決着
人類の領地である西大陸の最大面積・人口を誇る大国家、セーニョ大帝国。
人口は5000万人を越え、広大な領地と豊富な人材、豊かな土地など恵まれた環境に設立されたこの国家は、武力も侮れないものであった。
この国を治めている皇帝は2代目勇者であるタカハシ・ミツルであり、彼は世界に数人しかいないとされる「人」の上位種、ハイ・ヒューマンということでも有名だろう。
今から2000年程前に造られたとされるセーニョ大帝国で未だ初代皇帝がその場に鎮座していることや、500年前の戦乱で軍を1つ滅ぼしたとされる逸話は吟遊詩人に謳われる程有名であり、皇帝の武が優れていることは一目瞭然だった。
国民が絶対に飢えないよう堅実に農業をするという面白みのない政策ではあったが、ハイ・エルフと同等の時を過ごし、また強大な武力を持つ皇帝の人気は高い方であったといえる。
とはいえ、皇帝も今では大陸最大国家の長だ。
そう簡単に戦いに赴くことはできなくなり、代わりに世界中から腕利きを集めた精鋭部隊〈不死鳥の剣〉や、またその中でも特に戦闘に秀でた4人を集結させたセーニョ大帝国の最高戦力、〈四臣〉が創設された。
幻影魔術を使いこなし、〈地獄に飢える者〉という神話の双剣を操るとされる多頭族。
高難度の魔術陣を容易く製作し、魔術の才能が無いながらも圧倒的な魔力量を利用した強力な魔術陣を発動させ闘う魔術陣師。
ハイ・エルフの血を引き、魔壁に愛されたと称される魔術の才能と適正を持つ赤髪の天才魔術師。
そして、〈四臣〉の首席にして赤髪の魔術師の兄。風魔術だけに自身の才能を全て注ぎ、魔術適正が1つながら有り得ないほどの実力で帝国最強に登りつめた〈風神〉と呼ばれる男。
そんな帝国を代表する〈四臣〉の1人、カレジ・イルティスは今現在フィラル大森林で静かに暮らしている。
10年前の、勇者のコア奪取事件により心に傷を負った彼女のことは国民には知らされておらず、元々あまり表舞台に顔を出さない
〈四臣〉の1人が一切姿を見せなくなっても気にする者は少なかった。
無論帝国上層部は1ヶ月に1回周期で使者を送るなどカレジを取り戻すため試行錯誤を重ねていたが、未だ彼女がその求めに応じたことは無い。
皇帝であるミツルも特に気にした様子はなく、強硬手段を使うことが出来ないのもその要因の一つだろう。
今セーニョ大帝国は魔王がいないにも関わらず極秘で進めている勇者召喚計画の準備で忙しく、国に知られないよう手回しを開始している。
いつ戦争が起こってもおかしくない状況であり、故に〈四臣〉の能力は今の帝国に極めて重要なものだったが、しかし皇帝の指示がない限り上層部も大胆に動くことは出来ない。
冷徹で有名な皇帝が指示を出さないのは、やはりミツルもカレジに情が湧いているからに他ならない。
そんな皇帝の温情に救われ、フィラル大森林で静かに暮らすカレジの元に1人の少年が現れたのは、つい2週間前の事だった。
いつも通り帝国の使者を軽くあしらい狩りに出かけたカレジがあの少年を見つけた時、彼女は自分の目を疑った。
乗用魔物として使われることが多い大蜥蜴という魔物、そして何故か希少種であるピンクの鱗を持った治癒竜が傷だらけで倒れている少年を治療していて、そのすぐ傍らには闇竜と呼ばれる下位の竜が首を落とされ崩れ落ちている。
流れ出る闇竜の血は大地を赤く染めていて、返り血と自らの血で塗れた少年も無事とは言い難い状況であった。
意味不明ではあったが、ひとまず彼女はこの少年を家に匿うことにした。
〈耳長族〉と交易が行われるこの魔境でドラゴンを手懐け、またドラゴンを貧相な鉄の剣で討伐する実力。
明らかに訳ありで、関われば厄介なことになることは明白だ。恐らく〈四臣〉時代なら見捨てていたであろうその少年に、何故か今の彼女は興味を抱いたのだ。
10年間帝国に戻る決心がつかなかったカレジは、無意識に新たな刺激を求めていたのかもしれない。
この少年が、何も変わらないままの彼女を変えてくれるのではないかと、淡い希望に縋り付くように。
そんな希望を捨てられないまま、2週間が過ぎた。
彼女が出す〈ノルマ〉を続々とクリアしていく少年は着実に力をつけていて、一人暮らしのログハウスにヒルクと呼ばれるドラゴンや大蜥蜴、それに少年が集まり一気に賑やかになっていった。
10年前、耐えきれない重圧と罪悪感で国を逃げ出した時以来の和やかで、優しい時間。
新しい仲間たちは、彼女の心を常に蝕んでいた暗い何かを確実に取り払っていて、帝国にいた時のような愛想笑いではない、本物の笑顔を取り戻していた。
幸福。
あの家族を殺してから、それは彼女が二度と感じてはいけない感情だった。
二度と感じてはいけないと、そう自分を固く縛って生きていた。
なのにあの少年は、そうやって固めた心を解いてしまう。
ダメなことなのは分かっている。でも、あまりにその日々が楽しすぎて。
だから、きっと。
「私が、ここまでボロボロになっても戦うのは、あの少年のお陰なんだろうね。」
