第5章【泥棒猫の気配】
屋敷がとにかく広すぎる。
高級そうな調度品の数々がそこかしこに置かれていて、ユーシアとリヴは調度品を叩き壊さないように細心の注意を払いながら屋敷の中を歩き回る。あのクソみたいな性格の家主なら、落として割った瞬間に弁償を言い渡しかねない。
携帯で写真をバシャバシャ撮りながら、ユーシアは言う。
「本当に趣味の悪い家だよねぇ。漫画とかでよく見る貴族の家みたい」
「そうですね。この壺、同じようなのさっき見ましたけど」
「同じ壺を二個も三個も買ってるのかな。金の無駄が好きだね」
全裸の女が布を巻きつけた状態で貝殻の上にポーズを取って立っている絵画を写真に収めながら、ユーシアは苦笑する。収集家は保存用と観賞用と布教用で同じものを買う傾向があると聞いたことがあるが、ザッツァ・クロイツェフも同じような人種なのか。
変な形をした壺の写真を撮り終えたリヴは、他に目新しいものはないかと周囲を見渡す。庭の風景も撮影を終えてしまったので、他に目新しいものと言えば部屋の中ぐらいだろうか。
「片っ端から部屋の中を撮影しますか?」
「いいねぇ。客間とかあればいいけど」
リヴの提案にユーシアは二つ返事で賛成して、豪邸の撮影会は続行される。
まずは近くにあった扉を乱暴な手つきで開けると、無人の部屋が広がっていた。使用人の部屋なのか不明だが、こんな趣味の悪い豪邸にしては随分と簡素で片付けられている。
「誰の部屋だろうね」
「休憩室かなにかですかね」
ユーシアとリヴは互いに顔を見合わせて、それから次の部屋へ移動する。
絢爛豪華な見た目の割には、各部屋は意外と簡素である。ベッドと簞笥と机ぐらいしか家具はなく、表に金をかけすぎて部屋にかける金はなかったのだろうか。
部屋の写真を撮るのも面倒になってきたユーシアとリヴは、誰かいないか探すことに目的を変更した。共に戦う傭兵である、装備ぐらいは見ておいて損はないだろう。
「シア先輩、ここの部屋は扉の作りが頑丈ですよ」
「あ、本当だね。ここの部屋にはなにかあるかなぁ」
「飲み物ぐらいは出して欲しいですよね」
「あんなおっさんが出すようなものを信用できないけれど」
リヴが見つけた扉は、他の扉と比べるといくらか立派に作られていた。試しに開けてみると、ソファ席が三個ほど並べられた談話室のような作りになっていて、ガラス製のローテーブルには紅茶のセットが放置されていた。
銀盆に載せられた陶器製のポットには、小さな札がかけられている。リヴはその小さな札を摘み上げて、表面に書かれている文字を声に出して読んだ。
「『Drink me』とありますね」
「……趣味の悪い札だね」
ユーシアは顔を顰める。
家族を殺したアリスの【OD】――それはユーシア・レゾナントールにとっての憎むべき敵だった。その名前を聞いただけで頭が狂いそうになるからか、リヴはあえてその名前を出そうとしなかった。
不思議の国のアリスでも、その液体は出てきたか。体が大きくなるのか小さくなるのか分からないが、これだけ分かりやすく置いてあるなら毒物が混入している可能性もある。
「……毒物の類は入っていないようですね」
リヴはポットを開けて中身を嗅ぐ。「普通の紅茶のようですが」という彼の判断に従って、ユーシアは側に置かれていた陶磁器のカップを手に取った。
「飲むんですか」
「喉が渇いているからね。あと、なんかムカつく」
アリスのように出してくるとは、ユーシアにとっては嫌がらせの他にない。
リヴの手からポットを奪い取ると、ユーシアは陶磁器製のカップに紅茶を注いだ。ふわりと花の香りが鼻孔をくすぐり、苛立ちも少しだけ和らいだ。
「あ、普通に美味しい」
熱い紅茶を一口だけ啜ると、確かに普通の紅茶だった。変な味は今のところ感じられない。
リヴは怪しんでいる様子だったが、ソファにどっかりと腰掛けて優雅に紅茶を楽しむユーシアを信じたようだ。彼も同じように陶磁器のカップを手に取ると、ポットから紅茶を注ぐ。
「本当ですね、普通に美味しい」
「お茶菓子でもあればいいのにね。気が利かないなぁ、あのおっさん」
「殺してきましょうか?」
「やめなよ。報酬がなくなっちゃうよ」
ソファに座って和やかに会話するユーシアとリヴだが、内容はとんでもなく物騒極まりない。やはり悪党を名乗るだけはある。
「とはいえ、本当に茶菓子がないのはいただけませんね。僕、少し探してきます」
「行ってらっしゃい。変な人がいても殺しちゃダメだよ」
「努力します」
リヴはカップをガラスのローテーブルに置くと、談話室の外に出て行った。誰かの首もついでに持ってこないか心配だったが、持ってきたところでユーシアの反応は薄いものだろう。
談話室に取り残されたユーシアは、カップの中で半分ぐらい残っている紅茶に【DOF】を落とす。白い錠剤が一粒だけ揺れる紅茶を口に含み、
