第10章【嘘吐き猫を撃て】
「ぜえ、はあ……あ、川が見える……」
「ほらほら頑張って。運動不足を解消しましょうよ」
「い、一日何回走れば……ぜえ、終わるの……」
すでに余韻で走っているような状態のユーシアは、先を行く真っ黒てるてる坊主に励まされていた。「ほーら、あんよはじょーず、あんよはじょーず」などとリヴは馬鹿にしてくる一方である。
遠くの方からはドゴーンだとかバゴーンだとか、とにかく色々なものを破壊する音が聞こえてくる。ユーシアとリヴは彼女たちがキャットファイトをする戦場がよく見える場所に移動している最中で、今は別館の屋上を目指しているところだった。
「もうやだ……リヴ君、対物狙撃銃を渡すからあとは頼んだ……」
「嫌ですよ。僕は対物狙撃銃を扱ったことないですし、多分まともに弾丸なんて当たらないですよ。ほら走って」
意外と厳しめなお言葉で急かすリヴに、ユーシアは柄にもなく泣きそうになる。ついでに吐きそうにもなった。
ようやく屋上へ繋がる階段が見えてきて、ヘロヘロになりながらユーシアはリヴの背中を追いかける。あの真っ黒てるてる坊主に体力切れなどないのか、一段飛ばしで上っていく様を眺めながらユーシアは「若いって素晴らしいなぁ」などとぼんやり考えていた。
踊り場までやってきて、次の階へ伸びる階段に足をかけたその時、ドゴンという音と共に窓の奥でなにかが弾け飛ぶ光景を見た。ユーシアは反射的に足を止めて、踊り場の窓を見やる。
「うわ」
完全に屋敷の壁の一部が凍りつき、さらに大きな穴が開いていた。そこから一瞬だけピンク髪の少女の姿と、氷を操る雪の女王が取っ組み合っている姿が垣間見える。
屋上に行けば視界も確保できるだろうが、移動している時間が惜しい。それにこの場所でも遮蔽物はあるので、身を隠すことができる!
「どうしましたか?」
リヴが階段の上から質問を投げかけてくるが、ユーシアは「見えた」とだけ答えて踊り場の窓を開ける。
ひやりとした空気が頬を撫でた。純白の対物狙撃銃を窓枠に置き、照準器を覗き込む。十字線の上にキャットファイトが繰り広げられる戦場を配置し、ユーシアは引き金に指をかけた。
「リヴ君、こっちに」
「はい」
他人に対する態度とは打って変わって、リヴはユーシアの言葉を従順に受け止める。
階段を降りてきたリヴをすぐ側に立たせて、
「観測手をやってくれる?」
「観測手ですか。僕でいいんです?」
「相棒のお前さんだから頼むんだよ」
リヴは少し考えたあとに「謹んで拝命いたします」と応じた。なんか一瞬だけ、部下でも抱えたのかと思った。
「目視できる限りでは、窓際に追い詰められているのが雪の女王ですね。優先順位はどちらです?」
「嘘吐き猫の方かな」
「了解です。情報を修正します」
頼もしい返答をしてくれるリヴに任せ、ユーシアは射線をほんの少しだけ変更する。
移動する十字線を追いかけるようにして、ユーシアにしか見えない幻影の少女が映り込んでくる。金色の髪を翻し、雪の女王を守るべきか、嘘吐きな猫の少女を守るべきか悩んでいる素振りを見せる少女は、ふとユーシアの視線に気づいたように振り返る。
おにいちゃん。
殺しちゃうの?
