あの日
20年前、2002年7月15日。【大厄災】によって、新宿、渋谷を含む副都心四区は壊滅的被害を受けた。
未だ未解明の放射性物質による汚染で皇居は再び京都へと移転、日本の首都は京都へと戻り、東京の都心機能はほぼ失われた。
223万9042人が亡くなったこの大厄災の後、日本という国は大きく形を変えた。物価の上昇、政治機能の混乱、中華人民共和国との紛争―――
国を襲う様々な混乱で、国民は疲弊した。飢餓や貧困から遠く離れていたはずの日本で、餓死者が続出した。
その混乱の最中に生まれたのが俺であり、近藤舞香だった。
父も、母も、大厄災に巻き込まれた当事者のうちの1人だ。
丁度、大厄災の中心地に住んでいた2人は、家も、家族も、財産も失った。
それでも結婚して産んだ二人の子供を、両親は愛してくれていた。
妹とも、中学に上がるまではそれなりに仲良くできていた。
世界は争いで満ちている。この国も、いつまで持つか分からない。
それでも、家族だけは一生、そこに在り続ける。
だから俺は、家族が好きだ。
―――広大な体育館、俺と舞香は向かい合っていた。
「……いくぞ。」
「うん。」
妹の、抑揚のない声を聞いた瞬間、俺はゆっくりとサーブを放つ。
スイングは遅く、しかし手首のスナップを効かせ子気味よく加速するシャトル。
舞香はそれを恐ろしく緩慢な動作で受け、そのまま俺の右後ろへと正確に打ち返す。驚くほどの精度だった。
――始めて1ヶ月と言われて、誰が信じるのだろうか。
「……ッ!」
右後ろへ下がり、体制を整えるために高く打ち上げたシャトルを低い位置から打ち返され、シャトルが今度は左前へと移動。ギリギリで打ち返したと思えば、気付けばすぐ右隣でラケットが空気を引き裂く音がして、俺は舞香に点を取られていた。
サーブ。打ち返される。返す。カウンターを決められる。何度、繰り返したか分からない。
―――結局その日、俺は一点も決めることが出来ないまま、舞香に敗北した。
「……」
一言も発することが出来ないまま、俺は体育館で膝を着いて、呆然と周囲を眺めていた。
それは、呆気ない世界の終わりのように、俺の心に重くのしかかってきて。
「違う……違う……」
うわ言のように、声が出た。
俺にとって、バトミントンとは自分の特技のひとつでしかない。
それでも、つい半月前までには勝てていた妹に、今は1点もとることが出来ないまま、敗北したのだ。
きっと勉強も、他のスポーツも、何をやっても俺は舞香にすぐ抜かされて、自分の存在意義を見失っていくのだろう。
そう理解した瞬間、俺の心を支配したのは途方もない虚無感と、そして純粋な恐怖だった。
「―――奏多。」
ふと、俺を呼ぶ声がした。
母が、俺を気遣うようにこちらを見ていた。
それでようやく、休日に家族で市民体育館へと行っていたことを思い出す。
「なんだよ、母さん。」
自分でもびっくりするくらい、突き放すような声が出た。
無意識に握りしめていたままのラケットが、手から落ちる。
「……舞香は舞香、奏多は奏多だよ。人にはそれぞれいい所があるんだから、そんなに落ち込まないで。」
母の、優しげな声。
いつもそうだった。何においても妹には勝てない俺に、母は優しく声をかけてくれた。
でも。
「俺のいい所って、なんだ……?」
「奏多――」
