秘めた決意は死闘を産み
視界が晴れる。
闇一色で、上下左右も曖昧だった世界に光が灯されるのが分かる。
「もう、3分がたったか……」
そんな真っ暗闇の世界で、俺はさっきまで鎮座していた。
外の様子は分からないが、ぼんやりと、激戦を繰り広げているらしいことは理解出来た。
もしこれで、目が覚めた時にオークに囲まれていたら俺は詰みだ。
以前、トロールとの闘いでも使用したこの切り札は、それでもやはりデメリットが大きすぎた。
普通、人間の身体能力が40パーセントも落ちたら、動くことすらままならない。
俺は、この数日で急激に身体能力が上昇しているので、元に戻るだけと考えればそう大したことではないように思えるが、一気に身体の性能が半分程度も下がるというのは、想像以上の苦痛を伴う。
そして、それに加えて魔術も使えなくなる。
まあ、生身の俺が〈超加速〉なんかを発動したら確実に四肢がもげるし、それに関しては大したデメリットではない。
どっちにしろ、その場に一体でもオークが残っていたら俺は死ぬのだ。
無論、トロールを単独撃破するような化け物が、統率が取れているとはいえオークに負けるとは思わない。
だが唯一の気がかりは、あのオークキングだろう。
あれはあくまで俺の感覚でしかないが、トロールと同程度の威圧感を纏っていたように思える。
果たして、3分以内に全滅させられているだろうか……
不安は尽きないが、その不安が全て思い浮かぶ前に、闇の世界からどこからともなく現れた光が俺を包み込む。
その眩しさに目がくらみ、一瞬視界が奪われた瞬間ーーー
俺は、いつも通りの世界に戻っていた。
久しぶりの光に目の焦点が合わない。
ただ何となく、頭上に見える青色の光で、戻ってきたのだと理解していた。
そして、戻ってきたということは、デメリットが襲ってくるということ。
更に、〈自我交換〉時に自動的に回復された身体は再び自分のものへと戻り、自我交換を発動する以前の物になる。
要するに、何が言いたいかというとーーー
「ぐ、がぁぁああぁああ!?」
自我交換の前に負っていた傷が、防御力40パーセント低下の状態で俺に襲いかかる。
あまりの痛みにただでさえ見えない視界が更にぼやけ、脳を直接焼くような鈍痛にろくに思考をすることすら出来ない。
トロールとの時は、ここまでの傷を負ってはいなかったので油断していた。
ステータス低下の影響で体は重く、火花が散る視界は「見る」という機能を完全に廃棄している。
地面を転げ回り、あまりの痛みに絶叫する俺の周りにオークがいないのは、本当に剣の精の努力のお陰だろう。
それだけは、後で感謝しなければいけない。
朧気に、そんなことを考えた気がする。
(いや、我は感謝されるようなことなどしていない。)
と、朦朧とする脳内にそんな声が聞こえてきて、少しずつ痛みが引き、考える機能を徐々に取り戻して言った脳がその意味を辛うじて理解する。
その声は心無しか歯切れが悪く、思考能力を取り戻しつつある俺に疑問を訴えてくる。
それは、まるで何かをやらかしてしまった子供のようで。
いつも自信に溢れる剣の精のそんな様子に俺は一抹の不安を抱き、未だ朦朧としていた視界が少しだけ役割を取り戻す。
倒れ込み、転げ回るうちに付いた土が識別できるようになると、ようやく目の前の正確な状況を映し出す。
同時に嗅覚も回復し、土の匂いに混じった強烈な血と腐臭に意識がいきなり覚醒する。
そして、倒れ込む俺の前で積まれたオークの屍の山が、大量に打ち捨てられていた。
「これ、全部剣の精がやったのかよ……?」
その死体は、総勢40匹ほどだろうか。王が率いていた手勢のうち、およそ9割は削っただろう。
どの死体も最低限の傷で、致命傷を掻っ切られただけ。その、無駄な傷のない美しい死体が、大量に積み上げられている。
周囲に、生き物の気配はない。カレジとヒルク、大蜥蜴の姿も見えず、ただ闘いの痕が残った血溜まりが広がっているだけだ。
つまり剣の精は、これだけの数を1人で倒したという事だ。
それは大蜥蜴が意識を失うまで全力で闘い作り出した死体の山より多く、しかもそれを3分間で成し遂げた。
あまりに圧倒的な力に俺は戦慄する。
俺もいつか、こんな風になれるだろうかと、羨望もあったことは否定できないが。
「ーーー?」
さっきから、大蜥蜴のことを思い出す度に違和感に襲われる。
未だ脳は本調子ではなく、何に違和感があるのかはベールがかかり分からない。
ただ何か、とても重要な筈でーーー
「なあ、剣の精。豚人ノ王は何処だ?」
だが死体の山を見た瞬間、やっとその違和感の正体に気が付いた。
そこには、数多のオークの死骸、さらに2体ほど豚将軍も混ざっている。
その地獄絵図に、だが致命的に足りないものがある。
それは即ちーーー
(すまない……豚人ノ王は、倒しきれなかった……ッ!)
