出逢い
天使。それは火水風土を除く万物の概念を司り、星の数ほどの種類がある独自属性の魔力で全身を構成された生命体である。
魔力によって全身を構成されているため、その存在はある意味では邪神の魔力で身体を構成された魔物と同じである。
唯一異なるのは、彼らが『自分自身に特有の』属性が付与された魔力で構成されており、また他者と契約することでその魔力を契約者が使えるようになるということだ。
【精霊神】と呼ばれる神によって生み出された彼らは、他の種族と契約することでその力を引き出し、強大な力を発揮する。
その中には【治癒】【幻影】【契約】など、世界各地でその分裂した姿が見られ、一般に流通している天使の他に、【六道天使】との名を冠する強大な力を誇る大天使も存在した。
歴史上、大天使の存在は古くは初代勇者の時代、5000年以上前に存在が確認されている。
彼らはその莫大な力をもって、人類に大きな影響を与え続けてきた。
【呪いの天使】は一時間で国家を滅ぼし。【破壊の天使】は大地を破壊して巨大な谷を作り。【氷雪の天使】は世界を氷で閉ざし。【座標の天使】は世界の全てを観測し。【時空の天使】は世界最強の天使として現在も名を馳せている。
そして、【雷撃の天使】は―――
「六道天使が人間道、【雷撃の天使】!!我ここに、見参するッ!!」
暴風が吹き荒れ、目を細めている俺の視界に、それでも輝いて映っていた少女がいた。
身体に流れるように纏う高貴な絹の服は少女の神聖さを、美しく靡く金髪は彼女の美しさを、そして彼女の全身を覆うように顕現する、莫大なまでの魔力と、ビチビチと彼女が立っているだけで大気に放たれる電気が、彼女の強さを証明していた。
「ろくどう、てんし……?」
六道天使の存在は知っている。ミズルによれば、全て伝説に幾度も登場している最強の天使たちのことであり、その中の【人間道】の名を冠するものは―――
「雷撃の、天使。」
俺の目の前に立っているこの少女が、世界で6体しか存在しない大天使の一角だと、そう言うのだろうか。
だとしても、意味がわからない。
俺は強くなった覚えなどないし、【天使】と契約するには契約が必要だったハズだ。ましてや大天使など、俺ごときが契約できる訳もない。
でも、先程、頭に響いていた声が【雷撃の天使】であるならば。
俺は、こいつと契約したことになる。
「ガ、ァ……」
突如として、閃光や爆風と共に現れた少女を前に、俺も大蜥蜴もドラゴンも、唖然として動きを止めていた。
それでも、その混乱からいち早く立ち直ったドラゴンが、トカゲの瞳をギラつかせて目の前に立つ美しい少女に、身もすくむような敵意を向ける。
明らかな脅威。明らかな排除対象。眼前の少女から感じる恐ろしいほどの魔力の奔流を感じてなお、彼女を殺すために爪を振り上げる。なまじドラゴンという強力な力を誇るこの魔物である故に、彼の破壊衝動は収まることを知らなかった。
故にそれは、致命的な欠陥である。
「あ」
「―――」
ふと、少女が何事かを呟いたのが、口の動きで分かった。
今すぐにでも自身の華奢な身体を引き裂いてもおかしくないそのドラゴンを見て、緩慢に見える動作でたおやかな人差し指をその漆黒の鱗に向けて――
―――笑った。
「ーーー!?」
刹那、これまで少女が発していたものの中でも特に極大の魔力が放出されるのが、魔力感知の悲鳴のような感覚で分かる。
俺の意識が遠のく程の魔力量。それが全て電気へと変換され、極圧の電力が彼女の人差し指に集まる。
そして。
世界が割れた。
俺が感じることが出来たのは、その魔力の奔流と、視界を埋め尽くす白い光だけだ。少女の指から放たれた極大の魔術が、一瞬にして俺の視界を奪い、直後に吹き荒ぶ暴風と轟音に世界が割れるかのような錯覚を覚える。
マズい。大蜥蜴は無事だろうか。子ドラゴンも。あいつらが死んでいたら、嫌だな。そんなことを考えながら、それでも視界は白い闇に覆われたままだ。
やがてゆっくり、ゆっくりと、視界が再生していく。
何十秒待っただろうか。ついに回復した視界に現れたのは、胴体に雷を受けて消失したドラゴンの遺灰と、ドラゴンを貫通して迫った雷撃に焼かれ黒焦げになって削れた森だけだった。
「死んだ、のか……」
あのドラゴンが。いとも容易く灰と化す。
雷のような魔力の奔流に呑まれたドラゴンは、もはや一片の欠片すら残すことなく消えていた。
その事実を受け止めるのに、この現状の歪さに俺は放心するしかなく、ずっと地面にへたりこんでいた。
「うん、ドラゴンは倒したよ。さぁ、いい加減立ち上がってくれないかい、契約者殿。」
ふと、呆然とする俺の前に手が差し出される。
柔らかそうな、女性の手だった。
その声が【雷撃の天使】だと気付くのに時間がかかって、俺は数秒遅れてその手を取り立ち上がる。
まだ、夢を見ているみたいだ。
少女の顔を見すえる。
まだ若い。伝説の存在になんて全く見えない、先程ドラゴンを瞬殺した女には全く見えないような、10代後半ほどの若く美しい少女だった。
本当に、何が起こっているのか分からない。それでも、コイツが助けてくれたことだけは理解出来た。
「本当に、ありがとう。……どうして、俺を助けてくれたんだ?」
俺が聞きたいのはそれだった。
天使としての能力なんて、もはや疑う余地もない。故に聞きたいのは、なぜ俺のような人間を助けたのか、という事だけだ。
