初めての。
グラグラと、夢の狭間をさまよっていた。
ぼやけた視界、ノイズのように響く誰かの声。声。声。
通っている中学校が、20年前の大災害で崩壊した渋谷が、眩しいくらいに青い空が、家族が。
朧気に映っては消えていく。
寂しい世界。何もかも消えていく世界。そんな光の中に包まれて。
ふと、光の中から俺に向かって、手が伸びた。
細く小さい、少女の手だ。それは愛おしそうに、俺の頬を撫でて―――
やがて手だけではなく、肩も、顔も、光の中からするりと現れる。
美しい、漆黒の髪を持つ少女だった。
「さがしに」
色のない瞳が、焦点の合わない朧気な瞳が、感情のない黒瞳が、俺を、見つめて。
「さがしにこい」
無機質に、ロボットのように語られる、言葉。
「さがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこいさがしにこい」
それは、無機質に、ロボットのように語られる、狂気だ。
それを恐れ、溢れ出る狂気から、執着から、逃げようとしたその瞬間に―――
意識が覚醒した。
「夢、か。」
―――何日かぶり、いや、この世界に来てから初めての暖かいベッドの中で、俺は目を覚ました。
脳内に染み付いている悪夢の残穢を振り払い、俺は現状を確認するために上体を起こす。
久しぶりによく寝れたのか随分体の調子は良いが、誰かここまで運んでくれたのかがまるで分からない。
どう考えても、近くにいた人間が助けてくれたのだろうが。
上体を起こした先に広がるのは、木造の壁に四方を包まれた無機質な部屋。広さ的にはかなり広いが、何も置かれていないせいで殺風景だ。恐らく、使われていないのだろう。
そんな部屋の真ん中に上質なベッドが置いてあり、俺はそこで寝ていた。よく見ると、ベッドの横に旅に使ったリュックサックと鉄の剣がたてかけてある。
俺自身も、寝巻きのような新しい服に着替えさせられていた。
ひょっとしたら、ここに住んでいる現地の村人が、俺を助けてくれたのかもしれない。
「ていうかそもそも、なんで俺助けられたんだ―――?」
竜と出会って、死ぬ気で交戦したところは覚えている。
あの後、空から降ってきたあの少女の名は、確か――
(雷撃の天使、ね。忘れないでよ。)
「あーそう、雷撃の天使。」
そうだ。それで、そいつが竜を瞬殺した後、魔力となって鉄の剣に入っていって。
そして、意識を失った。
(アレは契約の代償よ。私みたいな大天使と契約するのだから、その前払いみたいなもんね。)
「なるほど、な。契約には代償が必要とは言ってたが―――え?」
今俺、誰と喋ってるんだ?
狭い部屋の中には誰もいない。なのに違和感を感じることも無く、平然と誰かと会話をしていた。
よく考えたら、さっきから室内に音は響いていない。
頭の中に響いていた、その声は、まさか―――
「お前、雷撃の天使なのか?」
(だから、そうって言ってるでしょ!私は念話であなたに直接話しかけてるの。あなたもいちいち喋らなくていいわよ……)
「お、おう……すまん」
高いテンションで半ギレされて思わずビビる俺を他所に、脳内に響く雷撃の天使は更に続ける。
(まぁ、いいわ。―――ずっと、あなたを見てたの。)
「……え?」
数千年も前から存在している、伝説の存在。
俺が探すことになっている【時空の天使】と同じ、六道天使の内の一人、人間道の名を冠する者。
そんな存在が俺と平然と会話をして、それどころか契約すら結んでいる。そんな状況が、あまりにも異常だと言うのに―――
(大混乱、って感じね。【天才】なんてスキルがある割に、テンパるのは早いじゃないの。)
うるさい。というかステータスを見れるのか……
ミズルは、スキルまで鑑定できるのはかなり高度だと言っていたが……やはりそこは六道天使ということだろう。
(まぁ、実はワケあって私、あと数年以内に誰か強いレベルでの適合者と契約しないと消滅するくらい力が弱ってたのよ。)
そんなこと、聞いたこと無かったが……
(当たり前。私レベルの天使になると人前にそうそう出ないのよ……ましてやあなたみたいなこの世界に来て1週間かそこらの人間に知ることが出来るはずないわ。)
まくしたてる雷撃の天使。
俺がこの世界に来た転移者であることは知っているらしかった。
予想外に人間らしさが滲む喋り方に毒気を抜かれながら、俺はさらに質問を重ねる。
「それで、どうして俺に?聖遺物だなんだと言ってたのが関係あるのか?」
(だからいちいち口に出さなくていいっつーの。……まぁ、そうよ。あなたが持っていたあのボロボロの剣が、実は神代に創られた精霊、天使を宿す専用の【神具】―――多少力が弱まっていたとはいえ、それを他世界からの来訪者である貴方が使えば、私との契約にも耐えうるわ。)
あの剣が、そんなに凄いものだったのかという驚きと、俺が転移者であることが重要であるという事実が同時に明らかにされる。
じゃあ、ベッドの横に立てかけている鉄の剣の中に、お前が入ってるのか……?
