狂術師
包囲網全滅。
その報を焦った様子のオークが伝えるのを、豚人術師はただ冷静に聞いていた。
ここはオークたちの本拠地である岩山の中。
包囲網を敷くための部隊が展開したところからおよそ徒歩で2時間程度の場所。
薄暗い岩山で受けたその絶望的な報告に、後ろで待機しているオークたちにはざわめきが広がる。
包囲網の全滅というのは、豚戦士に次ぐ実力者とされる豚斥候が死亡したということ。
続々とオークの強者が倒されていき、オークたちを統率できる豚将軍も4体が敗北した。
それでも背後のオークたちの絶望をかき消すがごとく、豚人術師は冷静に指示を下す。
未だ怪我は治らない豚人ノ王の代わりに指揮をとるそのオークは、王にも1目置かれる程の英智を誇っていた。
その堂々とした姿に、絶望したオークたちも少しだけ余裕を取り戻す。
その姿を横目で見た豚人術師は、だが自分がかなり追い詰められているのを自覚していた。
正直に言うと、彼にとってあの包囲網部隊は捨て駒だった。
オーク・リーダー4体とオーク・レンジャー。それに上位種から生まれた優秀なオーク達およそ60匹。
その戦力を捨て駒にするのは酷く惜しかったが、それでも本拠地に戻って成人したオークたちの戦力は200を超えた。
それでも、あの実力者達と闘うには心許ない戦力ではある。オークリーダーは残り10体、それに〈切り札〉もいる。
大蜥蜴は奪還されたが、故に敵が油断する。
やつらは王を倒せてはいないが、大怪我を負わせているのだ。
絶望的な状況であることを逆に利用したその手腕は、やはり熟練のオークであることが伺える。
いくら敵が手練でも、多少の油断はある筈。
奴らも、あれが捨て駒であることには気付いていない様子であることは、既に仲間のオークに調べさせていた。
彼は、あの襲撃の時は背後からの支援を任されていたので未だカナタやカレジに相見えたことはない。
それでも、今は亡き豚斥候が育て上げた謀反部隊は正確に彼らの情報を運んできており、既に敵方の動きを大体把握していた。
そして何より驚くべきことに、彼は包囲網が捨て駒であることを味方にも言っていない。
敵を騙すには味方から。
それを体現したような賢きオークの行動は、確かに人間たちを騙していた。
彼ら人間も、まさか本拠地にあの包囲網の3倍の数が潜んでいるなんてことは予測できていない。
カレジは、統率能力よりはどちらかというと個人の能力を買われた者であることもあり、オークの策には気付けていない。
ただ、それでもオークはオーク。
絶望的な状況で打ち出した策は確かに素晴らしいものではあったが、やはりいかんせん人間やそれに利する者の知識が足りなさすぎた。
もしオーク・マジシャンが、5年前に起きたスタンピードでもう少し人間の領域に入り込んでいたら、もしかしたら更なる良策が生まれたかもしれない。
着々と策を練るオークは、しかしあと1歩で気付くことが出来ずにいた。
こちらにも奥の手があるということは、向こうにも隠している手があるということに。
そして、隠し事をするのは人間たちの方が圧倒的に優れているということを。
薄暗い岩山で、哀れなオークはいよいよ本隊の出撃用意を整える。
大軍を引き連れ、群れの命運をかけて戦いに赴くその姿は威風に溢れていて、彼らの王を想像させるその佇まいに否応なくオーク達の士気は上がる。
捨て駒として扱われた包囲網部隊の無念を晴らすため、オークたちは槍を手に持ち進み出す。
かつての大暴走で〈狂術師〉とまで呼ばれて恐れられたオークの敗北は、最早目前まで迫っていた。
舞台は切り替わり、カレジの戦場へと映る。
ぼろぼろになったオークを焼き殺し、迫り来るオークリーダーを水の刃が叩き切る。
風を纏ったヒルクの爪撃が怯んだオークを引きちぎり、悲壮な覚悟を決めたオーク・リーダーの部下を引き連れた特攻に、カレジに当たらないよう絶妙に調整された竜の息吹が襲いかかり、特攻は叶わぬまま焼き焦げて死んでいく。
少し離れたところで同じく戦場を舞っている少年と、比べ物にならない程の地獄絵図。
こちらの包囲網はその少年のものより手強いものだったが、それでも流石は大帝国最高戦力と希少種の竜。
小国なら滅ぼしてしまいそうなその手練たちに、いくら訓練を重ねたとはいえオークが叶うはずもなかった。
舞い散る血飛沫はとどまることを知らず、だがその血の中にカレジの血は一切混じっていなかった。
踊るように魔術を放ち続々とオーク共の命を潰していくそれは、普通の魔術師からしたら誰もが羨む対象だ。
〈魔壁に愛されし者〉という2つ名を持つ少女は、その名に恥じぬ縦横無尽な戦いを繰り広げている。
魔壁とは、自らの神紋に通じている属性をつける壁のこと。
神紋を通じ、練った魔力に属性をつけ、形を定めて詠唱するというのが魔術のプロセス。