「俺は何もアイツに勝てやしねぇよ。勉強も運動も、何もかも。俺は劣等生だからな、優秀な妹と違って!!」
違う、八つ当たりだ。
こんなことが、言いたい訳では無いのに。
「俺が生まれてきたのが、そもそもの間違いだったんだな。ごめん母さん、こんな出来損ないが生まれてきて、さ。」
「私は、奏多のことも―――」
「うるさい。俺はアンタのことも、大嫌いだッ!!」
そう言うやいなや、俺は立ち上がってラケットを自分のケースに入れる。
振り返らなかった。
母の顔を見れば、きっと自分は後悔するとわかっていたから。
あぁ、何をしてるんだ、俺は。
だから、現実から逃げるように、黙って外に出て―――
「お兄。」
舞香と、目が合った。
なぜか、驚いたような顔をしながら、彼女は体育館の裏の木の下に立っていた。
「なんで、ここに。」
黒髪がなびく。秋風が俺たちの間を通り過ぎていく。
「うるせぇな。」
冷たい声だった。
自分でも信じられないくらい、俺の心が妹を拒絶していた。
「お前に俺の何が関係あるんだよ。いつもいつも、人のことをバカにしやがって。」
あぁ、止まらない。
俺は心の中で思った。
「人の努力を踏みにじって、何が楽しいんだよ。」
溢れ出ていく。思いが、悔しさが、血のにじむような、無力感が。
「お前なんて、いなきゃよかったんだ……」
吐き出すような怨嗟の声に、妹が肩をびくりと震わせる。
それが余計に癇に障った。
俺の誇りを、アイデンティティをぐちゃぐちゃにしたくせに、被害者ヅラをされている。そんな思い込みが、俺の脳内を支配して。
自分の感情が制御できない。
怒りに泣き出してしまいそうなくらい悲しくて、吐き出してしまいそうなくらい悔しいのに、そんな自分を何処か遠い目で見つめている自分もいる。
「お兄は悪くないよ。私が少し、運が良かっただけだから。」
また、それか。
自分の才能を、運が良かったで片付ける。
それがたまらなく不快だった。
「もう……黙れよ。」
俺は、逃げるようにその場を立ち去った。
妹に背を向けて、瞳から溢れた涙を、静かに拭って。
自分のやっていることが八つ当たりだと、最低なことをしたと分かって、それでも。
それでも俺は、妹が許せなかったんだ。
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「様子を見に来たのだけれど……お取り込み中だったかしら?」
扉の先、腰まで届く燃えるような赤髪を無造作に伸ばし、床につくほど長いローブを羽織った少女が、俺を見ていた。
赤髪赤瞳、ツンと尖った耳と西洋人を彷彿とさせる高い鼻。肌は少し黒いが、その姿はまさに御伽噺に出てくるエルフで、絶世の美女と言って過言ではないものだった。
15歳程度に見える幼い見た目とは裏腹に、態度やしゃべり方は妖艶な美女そのものだ。
ベッドに寝転がる俺と、160cmほどの少女の視線が交錯する。迷いのないまっすぐとした視線に、思わず、目を逸らしてしまう。
「い、いや、なんでもない。君が……助けてくれたのか?」
「ええ、助けたというより、倒れてるあなたを運んだだけなんだけど……私はこのフィラル大森林西部の維持をしながら暮らしているカレジ・イルティス、よろしくね。」
カレジ・イルティスと名乗った少女は、穏やかに微笑んだ。
(ねえ奏多、ドギマギしすぎじゃない?確かに可愛い人だけど、私も可愛かったよね?ねえねえ!!)
