ステータス
――着々と、状況がカオスになっていくのを感じる。
「待って、待て待ってくれ。状況を整理したい!」
脳がパンクしそうになる俺が慌てて声を上げると、老人は歳に似合わぬ艶のある黒髪を撫で、面白そうにニヤリと笑って頷いた。
「まぁ、混乱するのも無理はないしね。俺に答えられることなら何でも答えよう。」
正直ありがたい。今の俺にはもう、何が何だか分かりそうになかった。
赤ローブの人々は俺の方を注視しているし、めちゃくちゃ綺麗な紫髪の女の子はやたら冷たい目で俺を見ている。
そして何より、あの夜の痛みが、嘘だとは思えなかったから。
「……あの日、あのクリスマスの日、俺は確かに死んだはずなんだ。」
「―――」
「妹を―――舞香を、庇って。天井が崩れて、それに押し潰されたんだ。」
あの時、一瞬で内蔵が張り裂け、痛みを感じる神経が直接蹂躙され、脳に『痛み』そのものが直接入り込んできた。
刹那の痛みだった。だが、自分という存在があっけなく崩れ、蹂躙されていくあの地獄のような感覚が、嘘だったとは到底思えない。
「俺は……異世界転移したんだろ?ならなんで、俺は生きてんだよ……!」
通常異世界転移は、身体をそっくり異世界へと持ってくることを指すはずだ。そうじゃなきゃ、俺がこうして近藤奏多として生きていることの説明がつかない。
だが、だとしたら何故俺は生きている?
異世界に体を直接持ってきたら、俺は死体のまま異世界に運ばれることになる。そのはずなのに、俺には傷一つないどころかずっと着ていたパジャマにすら燃えたあとすら残っていない。
これは、あまりにもチグハグだ。
「俺の肉体は、俺が死ぬ数時間前だ。でも、俺の記憶はその後まで続いてる。身体と意識が、伴ってねぇんだ……!」
何がそんなに嫌なのか、分からない者もいるかもしれない。
でも、きっと同じ経験をすれば分かる。
あの時俺は、自分という存在が崩れていく感覚を味わった。
自分の崩壊を、味わってしまった。
なのに生きている。自分が崩れる感覚を味わった後に、五体満足で生きているのだ。
不快感が、止まらない。今にも、吐き出してしまいそうだ。
「勇者召喚の魔術っていうのは、対象が死亡することで発生するんだ。」
ふと、老人が口を開いた。
「その時、普通に肉体を持っていったら死体が送られてくるだけ、ならどうするか、昔の偉ーい魔術師達は考えたんだ。」
「……どう、するんだ?」
「簡単だ。―――肉体の、時間を巻き戻す。」
時間の巻き戻し。現実味のない話だが、確かにそれなら肉体が傷付いていないことにも納得出来る。
――ただ、この不快感は消えることは無いだろうが。
「元々『死』によって世界に固定された魂が一瞬浮くのを引っこ抜いてるだけだからねー、記憶の巻き戻しは魂の話だから無理だけど肉体なら出来るって訳。」
「よくわからないけど、丁寧に答えてくれてありがとう。ただ――」
「ただ、何だい?」
「さっき、勇者召喚の魔術って言ってたよな?」
「……」
「それは、俺が勇者ってことなのか?」
嫌な沈黙。
赤ローブの奴らも、さっきまでうるさかったのに完全に俺と老人の会話に集中していた。
「まぁそうなるね。君は我がセーニョ大帝国の、勇者として召喚されたんだ。」
俺は、ただの高校一年生だ。
それが―――勇者?