そうか。よく見ると、ボロボロだった鉄の剣からは錆が取れ、折れていたはずなのに元通りになっている。なんで今まで気付かなかったんだ。
(そうそう、そーいうこと。仮にも大天使と契約しているのだから、貴方はこの剣を使うだけでかなりの能力を手に入れられるはず。あなた自身の目的にも繋がると思うわよ。)
俺の目的。六道天使の一角である、【時空の天使】と逢い、元の世界へ帰ること。
このみすぼらしい剣が、それでも強大な力を持つのだとしたら。
なぁ、雷撃の天使。具体的に、契約することでどんなメリットがあるんだ?
(そうね。まず、その剣を通して、私自身の力をある程度使用できるわ。簡単に言えば、私の魔力を消費して大天使の魔術を行使できるのよ。貴方との契約で少しずつ私の力が回復してくれば、私自身が顕現することも可能になるわ。)
つまり、あのドラゴンを一撃で瞬殺したあの技を、俺が魔力切れの心配なく使えると。
(もちろん、貴方の神紋を通す訳だから限度があるわよ。いくら力が弱まったとは言え、人間一人に使いきれるほどの魔力量ではないから。それと2つ目。この【神具】はかなり上等なもので、基本的に契約の代償を全て引き受けてくれるの。つまり貴方はほぼノーリスク。)
「……」
(そして、大天使を宿した剣はもはや聖剣と言っても過言ではないわ。装備しただけで、神紋性能の向上やそれに附随する身体能力の強化、スキルの付与、私のサポートが受けられる。)
「なんだ、それ。」
力のバランスがぶち壊れすぎている。
ノーリスクで、装備するだけで超強化される鉄の剣。
というか冷静に考えて、そんな凄い剣をセーニョ大帝国はなんで俺に渡した……?
気付かなかったワケがないだろう。
(それはね、まぁ多分あのクソ皇帝に騙されたのよ。恐らくアイツは既に私の力が弱まっていて、私が契約相手に勇者や転移者に狙いを定めることまで予測していた。あなたが召喚された時、すぐ城内であなたを殺そうとした理由の一つもおそらく、私が出現するかを試したのでしょうね。)
皇帝―――ミズルが、グル?
あの時、俺が殺されかけたのも、あの優しそうな老人が仕向けたということか?
(あら、貴方には老人に見えるのね、あの皇帝は。まぁ、言ってしまえばそういうことよ。残念ながらあの時のあなたは聖遺物を持っていなかったから、私は出現できなかった。その事実から、あの皇帝は私が聖遺物に頼らないと顕現できないほど弱くなっていることを推測したのでしょうね。―――昔から、あの天使バカは変わらないわ。)
どうやらミズルと知り合いらしい。
しかし、あの暴虐を招いたのが皇帝の1人芝居だとすれば――彼は、何のためにそんなことを。
「……あ」
ふとそこで、【聖遺物】の話を思い出す。
彼が俺に聖遺物を預けたのは、それに釣られてやってくる時空の天使と契約できるようにするため、なのか―――
(残念だけど、アイツはそんなに優しい人間じゃないわ。恐らく自分の目的の為に、許容魔力量が大きく天使との適合性が高い転移者に聖遺物を持たせ、強い天使を顕現させようとしているだけね。彼自身はもう、【座標の天使】を筆頭とする複数の天使と契約しているから、自分じゃ出来ないのよ。)
……じゃあ俺は結局、全てあいつの手のひらの上で踊らされていたってことか。
(……まぁ、そうなるわね。)
なぜ、天使を集めているのか。なぜ、俺を召喚したのか。なぜ、俺を逃がしたのか。
細かな疑問はいくつもあった。
それでも。
俺がアイツに全て、騙されていたのなら。
「殺してやる……」
心の底から漏れた呟きだった。
そんな利己的な目的のために俺を利用したのなら、俺は絶対にアイツを許さない。許すことなんて、できるわけが無い。
彼の顔を思い出す。吸い込まれるような黒い瞳。
あの瞳の裏に、どす黒い精神を秘めていたとしたら。
あの時、俺を殺そうとして。何が目的かは知らないが、自分自身のために俺を利用したならば。召喚した挙句に自分の目的を果たそうとしたクズなど、殺してやる。
それは、俺が生まれて初めて抱いた、初めての。
―――初めての、殺意だった。
(へえ、随分いい殺意を出すじゃない。――ただまぁ、今は落ち着きなさい。折角心配して来てくれた事だし……)
「え?」
天使の声で、現実に戻る。部屋の扉を開けた先、ベッドで危ない目付きをする俺を、困惑するような顔でじっと見ている赤髪の女性と、目が合った。
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