適正な属性とはつまり、自分の神紋が通じている魔壁の属性ということなのだ。
大体の人物は神紋に1つしか魔壁は通じておらず、魔壁が通っていない属性の魔術は、〈生活魔術〉と言われる低級の魔術しか使うことが出来ない。
2つの属性持ちであればそれなりに珍しく、属性にもよるが魔術師としては重宝される。これには、土属性と聖属性の魔術に適応する少年がその内の1人だ。
3つや4つとなると歴史上でも殆ど存在せず、現在の自由国家フォルテを作り上げた英雄、傭兵王ハディフィスは火、水、風、土の四大元素に対する適性を持っていたとされる。
そして、5つの属性持ち。
かつて、神からの信託を受け勇者召喚術を完成させた偉大なる大魔導師トリスは、闇を除く5属性に適性があった。
そんな、かつて歴史に名を刻んだ英雄たちでも、6属性に適性を持つものは確認されていない。
故に、6属性を操ることができるカレジは、正真正銘世界で初めてのことだったのだ。
圧倒的な魔壁の数。
それを見た兄であるパルマは、それを魔壁に愛されているとしてその二つ名を付けた。
それは瞬く間に帝国中に響き渡り、やがて世界の魔術師達はその圧倒的な才能に震撼し、そして気付けば帝国の最大戦力となっていた。
流されるまま魔術を使ってきた少女は、だがしかし今日こそは己の意思で力を振るう。
もう何者にも命令されないというのは、あの事件が起こった日に彼女がたてた誓いなのだ。
圧倒的な魔術と暴力。それに少しずつ数を減らすオークたちが全滅するのは、それから10分もしないうちだった。
「はあ、はあ。やっと、終わった……」
苦しげに息をする俺は、必死に酸素を供給しようと勝手に動く身体を無視して周囲の状況を確認する。
俺の周りには数多のオークの屍が打ち捨てられていて、あのオークたちの巨体で見えなかった周囲の光景がようやく目に入る。
俺が立っている場所から少し離れた森の中で、オークがカレジと相対している。
槍を突き出したオークは、その鋭い槍の一撃が宙を舞うのを見届ける間もなく首がもげて死んでいた。
その後、世界が思い出したように一瞬遅れて血を吹き出すオークに、カレジは一瞥もせず安堵したようにへたりこんだ。
恐らくだが、向こうもあれが最後の一体だろう。
ヒルクはここからだと見えないが、近くにいるはずだ。
ならば、今すぐ大蜥蜴の治療をさせなければ。
俺が振り向くと、そこには激戦の中意識を失っていた大蜥蜴の姿があった。
オークの群れではろくな治療すらさせてもらえなかったのだろう、体は昨日見た時よりぼろぼろで、高い生命力で生きてはいるが既に尽きかけている。
一刻を争う状況であることを理解し、俺は超加速の使用により痛む体を引きづってカレジたちの方に向かった。
ぼろぼろの俺を見つけたのだろう、カレジと木陰で休んでいたヒルクを連れて俺の方へ近付いてくる。
ぼろぼろの俺とは違い、彼女たちには怪我らしい怪我が見当たらない。ヒルクがいたからかもしれないが、カレジの実力なら無傷でも勝てそうな気がするのは恐ろしい。
恐らく折れているだろうあばら骨や肋骨が痛む。
それが自動回復で治りきる前に、ヒルクの淡い光が俺の全身を包み込み、あっという間に傷が治っていく。
それは、かつての小竜の時とは比較にならないほど速い治癒で、熟練のカレジでさえも息を呑むほどの治癒の技術。
完治した俺が慌てて大蜥蜴の現状を伝えると、普段はのんびりとしているヒルクが珍しく大急ぎで意識のない大蜥蜴へと駆け寄っていく。
3mはある巨体が森を走り、地響きがえげつないことになっているがヒルクはそれに構わず、大蜥蜴を治療する。
死に至るような数多の傷が一瞬で治療され、意識は戻っていないものの呼吸はかなり安定している。
やっと、大蜥蜴を取り戻すことができたと安堵し、俺は家に帰るかそれとも近くの本拠地に潜んでいるオークたちを追撃するかをカレジに問おうとして振り返りーーー
潜んでいた豚人術師が射出した水の弾丸が、カレジの細く華奢な首をいとも容易くへし折っていた。
「……は?」
首の骨がぼきぼきと折れる音が、嫌に鼓膜の中に残る。
だらりと垂れ下がったカレジの光を失った瞳と目が合って、俺はようやくその状況を認識する。
敵の一体をようやく討ち倒したことに雄叫びをあげ突っ込んでくるオーク達の数は、先程の包囲網を作っていたオークたちの何倍かはあった。
呆然とする俺は豚将軍と対峙し、ヒルクはカレジの亡骸と意識が戻らない大蜥蜴を護るように、数多のオークたちに立ち向かう。
絶望的な戦いが、始まった。
今回は、カレジさんが死にましたね。
この後「失格勇者の焦り」冒頭に話が戻ってきますよー。
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