―――早くも、帰りたくなってきた。
異世界に来て早1時間が経過した。
やたらと軽いノリの老人と話を終えた俺は、先程の大広間から移動してこれまた無駄に広い廊下を紫髪の美少女と赤いローブの人々に囲まれて歩いていた。
中々好奇心がそそられる装飾が施された廊下をじっと見つめながら、俺は先程あのふざけた老人に教えてもらった情報を整理する。
俺を召喚したこの国はセーニョ大帝国という国家で、あの男はどうやらこの帝国の皇帝だ。名前をミズルと言うらしい。
あののほほんとした男が皇帝なんて正直不安になるが、大丈夫なのだろうか。
まあとにかく、そのセーニョ大帝国が抱える大きな問題を解決する為に勇者を呼んだ、と。 訳が分からないが、そういうことなのだと納得するしかないことはこの小一時間で痛いほど理解出来ていた。
「納得できないことだって山ほどあるだろう……それでも、この場所が君の住んでいた場所でないことは確かさ。君は死に、そしてこの世界で再び生を得た。私は、君の活躍を期待しているよ。」
そう、老人は老いを感じさせない態度で俺に言ったのだから。
そして今、俺は自分の身体能力を可視化したものである「ステータス」とやらを測りにいく為に、鑑定室というステータスが測れる部屋へ移動しているらしい。
ステータスだなんて、いよいよ現実味が無さすぎて頭が痛くなってくる。
「なぁ、ステータスが分かるのってどういう仕組みなんだ?そもそもそれって上昇したり下降したりするのか?」
そう、先程からずっと一言も喋らず、俺に背を向けて先導する紫髪の少女に尋ねてみる。
間近で見ると本当に常外の美貌で、上手く喋れた自信が無いが、一応言っている事は伝わったらしい。
少女は相変わらずの全てを穿つような冷たい目で俺を振り返ると、言った。
「ステータスとは、所詮肉体が持つ力をそのまま数値化したものだ。それに振り回されすぎると負けるぞ、勇者。」
―――なんか、想像とはちょっと違う答えが返ってきた。
正直意味のわからない説明、というか明らかに私怨丸出しのズレた回答だったが、俺を囲んで歩く赤ローブたちは皆ガタイの良い男でピクリとも笑わないので少し話しかけずらい。
どうやらさっきの数十人程度いたローブ集団の中から、いかにも近接戦闘が出来そうな数人を集めてきたらしいが、お陰でさっきの大広間のような何処か弛緩した雰囲気は無く、自分が本当にこの世界へ来てしまったことを改めて実感させられてしまう。
ステータスなんてものがあって、魔術もあって、死んだ人間を生き返らせて、老人の話によるとスキルもある。
地球でぬくぬく育ってきた俺とは、隔絶した文化や価値観の差だってあるかもしれない。
―――そんな世界で、俺は本当に生きていけるのだろうか?
「おい、ついたぞ。この部屋だ。」
一瞬不安に駆られた時、俺の耳朶を紫髪の少女の高く響く声が打った。
下手すれば5分以上は廊下を歩いていたような気がするが、それもやっと終わりのようだった。
そこは一見するとこれまでの歩いてきた廊下で通りすがったいくつかの部屋と何ら変わりない扉のように見えるが、どうやらこの部屋に鑑定アイテムが置かれているらしい。
赤ローブの一人が扉を開け、俺が中に入ると、そこには―――
「なんか、ホームシアター……みたいだな。」
大広間や廊下に施された絢爛豪華な装飾とはうってかわり、目の前に広がるのは最低限の家具だけが申し訳程度に置かれたこじんまりとした部屋だ。
普通の家庭のリビング程度はあるが、それでも先程の大広間と比べてあまりにもチグハグな印象を受ける。
そして、何より。
壁一面に垂らされた白い紙と、部屋の中央に鎮座するこじんまりとした投影機のような凹凸のない謎の機械。
それはさながら、ホームシアターのような光景だった。
「これがステータスを高精度で、しかも称号まで分析する魔道具。我が国のダンジョンの最下層から発見された世界に一つしかない代物だ。」
現代の面影を感じさせるその物体に思わず絶句する俺に対して、やたら誇らしげに言ってくる紫髪の少女。
この一時間で癖になってしまった思考放棄を使い、無理矢理そういう事かと納得する。頭を空っぽにしないと、ついていける気がしなかった。
「……で、これはどうやってステータスを測るんだ?」
