
ミズルはティロスたちの無礼を何度も何度も謝罪した後、旅に出るよう言った。
「重ね重ね申し訳ないが、恐らくカナタを匿うにも限度がある。今回の召喚は国家予算が傾くほどの費用をかけたものだから、勇者では無いものを召喚してしまったなんて国民に知られれば、君が恨まれて殺されかねないんだ。」
と、ミズルは言った。
勇者召喚の魔術――ユグドラシルとは、それだけの膨大な予算が必要らしい。だからといって、別に俺は悪くないが。
「そこで、だ。何処にいるか分からない時空の天使に会うためにも、君は強くなる必要がある。だから、この近くにある〈フィラル大森林〉という魔境へと行くといい。装備や食料は、全てこちらが負担する。」
ミズルの言い分はこうだ。
このまま勇者召喚が失敗したことがバレるとヤバいから、君は危ない所に一人で行ってトレーニングしろ。費用は全て負担する。
「正直、〇ね!って突っぱねてもいいくらいのゴミ条件だけどな……」
申し訳程度に整備された道を、全身鎧の兵士に先導されながらそう呟く。実際、条件としては頭おかしいどころではないだろう。
こっちは、何の変哲もない高校生なのだ。異世界で一人魔境とやらに放り出されて、生きていける筈がない。
ましてや、名も知らぬ男たちに半殺しにされた恐怖は、俺の心に根強く残っている。
この短時間で魔力の操作方法や剣の振り方、旅の仕方や魔獣に関する注意点などをほぼノンストップで叩き込まれたとはいえ、正直やっていけるとは思えない。
「それでも、俺は一刻も早く強くならなくちゃいけねぇんだよ…」
時空の天使に会って、元の世界に帰るという目的を達成するには、とにかく強くなる必要がある。その為なら、例え召喚直後に殺されかけても、こんなゴミ条件でも受け入れるしかなかった。
中世暗黒期のヨーロッパなら確実に晒し首にされて殺されていただろうから、そう考えるとまだマシかもしれないと、些細な言い訳で、震えそうな心を叱咤して。
ともあれ、あのティロスとかいうヤバい女がいる国だ、本当に一秒も早く出ていきたかった。
そして何より、この五時間で俺の戦闘能力が大きく上がったのも事実なのだ。
「〈天才〉ってスキル、思ったよりぶっ壊れで助かったぜ……」
俺が最初、唯一持っていた謎スキル、〈天才〉は、1度見たスキルを自分のモノにするというもの。
簡単に言えばチートスキルだ。
これを持っているおかげで俺はティロスが使っていた〈衝撃波〉や〈天歩〉が使えたらしい。
実際、後でもう一度先程と同じようにステータスを確認してみたら〈衝撃波〉と〈天歩〉、それに加えてそれらを発動するのに必要な〈魔力感知〉すら獲得していた。全部Lv1だったが。
そのスキルのおかげで、俺は城にいる人々のスキルをある程度は見て覚えて習得することができ、〈剣術〉〈初級火魔術〉なども獲得することができた。無論全部Lv1だが、何も無いよりは確実にマシだろう。魔術も、早く使ってみたくてワクワクしているくらいだった。
ただまぁ、習得できるのは自分の体で再現出来る範囲のもので、例えば火を吐くスキルとか見ても俺がそれを覚えられるわけじゃないらしい。
そこまでいくと底が見えなくなってしまうので、まぁそのくらいが妥当なのだろうが。
ちなみに〈剣術〉のスキルは足運びや剣の振り方がなんとなく理解でき、〈初級火魔術〉の方は魔力を火魔術の形に変えることができるようになると言ったもので、これがあればかなりマシになるとミズルも太鼓判を押してくれた。
「とはいえ、兵士の一人くらいついて来てくれてもとは思うがな……」
まあ、その代わりがこれだと言うことだろう。
「ほんっと、めちゃくちゃデカイなこいつ……!」
俺の隣に鎮座しているのは、体高が優に3メートル以上はありそうな巨大なトカゲの魔物だった。
乗用魔物というらしく、これはそのうちの一種である大蜥蜴、俺の旅のパートナーとなる魔物だ。
兵士が驚く俺に苦笑しながら、大蜥蜴の説明をしてくれる。
「これは大蜥蜴という種類の魔物です。草食なので、今から行くフィラル大森林なら特にエサをやらなくても大丈夫ですよ。」
フィラル大森林は、俺がいるこの東大陸という大陸最大の魔境らしい。奥まで行かなければ強力な魔物も出ず、村なども点在しているという話だった。
「強さはC級程度なので、出てくる大抵の魔物はこいつなら一撃で倒せると思います。」
C級程度だと、さっき習った魔物危険度で言うと村が全滅する可能性のある魔物、ということらしい。正直かなり強いだろうが、俺の出番はあるのだろうか。
―――俺はこれから、彼らに教えてもらった村を目指す。
フィラル大森林の中にある田舎の村なら、誰かに見つかることも無く魔物と戦い力を伸ばすことが出来るそうだ。