頭の中に声が響く。
聞き覚えのある少女の声だ。過去に亡くした幼い妹の声が耳元で再生されて、ユーシアは胸中でしっかりと答える。
(――ああ、殺すよ)
もうすでにこの手は汚れている。
【OD】になって幾人も傷つけて殺した。すでに地獄逝きは決まったようなものだ。
例え少女によって殺傷能力が削ぎ落とされて殺したように見えなくても、一生眠り続ける呪いを与えるならば『殺した』と言えるだろう。
「猫の方がきます」
リヴの声に、ユーシアの思考が現実に引き戻される。
十字線で嘘吐きな猫――ライア・キャットを追いかければ、幻影の少女がライアを守るように移動する。雪の女王との取っ組み合いで立ち位置を入れ替えられ、崩れた壁際に追い詰められるライアは、こちらの射線に気づいていない。
死を予感すれば、与えられる死を偽装できる――それがチェシャ猫の【OD】となった彼女の能力だ。
ならば、その与えられる死を知られなければいい。
「今です」
リヴの言葉を信じて、ユーシアは引き金を引いた。
タァン!! と極力抑えられた銃声が夜空に響き、弾丸が射出される。銃口から放たれた銃弾は真っ直ぐに飛んでいき、ライアを守る幻影の少女を射貫いて、見事に彼女の後頭部へ吸い込まれた。
ガクン、とライアは膝から頽れる。永遠に目が覚めないように、とユーシアの異能力を込めて射出した弾丸である。揺さぶろうがなにをしようが、彼女は永遠に夢の世界に囚われたままだ。
「雪の女王はどうしますか?」
「……やめておこう。チェシャ猫の方は仕留めたけど、雪の女王の方も死を予感したら氷で守られちゃうし」
それに、もう身体的に疲れたのだ。
ユーシアは引きずってきたライフルケースに純白の対物狙撃銃をしまい込むと、窓の外を一瞥した。
倒れたライアを不思議そうに眺めていた雪の女王が、ユーシアとリヴに気づく。こちらに攻撃してくるかと思いきや、彼女は優雅に手を振ってきた。
「攻撃してきませんでしたね」
「邪魔したから殺されるかと思ったんだけどね」
雪の女王の手には、ぶくぶくと泡を吹くバスローブ姿の太った男が襟首を引っ掴まれていた。おそらく、彼女の寵愛から逃げ出すことはほぼ不可能だろう。
☆
「疲れた」
「疲れましたね」
帰りの車の中で、ユーシアとリヴは揃ってぼやいた。
氷漬けにされた屋敷からいくらか金になりそうな調度品は回収したが、これを換金する手間が面倒臭い。そもそも本当に金になるのかすら分からないのだが、まあ金持ちの家にあったものだから売れることには売れるだろうが。
車の座席に背中を預けたユーシアは、深々とため息を吐いた。
「俺、リヴ君が男の子で本当に良かったと思ってるよ」
「僕も一緒にいるのがシア先輩でよかったです。面倒臭くないので」
「俺たちってどこまでも気が合うねぇ」
「これ以上ないぐらい最高の相棒ですよ」
あはは、と二人の乾いた笑い声が車内に響く。
「……ネアちゃんも精神退行しててよかったね」
「本当ですよ。あれぐらいの年頃が一番面倒じゃないですか。昼ドラごっこでキャッキャしてくれる方がよほど扱いやすいです」
「扱いやすいって言っちゃった」
「扱いやすさで言ったら銀髪メイドの方もどっこいですけど」
「あっちはあっちで純粋だからね」
二人の脳裏に、家で待つ少女たちの顔が思い浮かぶ。
体だけは成熟しているネアは、精神年齢が五歳児まで後退している子供なので問題なし。スノウリリィはこの犯罪都市では珍しい常識人枠なので、やはりこちらも問題なし。あのようなキャットファイトが起こることは、今後一生ないだろう。
「いや本当、俺たちの周りにいるのがあの子たちでよかったよ」
「本当ですよ。変なことをすれば殺してました」
「スノウリリィちゃんは殺そうとしてたじゃんね」
「過去は振り返らない主義なので」
しれっとそんなことを言うリヴの横で、ユーシアはやれやれと肩を竦めるのだった。