動揺しながら何とか口を開くと、赤ローブの一人が初めて喋った。
「そこの白い紙が垂らされている壁の中央に立っていてください。あまり力まないようにお願いします。」
屈強な見た目に対して落ち着いた丁寧な説明をする赤ローブの男に感心しながら、俺は指示された通り壁の中央に立つ。
ちょうど目の前に、その魔道具が鎮座している感じだ。
そして、紫髪の少女がその魔道具に近付き、何かガチャガチャいじる。
正直、何をやっているのかめちゃくちゃ見てみたい。
知識欲を堪えて突っ立っていると、どうやら準備が完成したようだった。
赤ローブの人々は魔道具より後ろでじっと俺を見つめ、紫髪の少女は魔道具に向けてなにか呟く。そして―――
ビー、と一瞬だけ魔道具から放出された光が俺の体を包み込んだ。
「え?え?」
何も見えない。光で視界が支配されている。
視界を奪われ少し混乱する俺だったが、やがて光は収まり、少しずつ周囲のものが見えてくる。
再び視界で捉えた紫髪の少女は、表情を変えることなくガチャガチャと魔道具を弄っていた。
「あの、俺はどうすれば?」
困惑しながらそう尋ねると、少女は視線を魔道具に固定したまま呟く。
「もういい。端に避けていろ。」
この人、なんでこんなに冷たいの……?
そう思いながらも、言われた通り端に避けてしまうのだから美少女とは本当に得をしているとしみじみ感じる。
そしてふと、魔道具からまたビー、という機械音がなると同時に薄い紙のようなものが印刷された。よく見ると、何か書いてある。
「プリント機能までついてんのかよ、これ……」
思わぬ高性能さに本当にこの世界はどうなっているのか不安になっていると、紫髪の少女がそれを素早く取って確認し、俺へと手渡した。
これは、どうやら見ていいということだろう。
実際の所かなりワクワクしていた。勇者なんて言われるくらいだから、なにか特別な力があったりするのだろうか?
そう思いながら、俺は手渡された紙へと目を通した。
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コンドウ・カナタ 人族 Lv1
筋力 14
防御 9
素早さ 20
スタミナ 17
神紋性能 E-
スキル
なし
エクストラスキル
〈天才〉
称号
なし
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「予想はしてたけど、やっぱ日本語なんだな……」
先程からずっと日本語で喋る彼らを見て半ば察しはついていたが、こんな西洋風の建築様式の国なのに日本語が使われているらしい。
明らかに何か関係がありそうだが、正直そんなことなど気にしている余裕もない俺はステータスを見ることに夢中になっていた。
本当に、ゲームのステータスのようだった。
筋力や素早さ、スタミナなどは想像していたが、やはりレベルやスキルなどの不思議要素もあるらしい。神紋性能とやらに関しては聞いたことも無い。
……にしても、俺はだいぶ弱いような気がする。
スキルも称号もないし、エクストラスキルという凄そうなのに1個だけ〈天才〉とやらがぽつりと置いてあるだけだし、現代での俺を見れば天才なんてあまりにも皮肉すぎる。
全てのステータスが10くらいだし、神紋性能とやらに関しては最低のランクなのではないだろうか、これ……
ていうか、称号に勇者が無いのはおかしくないか?
「あ、あのこういうのって普通、称号に勇者とか書いてあるものじゃ―――」
言葉がふと、途切れる。
否、紡げなくなったのだ。
「か、はっ……!」
―――俺の土手っ腹にぶち込まれる衝撃が、言葉を途切れさせていた。
大の大人に、手加減なしでぶん殴られたかのような痛みに、胃液が逆流し口の端から掠れた息が漏れる。呼吸が止まり、混乱で思考が白に埋め尽くされた。
何故。誰も、俺の腹を殴ったりしてないのに。
「貴様は勇者ではない。大人しく―――死ね。」
―――そう、これまでで見た何よりも冷たい目線で、紫髪の少女が杖を構えて立っていた。
面白い、続きが気になると思ってくれたらブクマや評価お願いします。
……サラッと流しましたが、ミズルというジジイのことは覚えといて下さい。