第2章【仕事前の一悶着】
あの怪しげな男から受け取った資料を確認してみると、依頼人は中央区画にある金持ちの家らしい。
名前はザッツァ・クロイツェフ。テレビでもよく見かける巨大総合企業の社長であり、偉そうな印象がある。よくリヴが彼を見かけるたびに「殺してやりたくなりますね」と言っていた。
ユーシアは「相変わらず殺意が強いなぁ」などと苦笑したものだが、内心ではユーシアもあの偉そうな社長の眉間をブチ抜けないかなと思っていたところだ。これはちょうどいい機会なのだろうか。
「まさか、あんな性悪を護衛することになるなんて……」
「リヴ君、我慢だよ。俺もこっそり相手の背後を狙おうとしないから」
「臓器を抜こうにも脂肪が邪魔じゃないですか。ああいうタイプの人間は前に何人も殺していますので、今回も同じように殺してしまうかもしれませんね」
「困ったな。証拠隠滅する為の道具も持って行かなきゃいけないかなぁ」
なんというか、実に物騒な会話である。
どこか不機嫌そうなリヴを宥め、ユーシアは茶封筒に仕事の書類をしまった。護衛の任務は三日後から中央区画にある邸宅にて開始とあるので、まだ猶予はあるようだ。
「んー? りっちゃんとおにーちゃんはおしごとなの?」
「そうだよ、ネアちゃん」
スノウリリィ手製のホットケーキに夢中だったネアが二人の会話に反応して、食べかけのホットケーキから顔を上げた。口の周りが蜂蜜でベトベトになってしまっていて、スノウリリィが「ネアさん、お口の周りが汚れていますよ」と言って口の周りを濡れタオルで拭いてやる。
ネアの興味はユーシアとリヴの仕事の内容に移ったようで、椅子の上でガタガタと揺れて、
「ねあもいく!」
「ダメだよ」
「なんで!」
ネアはショックを受けたようで、ちょっと泣きそうになっていた。可哀想なことだが、遊びが通じるような場所ではないのだ。
それはリヴも同意見だったのか、うんうんと頷きながら「ネアちゃんはお留守番ですね」と言う。まさかリヴも敵に回ってしまうとは、とネアはさらに衝撃を受けたようだった。
「ネアちゃんがついてきちゃうと、ほら、スノウリリィちゃんが一人になっちゃうでしょ。ゲームルバークは危ないんだから、スノウリリィちゃんについててあげなきゃ」
「! そうだった!」
ネアは思い出したようにスノウリリィの腰に抱きつき、
「ねあがおまもりしたげるね、りりぃちゃん!」
「まあ、頼もしいですね。よろしくお願いします、騎士様」
スノウリリィがネアの頭を撫でてやると、彼女は猫のように瞳を細めて「うにゅぅー」と楽しそうに笑った。これで一安心だ。彼女は内臓を抜き取る技術は凄いけれど、わざわざ戦場に連れて行くほどではない。
ネアのお守りはスノウリリィに任せて、ユーシアとリヴは三日後の仕事に備えることにした。とはいえ、やるべきことはあの胡散臭い優男から貰ったこの資料を読み込むぐらいだ。
「なにを武器で持っていった方がいいですかね。邪魔にならないようにナイフの方がいいでしょうか?」
「中距離から狙えるように自動拳銃も何丁か持っておけばいいんじゃないかな? その方が俺も助かるし」
「今回は前衛と後衛で明確に分かれているみたいなので、シア先輩よろしくお願いしますね」
「それはもう、リヴ君は最優先で援護するよ」
正直なところ、ユーシアとリヴは互いが生きていれば他の連中がどうなろうと知ったことではないという悪党である。流れ弾に当たって眠ろうが、ナイフで切り裂かれようが一切責任は取らないつもりだ。
報酬の為に真面目な準備はするものの、真面目に仕事に取り組むとは最初から考えていないのである。
☆
「それじゃ、ネアちゃんとスノウリリィちゃん。俺たちは仕事に行ってくるね」
「いってらっしゃーい」
「気をつけてくださいね」
三日後、約束の時。
ユーシアとリヴは、朝から仕事に出かけた。ネアとスノウリリィに送り出して貰った二人は、どこかの誰かから強奪したままの高性能な車に乗り込む。今回はいつも通り、リヴが運転席でユーシアが助手席だ。
ライフルケースを後部座席に放り込むと、車は静かに発進する。後ろに流れていく建物の群れをぼんやりと眺めて、ユーシアは欠伸を漏らした。
「眠たかったら寝ていてもいいですよ」
「んーや、いいや。中央区画にちゃんと入れるか気になるし……」
「以前、中央区画に侵入した時は門番が寝ていましたしね。今回は昼間なので何かしらの審査はあるでしょうが、どうせ杜撰な審査しかしないでしょう」
「いざとなったら脅すかなぁ」
「そうですよ、脅しましょう」
この二人、容赦の欠片もない根っからの悪党である。さすが【OD】とでも言うべきか。
リヴの手慣れた運転にうつらうつらと船を漕ぐユーシアは、ふと後方から勢いよく近づいてくる後続車両の存在に気がついた。
このまま追突でもしてくるかと思いきや、後続車両は車線を変更してユーシアとリヴを乗せた車を追い越す。「急いでいただけかな」とユーシアは楽観視するが、
「チッ」