「あの白兎っての、あんな大量に入れてたなぁ。味覚が壊れてるんじゃないのかなぁ」
大量の【DOF】を珈琲の中に放り込んで美味しそうに飲んでいた白兎の姿が脳裏によぎり、ユーシアは静かに柳眉を寄せた。こんな無味無臭の麻薬を角砂糖代わりにするとか考えられない所業である。
リヴの帰還を待つユーシアは、忍び寄ってきた眠気を覚ます為に紅茶のポットへ手を伸ばして、
「おかわり? あたしが注いであげようか?」
唐突に真横から白い腕が伸びてきて、紅茶の入ったポットを手に取った。驚くユーシアの持つカップに紅茶を追加して、
「あれ? どうしたの?」
いつのまに、ユーシアの隣に座っていたのだろうか。
色鮮やかな桃色の髪をした少女が、愛想のいい笑みを浮かべていた。
年齢は一〇代後半ぐらいだろうか。派手なシャツと太腿を大胆に晒したショートパンツという割と露出が高めな格好をしている。桃色の髪は風俗嬢よろしく派手に盛られていて、化粧も濃いめだ。元から顔立ちは可愛いだろうが、化粧と髪形のせいで台無しになっている雰囲気がある。
「おじさん、ダーリンを守りにきたんでしょ。だったらオモテナシしなきゃじゃない?」
カックンと首を傾げて、少女は同意を求めてくる。
対するユーシアは混乱していた。
リヴほどではないが、ユーシアも気配には敏感な方だ。狙撃手という職業上、死角から相手を狙うことは常套手段なので、相手の気配を探るのに長けなければならない。かつて革命阻止軍で『白い死神』と恐れられたユーシアは、それなりに他人の動きには敏感なはずだったのだが。
「どうしたの? 気分でも悪い?」
「……お嬢さん、どこから出てきたの」
「ん? 普通に扉から入ってきたよ。なんか黒いてるてる坊主みたいな人が出て行ったから、何かなーって思って」
少女は「えへへ」と照れ臭そうに笑ったが、ユーシアの警戒心は一層引き上げられた。
この少女、なかなかの手練れの予感だ。まさか同業者か。
「あたしライア。ライア・キャットだよ」
「……どーもね」
「おじさんの名前は?」
「お前さんみたいな信用できない女の子には名乗りたくないかな」
すり寄ってくる少女を手酷く振り、ユーシアは無視して紅茶を啜る。心の中で「リヴ君早く帰ってきて」とひたすら願った。
手酷く振られた少女は、めげずにユーシアにすり寄ってくる。シャツを押し上げる細やかな胸をユーシアの腕に押しつけ、子猫のようにじゃれてきた。
「ねえ、遊ぼうよ。ダーリン、怯えて部屋の外に出てこないからつまんなーい」
「じゃあダーリンのところに行っておいで。俺は知らないよ」
「やーだー、遊んでよおじさん。ねえ、好きなことしていいから」
「そういう言葉を年頃の女の子が使うんじゃありません」
「えー、これだけおっぱい押し付けてるのに反応しないとか……おじさん不能? まさかホモ?」
「どうなんだろうねぇ」
適当にはぐらかしていると、少女はユーシアの膝の上に乗ってきた。
つまらなさそうに唇を尖らせ、青い瞳には不機嫌さを滲ませている。濃いめの化粧をしているにもかかわらず、態度は子供のそれだ。
「やだ!! おじさんはあたしと遊ぶの!!」
「正直なところ、可愛くないから却下」
「なんでぇ!? あたし可愛いじゃん!!」
「自分で言っちゃう内容なの、それ?」
ジト目で睨みつけるユーシアに、遠回しにブスと言われた少女はシクシクと涙を流す真似を見せる。
正直なところ、さっさと退いてほしかった。彼女の扱いにも面倒になってきたので、ユーシアはこの少女を押し退けようとしたその時。
「この泥棒猫がァ!!」
怒号と共に黒いてるてる坊主が飛んできて、桃色の髪の少女に襲いかかる。
少女は寸前でてるてる坊主を回避すると、
「酷くない!? 暴力反対だし!!」
「こっちだってセクハラ案件はお断りですよ、このブス」
「今度はドストレートに言われたぁ!? もうやだ、なにこの二人ィ!!」
涙目で部屋から飛び出していく少女を見送って、ユーシアはようやく安堵の息を吐いた。あともう少しで食われていたかもしれない。
クッキーなどの焼き菓子が詰め合わさったバスケットを片手に戻ってきたリヴは、ぷりぷりと憤りながらバスケットをローテーブルに置く。
「なんなんですか、あの品性の欠片もない雌猫は。シア先輩、あんなのが好みなんですか?」
「どっちかって言ったら、俺は大人しい子が好みだよ。見た目はリヴ君を女の子っぽくした感じで、中身はスノウリリィちゃんみたいな」
「……それは僕に女装しろっていうお達しですか? いいですよ? やりますか?」
「冗談に聞こえないからやめてくれる?」
リヴが見つけてきてくれた焼き菓子に手を伸ばして、ユーシアは苦笑いする。
隣にいるのであれば、あんな訳の分からない少女よりも慣れ親しんだ青年の方が幾分か気が楽だった。