無数に刻まれた痛々しい傷が彼女の全身を裂いていた。
〈不死鳥の剣〉団員であることを示す深紅のローブは引き裂かれていて、深紅のローブに滲む赤黒い血の色がここまでの激戦を物語っている。
目の前に対峙するのは、漆黒の大剣を担ぎあげた巨躯。
やけに上等な装備と大剣、そして他のオークとは比べ物にならない覇気がそのオークがただのオークではないことを暗に示していて、その厚い脂肪を内包した肌には火傷のあとや切り裂かれたような傷が数多く残っている。
しかしそれは規格外の体力を持つそのオークにとって全く苦になっておらず、対峙する2人ーーー1人と1匹のどちらが優勢であるかは一目瞭然であった。
その状況を自嘲するように笑った彼女が、無詠唱でオークへと放たれた炎の弾丸とともに突っ込んでくる。
突然の行動に流石のオークも驚き、その動きがほんの一瞬だけ止まった。
その隙に潜り込むようにオークの懐に入ったカレジが、その痩躯からは想像できない猛烈な威力の拳撃を放つ。
聖魔術の力で限界まで強化された彼女の一撃はオークの分厚い脂肪を通り抜け、3mはある巨躯を怯ませる程の暴力として顕現し、それは充分な隙を稼いでいた。
炎の弾丸が身動きの取れないオークに直撃し、視界を奪う。
それは決してオークを傷付けられる威力ではなかったものの、しかし目くらましの役割だけはしっかりと果たし、再度彼女が魔力を練り、魔術を発動させるのには充分だった。
「〈闇穿つ聖風〉!!」
炎弾が稼いだ一瞬で最高難度の魔術を完成させ、それを胴体ががら空きのオークにゼロ距離でぶち込む。
轟音と共に圧縮された冗談抜きの風の砲丸に、オークが初めて悲鳴をあげる。
それは彼女の兄が放つ風の魔術には及ばない迄も、魔壁の寵愛を受けたハイ・エルフの一撃は確実にオークの肉鎧を穿った。
オークの身体から血が吹き出し、久しぶりの痛みに喘ぐ巨体が我武者羅に剣を振るう。
それは、己の剣才を信じて放った酷く拙い剣撃。
剣士なら誰もが鼻で笑うだろうその一撃は、しかしそのオークの出鱈目な身体能力が覆してしまった。
ステータス任せの攻撃はしかしハイ・オークの最大の武器であり、剣の技術を完全に無視していながらなおも侮れない速度で迫っている。
剣に生きる者を侮辱するようなその一撃は、懐に潜り込んでいたカレジに避けられるものではない。
魔術を練るにも時間が足りず、無情にも迫る剣先が死を告げる。
大森林に逃げてから久しく感じていなかった死の恐怖に彼女は諦めるように目を閉じーーー
「諦めてるんですか、カレジさん。そんなの、らしくないですよ?」
そんな絶望を切り裂くように、彼女が縋っていた「希望」が、まるで神話のヒーローのように颯爽と現れたのだ。
振るわれる大剣を両の手で掴み、僅かに血を流しながらもその「希望」は確実にオークの動きを止めていた。
スキルの補正がありながらもやはりその一撃は相当な威力を持つものなのだろう、彼は痛苦に顔を歪めていて。
それでも格好つけるようにそう叫んだ「希望」に、カレジは何故か分からないが、笑みが浮かんだ。
何故、こんな時に笑っている?
自分で自分が分からない。唯一分かるのは、今自分が最高に楽しんでいることだけ。
「カナタだけに、格好をつけさせるわけにはいかないよね……!」
そう叫び、身体の中の情動に従って宙を舞う。
身体への負担を考えない最高火力の聖属性魔術で身体能力を底上げし、軋む肉体を無視してがら空きのオークの背後へと回る。
未だ少年に手一杯のオークは猛スピードで移動した彼女に気付く気配はなく、故に全力の魔術を放つことができる。
身体に残る全ての魔力を利用し、最高の魔術を練って行く。
彼女の中に渦巻く莫大な魔力に、ハイ・オークも流石に危機感を覚えたのか、大剣を手放してそちらに注意を向けようとするが。
「残念だったな、俺は粘着質なんだよ。」
少年の得意気な声とともにオークの手が剣に固定され、彼女へと注意を向けることを許さない。
有り得ないスピードで高まっていく魔力にオークが焦るように暴れ、その声に反応した周囲のオークが一斉に彼女へ突撃していく。
これまで待機していたオークたちの突然の攻撃に少年も対応できず、集中するカレジは気づいていない。
オーク兵の槍が彼女を突き刺す直前に、雄叫びをあげて爪を振るうドラゴンがそれを阻止する。
ピンクの鱗を持つドラゴンはまるで紙切れのようにオークを吹き飛ばしていき、カレジを護るように必死で暴れていた。
それも永くは持たないだろうが、もうカレジにはそれほど時間は必要ではない。
「〈神殺し〉ッ!!!」
ドラゴンが何体目かのオークの体を吹き飛ばした時、練った魔力がようやく世界に放たれた。
体内の魔力をほぼ全て使ったその魔術に、世界が悲鳴をあげながらそれを顕現させていく。
そうして宙に現れたのは、巨大な〈牙〉だった。
それは魔を払うように清く輝くそれは、目の前の魔物を噛みちぎらんと降臨した。
ハイ・オークが背後の死を感じ取り狂乱するように叫び、しかし少年が必死にしがみついて行動を許さない。
そしてーーー