「リヴ君、舌打ちしてどうしたの」
「煽り運転って奴ですよ。急ブレーキかけたり、前を蛇行運転したりとうんざりです」
リヴは速度を落として前の車と距離を開けるが、前も合わせて急ブレーキをかけてきて追突しそうになる。ならば追い越そうかと車線を変更すると、無理やり前に割り込んでくる。
あからさまな嫌がらせに、殺意が誰よりも強いリヴはイライラしている様子だった。
「あー、殺してやりたい」
「そうだね。ウォーミングアップに殺しちゃおうか」
物騒なリヴの言葉を肯定して、ユーシアは「車を停めて」とリヴに言う。
リヴはユーシアの言葉に従うと、路肩に車を停めた。前を走っていた車も路肩に車を停めると、その運転手が車から降りてくる。助手席からも女が降りてくると、なにやら携帯電話で撮影をし始めた。
「オラァ!! 出てこいよコラァ!!」
窓ガラスをバンバンと叩きながら威嚇してくる運転手は、柄が悪いということが一目で分かった。顔中にピアスをつけて、なおかつ目は据わっている。薬物でもやっているのだろうか。
助手席からも降りてきた女も、化粧が濃くて下品な服装をしている。これまた下品に笑いながら、男の無謀をカメラに収めていた。
「降りてこい腰抜け!! オレは【OD】だぞ、お前らなんかすぐに殺せるからなァ!!」
「きゃははははは、たっくんかっこいい!!」
「「…………」」
ユーシアとリヴは白けた目で相手を見やった。
降りてこないことに痺れを切らしたらしい男が、ついにユーシアとリヴが乗る車を蹴飛ばし始める。そのあまりにも無謀と呼べる行動に、ユーシアとリヴは呆れるしかなかった。
「リヴ君、彼らはなんて言ってるのかな?」
「日本語ですね。僕と同じく、極東の出身なんでしょう。ゲームルバークにまでやってきて、煽り運転で犯罪ですか。小さいですね」
「しかも喧嘩を売った相手が間違ってるよね。惜しい人物を亡くしたよ、合掌合掌っと」
この場にネアとスノウリリィがいなくて、本当に良かったと思う。車を蹴飛ばすあの男の餌食になっていたかもしれないからだ。
やれやれとユーシアとリヴは肩を竦めると、
「僕は男の方を」
「じゃあ、俺は女の子かな。この前見た漫画でかっこいいシーンがあったから真似してみたいんだけど、いいかな?」
「思い切り実験台にすればいいと思いますよ」
リヴは透明な液体が内部で揺れる注射器を雨合羽の袖に隠すと、相手が望むように車から降りる。
命知らずな男は、車から降りたリヴが華奢で気弱にでも見えたのだろう、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて詰め寄ってくる。
「おうお前」
「アンタ【OD】なんですよね。さっさと異能力を発動しないと死にますよ」
は? と相手が首を傾げたのも束の間、リヴは自分の首筋に注射器の針をブッ刺すと、シリンダー内で揺れる液体を体内に注入する。
すると、リヴは【OD】の能力を発揮して、まるで幽霊のように姿を消した。「え?」と男は戸惑うように周囲を見渡すと、リヴは男の背後に現れる。
背後から男の首に腕を絡ませたリヴは、ゴキンと彼の首を一八〇度回した。首の骨を折られたことで、男は膝から崩れ落ちる。当然ながら生きてはいないだろう。
「え、うそ、やだなに!?」
「そんなに驚くことかなぁ。お前さんの彼氏って【OD】なんでしょ? だったらその異能力を使えば、少しは生きる確率は上がったのにね」
ユーシアもまた、後部座席に放り込んでいたライフルケースを引きずり出して、怯える少女と対峙する。
撮影する気力はないのか、彼女は携帯電話を取り落とした。ガシャンと耳障りな音が響く。
「いや、いや!! 誰か助けて!!」
「残念だけど、君のような子は助けて貰えないと思うよ。ほら、ここってゲームルバークだからさ」
ユーシアはライフルケースから純白の対物狙撃銃を取り出すと、銃身を掴む。それからバットよろしく振り抜いて、銃把を思い切り女の側頭部にぶつけた。
さすがにユーシアの腕力では死ななかった女は、殴られた側頭部を押さえて呻く。逃げようと匍匐前進で進み始めるが、
「もう一発」
ゴッ、と。
ユーシアは対物狙撃銃を振り下ろす。
今度は脳天に直撃して、女は倒れた。ピクリとも動かなくなったので、ユーシアはリヴに「撃っといて」と言う。
「やっぱりこのやり方はよくない。非常によくない」
「無理して格闘術なんかやらない方がいいですよ」
「そうするよ」
女の処理をリヴに任せて、ユーシアはさっさと車の中に戻るのだった。
【OD】であると嘘を吐かなければ、眠らせてやるだけで勘弁した。だが、本物の【OD】であるユーシアとリヴに嘘を吐いてしまったので、彼らは残念ながら殺された。
いや、そもそも嘘を吐かないでもリヴが殺していたかもしれない。ユーシアもおそらく、永遠に続く眠りをプレゼントしたことだろう。
「仕事前に面倒な奴らに絡まれちゃったなぁ」
ユーシアがそうぼやくと、車の外から銃声が一度だけ聞こえてきた。