正直、時空の天使と会えたとしても10年後20年後の話になってきそうな予感がするが、今は彼らの言うことに従うしかなかった。
地図の見方は教わった。言語が全て日本語だったり、地図の読み方も日本と全く変わらなかったりと、奇妙なほど日本人に優しいような気がしてならないが、とにかくこれなら村には辿り着けるだろう。
取り付けられたサドルに乗り、大蜥蜴へと跨る。
肌に感じるゴツゴツとした感覚が、今はとても頼もしかった。
渡されたのは冒険用の簡素な服と2週間分の食料、水、村までの地図、そして腰にぶら下げた鉄の剣だ。
剣を扱うのは初めてだった。結構ボロくて正直不安になるような剣だったが、試し斬りしてみると割と切れ味は良かったから大丈夫だろう。
正直、死ぬ可能性の方が高い。
こんな楽観的な俺も、ミズルもどうかと思う。
ただ恐らく、ここに長居すればミズルは確実に俺を殺すしか無くなっていた。他の人物に気付かれないよう、予算がない中で色々と工夫した結果なのだということはなんとなく理解している。
たった数時間だが、あの老人が良い奴だと言うことくらいは俺でもわかる。
行くしかない。怖いが、それでも。
大蜥蜴の操作は兵士に教えてもらった。
横腹を叩く。大蜥蜴が、ゆっくりと加速を始めた。
「こんな形になってしまったこと、本当に申し訳なく思います。私がこんなことを言うのも変ですが―――どうか、ご武運を!」
最後に兵士からそう告げられて、俺は平原を大蜥蜴の背に乗って走っていった。
目の前、地平線を埋め尽くすように見える、あの果てしない森林がフィラル大森林だろう。
種類の分からない広葉樹林が広がっている大森林は、とてつもなく不気味なように見えたが―――
「ここからが、俺の冒険の始まりだ!」
そう、不安をかき消すように大きな声をあげて、俺の長い長い異世界生活が始まった。
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「汚れ役を頼んで済まなかったね、ティロス。」
大広間にて、二人の男女が密談を交わしていた。
一人は、美しい紫髪をたなびかせる少女、もう一人は、長い黒髪の美青年だ。
「いえ、別に構いません。私はもう、二度と会うことも無いでしょうし。」
「ん、本当に助かったよ。召喚に失敗したのなんて初めてだったから、俺もどうすべきか悩んでいたんだ。そもそも、こんな特異な状況で勇者召喚を行ったことが1度もないのだから、しかたないといえばそれまでなんだがね。」
「……」
「どちらにせよ、トラウマを植え付け、自発的にこの国に近寄らせないようにしたのは最高だ。やはり君は俺の思う通り、有能な女だよ。」
「別に、賞賛は求めていません。それより、【赤熊の窟】の者共は少年を容赦無く暴行したことに心を痛めていましたよ。陛下自らが赴いて慰めて差し上げればいかがですか?」
「いや、あんな研究者連中に興味はねーよ。まぁちょっと気の毒なのは認めるけどさー……」
平坦な口調の少女に対して、青年はどこまで行っても軽薄だ。
だが、その会話の奥には隠しきれない親愛がある。恋ではない、家族に向ける愛情が、そこには確かに存在していた。
「しかし、フィラル大森林に村があるなどと嘘をつくのは、いかがな物かと思いますが。下手すれば死にますよ?あの少年。」
「安心しろよ、俺がどうしてあの森に彼を送ったと思ってるんだ?……あそこにはカレジ・イルティスがいる。あの子と出逢うって、俺の『眼』が言ってるんだから間違いないさ。」
「……」
「それに、彼には創世歴時代に作られた【聖遺物】を持たせてるんだぜ。天上聖戦において、滅びの神が天使の神に与えた、世界を滅するための極上の聖遺物。六道を集める役に立つ。勇者では無い異世界人―――そんな彼には、絶対に六道を集めてもらわないと困るんだ。」
そう言って、自分の暗澹を湛えた黒瞳を指さして笑う青年に、少女の諦めたような、切ないような嘆息だけが大広間に響いていた。
「にしても、あの名演技は本当に面白かった。『眼』で監視していた俺も思わず吹き出したよ!」
「……ッ!」
「なんだっけ?殺してやるぞ、異世界人ーっ!だっけ?ぷぷぷぷぷぷっ!」
「……張り倒しますよ?」
「おーおー、怖い怖い。ちょっと前まであんなにちっちゃくて可愛かったってのに……
―――ま、とにかく休んでる暇はないよ。明日にでも、ユグドラシルの展開準備を始めようか。今度は、失敗しないように。」
「―――私の心は、小さい頃から変わっていませんよ。全て、陛下の御心のままに。」
ブクマ・評価などよろしくお願いします。
長い黒髪の美青年が誰なのか、察しのいい人は分かっているかも……?