(……黙ってろ。)
脳内に響くうるさい天使の声を黙らせ、冷静に少女を観察する。出発前に、人間以外の種族がいることも説明されている。この森は、この大陸で唯一エルフが住んでいるということも。
特徴的に、この少女はエルフなのだろう。
今更そんなことで驚きはしないが、少しだけ感動してしまう。
「俺は近藤奏多。よろしく。」
ベッドからゆっくりと降り、すっかり痛みのなくなった身体でカレジに近づいていき、頭を下げる。
「本当に、ここまで運んでくれてありがとう。」
「いやいや、そんなそんな。私、困ってる人は放っておけなくてね。」
突然頭を下げる俺に困惑したような様子で、少し照れながらカレジは頭を搔く。
どうやら、悪い人ではないらしい。
「ところで、この近くに人間の村はないか?俺、ちょっと事情があってフィラルの村で暮らすことになったんだけど……」
と、カレジに俺がめざしていた村を聞く。
いや、もしかしたら、もう既にここが例の村なのかもしれない。
そうすれば、早速聖剣を使ってレベル上げから始めようか―――
「いや、フィラル大森林に人間の村なんて、存在しないけど……ここ、魔境だし。」
「………………………は?」
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衝撃の事実が伝えられてから、半日が経った。俺が起きたのは朝だったらしく、カレジが住む木造の広い家の窓から外を見ると、すっかり日が暮れている。
俺は、想像以上にあの皇帝に嘘をつかれていたらしい。
「村があるのも、嘘だったなんてな。」
納得のいかないことばかりだ。
俺を魔境に送り込んで秘密裏に抹殺することが目的なら、最初に殺しておけばよかった話だ。何より、聖遺物なんてものを持たせた理由がわからない。
(アイツのやることなんて、どうしてとか考えても無駄よ。何千年も前から生きている、世界で数人しかいない上位人類の一人なんだしね。)
天使が、少し呆れた様子で言う。
彼女からしてみれば、異世界に来て騙され続けている俺はさぞ滑稽に見えるだろう。
俺は、カレジの厚意でこの家にしばらく泊まることになった。
理由としては、この家は俺が倒れたところから更に人里から離れており、出てくる魔物も強力なため無事に帰れる保証がないこと、俺がこの世界の常識をほとんど知らないこと。そして何より、子供が魔境に赴くにしてはあまりにもレベルが低かったことが挙げられる。
俺のレベルは、カレジの鑑定だと7。
そこら辺の農民でももう少しレベルは高いらしい。
「……剣の補正で、実際のレベルは96程度らしいが。」
レベル96といえば、並大抵の兵士なら瞬殺できる程だという。何か申し訳ない気分になってくるチート振りだ。
とは言っても、まだ戦闘をしていないのでそんなにステータスの上昇は感じられていないのだが……
当然、そんな子供がこの魔境で生き抜くなら、保護者はいないといけないというのがカレジの主張だった。
俺がこの森でレベルを上げないといけないのは当初から変わらないので、そのような人が居てくれると言うのはとても心強い。
家事を手伝うことが条件、と言われたが、そんなこと俺にとっては朝飯前以外の何物でもない。
昼、カレジの家にあるもので適当に料理を作ったら、美味しいと驚かれたくらいだ。
……ちなみに、保護者ヅラをする彼女にさすがに年齢を聞くことは出来なかった。
(ま、幸運だったんじゃないの?カレジとかいう女、多分めちゃくちゃ強いわよ。レベルしか言ってなかったから私の補正による身体能力の上昇は見えてないみたいだけど、強い人が味方にいることほど心強いものはないわ。)
なんと、【雷撃の天使】ですら、弱体化した今彼女とタイマンを張れば勝率は5分らしい。そこまで強いなら、たしかに安心できる。
六道天使の一角と同等なら、ただものでは無いことは確かだろう。
そんな人が俺のレベル上げの手伝いをしてくれて、しかも衣食住を保証してくれるのだからありがたい。
今日だけで、とんでもない幸運が2つも降り掛かっている。
「……ついに、俺にも運が向いてきたってことかな。」
フラグにしか聞こえない発言をして、俺はそのまま今日の朝寝ていた客室の、ふかふかのベッドにゆっくりと倒れ込む。
それはあまりにも懐かしくて、涙が出そうなくらい気持ちのいい寝心地で。俺は静かに、安らかな気持ちで目を閉じた。
この後何が待ち受けているかなど、想像もせずに。
―――次の日。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
真昼間。巨木の根に足を取られながら、俺は必死にフィラル大森林を全力疾走していた。
必死に前だけを見て、人間離れした速度で進んでいく俺の背後から響くのは轟音。爆音。そして、何かが吠える凶悪な声。
レベル実質96のステータスですら、振り切れないほど猛スピードで俺を追ってくるのは―――
Bランク、2mほどの巨体を誇る、凶悪な顔をした豚人。それが、約12体。
「こんなの、聞いてないぞ、カレジいいいい!!!!」
―――カレジの家に居候して2日目、俺は「レベル上げ訓練」の名目で、とんでもないスパルタ訓練を受けていた。
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