小話【二次元でよくあるお薬体験】
「…………」
浴室にて引きこもる真っ黒てるてる坊主は、瓶の中で揺れる緑色の液体を慎重にスポイトで吸い上げる。
スポイトで吸い上げた少量の緑色の液体を、すぐ側に置いてあったマグカップの中に落とした。マグカップの中にはなにも入っていないので、ポトンという液体が落ちる音が静かな浴室にこだまする。
「よし……あとは」
にんまりと悪どい笑みを浮かべるてるてる坊主――リヴ・オーリオは、このあとに起きる事件を予想するのだった。
☆
「シア先輩、珈琲でもどうですか?」
「珍しいね、リヴ君が淹れてくれるの?」
率先して珈琲を勧めてきたリヴに、ユーシアはなにも疑うことなく「ありがとう、お願い」と応じる。新聞を読んでいる彼は、リヴの表情が悪どい笑みを浮かべていたことを知らない。
狭いキッチンに立つてるてる坊主は、いそいそと珈琲を淹れる準備をする。豆から挽いている訳ではないので、インスタントだ。お湯を沸かしてから、インスタントの珈琲を入れたマグカップに注ぎ入れる。
珈琲の香りが部屋に満たされると、ユーシアの横から珈琲が入ったマグカップが突き出された。
「どうぞ」
「ありがとう」
ユーシアは確認もしないで、珈琲に口をつけた。
苦味のある液体の中に、ほんの少しだけ混じった異物感。ユーシアは柳眉を寄せると、いつのまにかしれっと隣に座っていたリヴに問いかける。
「リヴ君、これ変なの入れなかった?」
「ええ、入れましたよ」
「素直だね。何入れたの?」
リヴはにっこりと惚れ惚れするような満面の笑みで、ユーシアに緑色の液体が揺れる瓶を見せる。
それは、あのゲームルバーク大図書館の地下に広がっている不思議な世界の住人から買った、二次元でお約束のお薬シリーズの一つではないか。
ごきゅり、と口の中に残っていた珈琲を、唾と一緒に飲み込んでしまう。ユーシアはおそるおそるリヴに「その薬の効果は?」と問いかけると、
「子供になるお薬です」
「うーわ」
ユーシアが天井を仰いだ次の瞬間、ポンという小さな爆発音と共に視界が低くなる。
珈琲のマグカップを掴む手のひらは小さく滑らかで、着ていた衣服もずり落ちている。完璧に子供になってしまった。一〇歳ぐらいだろうか。
「リーヴーくーん?」
ユーシアは小さな手のひらでライフルケースを手繰り寄せるが、対物狙撃銃を拾い上げるより先にリヴに抱きつかれた。
わざわざひょいと持ち上げられ、珈琲のマグカップは回収され、膝に乗せられて頭を思い切りなでなでされる。相棒のこの態度の変わりように、ユーシアは思わず悲鳴を上げた。
「ぎゃあああああ!? り、リヴ君がトチ狂ったぁ!!」
「トチ狂っただなんて失敬な。いやー、幼女以外は対象外と思っていたんですけれど、これはこれでいいじゃないですか最高ですありがとうございます」
「やめてうなじで呼吸をしないで!! なんかゾワゾワする!!」
がっしりと掴まれて後頭部を吸われるユーシアは、リヴの腕の中からなんとか抜け出そうともがくが、思いのほかガッチリと掴まれているので抜け出せない。どこからそんな力が出るのだろうか。
命の危機を感じ取ったユーシアは「だ、誰か、誰かーッ!!」と叫ぶも、ここは犯罪都市と名高いゲームルバークである。簡単に助けなどやってくる訳がない。
「二四時間ぐらいで戻るみたいなので、それまでは堪能させてくださいよ」
「だったら後頭部で呼吸をするのをやめてよ!?」
「ここが僕の定位置です。今ならいい夢を見れそうです」
「俺は抱き枕じゃないからぁ!!」
バタバタと暴れるユーシアに、リヴが深々とため息を吐いて提案してくる。
「だったら女体化の薬も飲んでみます? そちらはセッ――」
「だから言わせないよ!?」
不穏な単語を察知したユーシアは、リヴに頭突きして台詞を強制終了させた。
頭突きが功を奏したのか、リヴの腕の力が緩む。その隙にユーシアはてるてる坊主の魔手から脱出して、野良猫よろしく警戒しながら距離を取った。
「さすが『白い死神』ですね」
「だ、伊達に長く生きてないよ……ただこの姿になるのは初めてだけどね」
「僕も諜報官としての過去がありますので、身体能力には自信がありますよ」
よいしょ、と鼻っ面を押さえて立ち上がったリヴは、ワキワキと両手を動かしながら子供姿になってしまったユーシアに近づいていく。
嫌な予感を察知したユーシア。いくら『白い死神』と言われていても、近接戦闘が得意なリヴには敵わない。あのまま飛びつかれたらひとたまりもない。
何か良い手は――と探すと、まだ珈琲が残っているマグカップが目に留まった。あれにはまだ幼児化の薬が含まれているはず!
「えいやッ!!」
「あ」
素早くマグカップを奪取すると、リヴの顔面に向かって珈琲をぶっかける。床が汚れようが構わないとばかりの勢いだった。
「何するんで、あ、やばッ」
リヴも口の中に入った珈琲を飲んでしまったのか、ポンと小さな爆発音と共に体が縮んでしまう。
だぶだぶになった黒い雨合羽に埋もれる五歳程度の子供は、舌ったらずな口調で叫んだ。
「ぼくがしょたになってどうするんですかぁ!!」
「リヴ君ザマァ」
「しあせんぱい、もどったらおぼえておいてくださいね!!」
「今度は騙されないからね!!」
見事に二人揃って若返ってしまったユーシアとリヴは、年相応に取っ組み合いの喧嘩に発展するのだった。