そう、懺悔に塗れた剣の精の声が脳内に響く。
詳しく事情を聞くと、どうやら追い詰めたが手下に足止めされ、トドメを刺せなかったのだという。
それは、手練である剣の精が相手を逃す程切迫した状況で、むしろ目覚めた俺を危険にさらさないように周囲のオークを殺し尽くしてくれたのだ。
それが、感謝してもし足りないことは俺も分かっているし、本当は労いの言葉をかけてやるべきかもしれない。
だが、だが。
「大蜥蜴は、何処だ……?」
未だ姿が見えない大蜥蜴。そして、逃げた豚人ノ王。
その2つの単語が結びつき、俺は最悪の想像が拭えない。もしそうなら、状況は一気に最悪に向かってしまう。
だが、ここまでの熟練戦士がそんなことあるはずが無いと、自分で言ったことながらそう信じている俺もいる。
(本当に、本当に申し訳ない!!我は、大蜥蜴を奪われた……ッ!)
だが、そんな淡い希望も、剣の精の次の一声で粉々に砕かれる。
じわじわと、脳内に絶望が滲み、まるで染み込んでくるかのような不快な感覚がある。
「大蜥蜴は……死んだのか?」
先程まで、早く治療しなければ死ぬ程の大怪我を負っていたのだ。
ヒルクもいないこの状況では、大蜥蜴がどうなるかは想像に難くない。
(すまない、我の力不足で……)
そう、絶望に染まる俺に剣の精の苦々しい声が響く。それは、絶望に染まった俺の頭に響き、この状況をより一層理解せざるを得なかった。
だが、大蜥蜴との思い出が、諦めかけた俺の頭をちらりと過った。それは、いつだっただろうか。
巨大蜘蛛との闘いで脚を焼かれ、歩くのもままならなかった大蜥蜴。だが、1時間ほどすると、全治はしていなかったが辛うじて歩けるようになっていたのだ。
その時はあまり気にしていなかったが、それは人間では考えられないほど自己再生力が高いということに他ならない。
つまりーーー
「賭けてみる価値も、あるかもしれない。」
その、高い自己再生力を持つ大蜥蜴なら。迅速に、食料にされる前にオークどもから取り返し、治療を受ければ助かるのではないか。
それは、あまりに細い希望の糸。それでも人間は、希望の糸がどんなに細くても、しがみついて、依存してしまう性なのだ。
それは、俺も変わらない。
奪われても、取り戻すのが人間のやり方だ。
奪うだけのオークとは違うのだ。痛みを知る俺たちは、仲間を助ける為ならどんな細い糸でも渡り切る。
それが、人間。
「オークとの、格の違いを見せてやるよ……!」
既に自己再生で傷は治った。大打撃を受けたであろうオークの群れに、今こそ強襲を仕掛けるべきだ。
そう、立ち上がった俺に、剣の精が静止するように言う。
だが俺はその声を無視し、オークが大量に集まっていた方向ーーー恐らく、そこから出てきただろう方角ーーーに走り出そうとする。
「辞めな、カナタ。今カナタが動いても死ぬだけだよ。」
そう、後ろから聞こえる女性の声に、俺は歯噛みせざるを得なかった。
それは、俺より何度も何度も死闘を繰り広げ、経験を積んだ熟練の魔術師の言葉。
それが、何よりも正しいことが分かっていたからこそ、俺は悔しいのだ。
自分の身体が危険にさらされるなら、仲間を容赦なく見捨てることができるのも、また人間。それは、エルフでも変わらないらしい。
俺がカレジに敵意に近い感情を抱いたことが分かったのだろう、カレジはそれでも堂々と、子を諭す親のように俺に語りかける。
「残念だけど、今カナタの身体は完全には回復してない。自動回復にも、限界があるんだ。ヒルクは万全だが、私は雑魚オークを殺すために魔力をかなり使った。未だ尽きてはいないが、オークの群れと戦うには心許無い。」
それは、たしかに納得出来る。豚人ノ王に一方的にやられた俺が、万全でない状態で群れに襲いかかって勝てるわけが無い。
だが、今オークたちは弱っている。ここをヒルクやカレジと協力して突けば、勝ち目は有るはずだ。
しかしカレジは、そんな俺の内心すら見透かして返答する。
「魔物は、君が思っているほど愚かではない。襲撃に行っている間は巣を守るオークも配備しているだろうし、そちらの指揮を執る上位種も何体かいるだろう。合流されたら、いくら私たちでも全滅されかねない。」
絶望的な状況。だが、それでも俺は諦めきれない。
「明日、俺たちが回復したら、報復に出ましょう。倒しきらなくてもいい。奇襲で、少しずつ数を減らしていきましょう。」
そう、苦渋の決断で口に出した作戦に、カレジは僅かに驚いたような顔になる。
怒りに燃える俺が、理知的に作戦を唱えたことが意外なのだろうか。
俺も舐められたものだ。一応、7年間は義務教育を受けているし、
頭も悪い方ではなかった。
まあ、闘いにそんなことは関係ない。ただ、勝つか負けるか。
その単純な世界で生き抜くには、ただただ力が必要だ。
森に向いた脚を、かなり損傷の激しい家に翻す。
今日は休み、明日必ずオークに攻撃を仕掛ける。
そう、強い決意を固めた俺がオークと再度激突するのは、もうそう遠くない未来に迫っていた。