しかし、それを聞いた途端、彼女は驚いたように首を傾げる。
「――ん?君は自分の聖遺物に気付いていないのか?」
「は?聖遺物?」
なんだそれ、というしか無かった。
全く聞いたことも無いし、そんな神聖そうなものを持ってる覚えもない。
「わぁ、ホントに気づいてないんだ!面白いね、君。」
面白いと言われても……
というか結局、彼女は俺と契約したことになっているのだろうか。あの時、脳内に響いていた声が彼女だとするならば―――
「なあ、俺は――」
「ごめん。時間が無いから消えるね。詳しい説明はまた今度答えるよ。」
「え」
「あと、契約の条件はなるべく緩いものにしたから、それは準備して―――」
ふと、パンと間抜けな音をたてて少女の姿が粉々に砕け散る。
少女が青くほのかに光る光へと分解される様子は衝撃的で、思わず顔がひきつるのを感じた。
天使は魔力の集合体だと聞いたから、恐らく魔力レベルに自身の体を分解したのだろうと、どこか冷静に考えながら、彼女から出た青い光が何処かに移動していることに気付く。
俺の魔力検知が反応してるから魔力なんだろうが、それが意志を持って動いているのは何だか気持ちの悪い感覚だった。
と、青い光が俺の打ち捨てられた鉄の剣へと近付く。
既に半ばから折れ、度重なる戦闘でボロボロになった鉄の剣に集まって。
何がしたいのか、全く分からない。正直なところ、俺は完全に現状に置いてきぼりで、今何が起こっているのかも殆どよくわかっていないのだ。
だから、これ以上置いていかれないように必死に目を凝らして―――
「ーーーは?」
それは突然だった。
鉄の剣の周りに集約した魔力が、一瞬で鉄の剣の内部に吸い込まれる。
力尽きた鉄の剣が、竜の鱗に阻まれ半ばから折れ、血やらなんやらで錆び付いているボロボロの剣が、【雷撃の天使】を、吸収した。
その光景を見た瞬間、俺は倒れ込む。
突然、足に力が入らなくなったのだ。急速に視界が霞んでいく。ピリピリと、勝手に顔が痺れる。
まるで、湯あたりしたかのような感覚だ。
魔力切れ?でも、なんで……
そんなことを考える暇もなく、俺の意識は徐々に暗闇に消えて―――
最後に、全身の骨が折れるかのような激痛が走った後、俺は完全に意識を失った。
――――――――――――――――――――――――――――――――
女は、その光景をじっと見ていた。
木陰から、絶対に姿を悟られない場所で、その少年の姿を見ていた。
傷ついてなお立ち上がり、到底敵わない敵へ何度でも斬り掛かる。乗用魔物だろう大蜥蜴と、何故か希少種の治癒竜の幼体を連れて、A級相当の敵へ立ち向かっている。
「……すごい。」
魔力感知に突如として引っ掛かった強大な魔力を感じ、彼女が家を飛び出したのはつい10分前のことだ。
フィラル大森林に住む彼女は、竜など突如として現れるS級相当の魔物を討伐することも役割のひとつに挙げられている。
感知した魔力量は、SS級レベル。災害と呼ばれるレベルだった。私に立ち向かえるだろうかと不安になりながらも、ひとまず偵察に向かった先、魔力の発端に辿り着いたのが先程の光景だったのだ。
敵がまだA級相当の小さな闇竜であったことにも驚いたが、賞賛に値すべきは彼らの戦略だった。
アタッカーである治癒竜の子供を起点として、少年と大蜥蜴が攻撃を仕掛ける。まだ14歳程度の子供だろうに、あそこまでA級相手に耐えているのは、かなり耐えていると言ってよかった。
レベルの低さと装備の貧弱さが原因で歯がたっていないが、立ち回り方は非常にうまい。鍛えれば確実に輝くだろう。
そもそも、彼が連れているあの竜の子供は【治癒竜】と呼ばれる希少種の竜の子供だ。そんなものを連れている時点でただ者ではない。
「でも、そろそろヤバいかな……剣も折れちゃったし」
本当は直ぐに救援にあたるはずだったのだが、思わず観察してしまったことを後悔する。
そして、敵の竜を魔術で焼き払おうとして―――
「……え」
そして、【最強】と出会った。
靡く金髪、迸る魔力、小さな子供にしか見えないソレが、しかし圧倒的な覇気を持って顕現していた。
本能で、アレが私の感じたSS級の魔力であることを理解した。私では到底勝てないと、圧倒的な力の差を感じ取る。これまでに自分が出会ってきた者の中で一番強いと、生存本能が悲鳴を上げる。
アレが、少年の隠していた切り札なのだろうか。
声までは聞こえなかったが、恐らく雷系統の天使。その中でもかなり上位に位置する大天使だろうと言うことは簡単に予想がつく。
それは一瞬でドラゴンを消し炭にすると、姿を消して少年の持っていたボロボロの剣へと戻って行った。
あんなみすぼらしい見た目の剣の割に聖遺物らしいが、そんなことは今の彼女に考える余裕もなかった。
少年が倒れてしまったのだ。
恐らくは契約の代償。
大蜥蜴も子ドラゴンも意識を失っていて、このまま放置するとどうなるか分からない。
「はぁ……」
彼女は赤い髪を揺らし、様子を伺っていた木陰から飛び出した。
「私はもう、誰も見捨てられないのよね……」
20代半ば程度。整った見た目。長く尖った耳に燃えるような赤瞳と赤髪を揺らして、彼女は少年へと近付いていった。
女の名はカレジ・イルティス。
彼女は後の近藤奏多に、大きな影響を与えることとなる。
運命の歯車は既に、回り始めていた。




