え?いらないならもらうよ?
短編『え?本当にいらないの?』のヒロイン視点です。
「いよいよ明日、ね……」
―― 深夜
王城の私室にて、向かい合うようにして跪く騎士のコーゼットとメイドのダイアの膝の上に座り、ワインをくゆらせながら、わたくしはそう呟く。
初めて見る人はよく驚くが、この体勢がわたくし達にとっての基本スタイルだ。
「姫様……」
「ブルゾア様……」
左右の忠実なる従者がどこか心配そうな声を漏らすのを聞いて、少し苦笑する。
「大丈夫よ……とっくに覚悟は出来ているわ」
明日は、先日やって来た早馬によって伝えられた、勇者一行が帰還する日だった。
しかし、わたくしにとって……いえ、わたくし達にとっては、勇者よりもむしろ、その勇者と共に帰還するはずの1人の女性の方が強い興味の対象だった。
なぜなら、その女性はわたくし達の想い人の婚約者だから。
彼女の帰還は、わたくし達の恋心の決定的な終わりを意味するから。
「もし、姫様が望まれるならば……私はっ!」
左側に跪くコーゼットのどこか苦しそうで、それでいて決死の覚悟をにじませた声にも、ゆっくりと首を振る。
「滅多なことを言うものではないわ。わたくしはレオさんの想い人を害してまで、この想いを遂げようとは思いません」
「……申し訳ありません。出過ぎたことを申し上げました」
「いいのよ……それに、折角レオさんに治して頂いた腕をそんな汚い仕事に使っては、レオさんに叱られてしまうわよ?」
「……っ、申し訳、ありませんっ!」
コーゼットは、一時期訓練中の事故で利き腕を使えなくなっていたことがあった。
いや、表向きは事故とされているが、あれは事故などではなかった。
年若い女性騎士でありながら、王族の側近という重役に就くコーゼットは、良くも悪くも目立つ存在だった。
そしてある日、彼女を妬んだ年配の男性騎士によって、事故に見せかけて利き腕を潰されたのだ。
しかし、コーゼットを本当に傷付けたのは、利き腕を潰されたという事実ではなく、その時の周囲の男性騎士達の反応だった。
彼らは多かれ少なかれ、コーゼットの負傷に対して暗い喜びを浮かべていたのだ。中にはあからさまに相手の騎士を庇い、飽くまで不幸な事故だと吹聴する者達までいた。
その結果、同じ騎士として彼らに一定の仲間意識を持っていたコーゼットは、その思いを粉々に打ち砕かれ、重度の男性不信になった。
そのコーゼットが心と体に負った傷を癒したのが、レオさんだった。
レオさんは、かつて奇病によって悍ましい見た目に成り下がり、周囲の人間を拒絶していたわたくしにそうしたように、「男の手なんて借りない!」と言い放つコーゼットに辛抱強く語り掛け、寄り添い、彼女を救ったのだ。
それ以来、彼女はレオさんに自分の全てを捧げることを望むようになった。
「本当に……よろしいのですか?」
そう苦しそうに語り掛けて来たのは、右側に跪くダイアだった。
彼女はわたくしの専属メイドであると同時に、幼少期からずっと共に過ごして来た姉妹のような存在だった。だからこそ、彼女の想いはよく分かる。
「逆に聞くわ、ダイア。あなたは本当にいいの?」
「……っ」
ダイアの目を真っ直ぐに見詰めながらそう尋ねれば、ダイアは恥じ入るように目を伏せた。
ダイアもまた、わたくしやコーゼットと同じように、レオさんのことを慕っているのだ。
かつて、奇病に侵されたわたくしは、最も身近な存在であったダイアでさえも拒絶してしまった。
あの時は、周囲の健全な人間全てが醜い自分を嘲笑っているかのように思えてしまって、自分でもどうしようもなかったのだ。
そうしてわたくしに拒絶され、すっかり侍女として、そしてわたくしの姉としての自信を失って落ち込んでいたダイアを救ったのが、レオさんだった。
レオさんはわたくしの治療をする傍ら、わたくしとダイアの仲を取り持ってくれたのだ。
「家族だからこそ出来ることがある」「あなたが姫を支えなくてどうするんですか」と、ダイアを時に励まし時に叱咤し、引っ込みがつかなくなってしまっていたわたくしにも、「ちゃんと謝れば大丈夫です。家族なのでしょう?」と、優しく励ましてくれた。
そうやって、壊れかけたわたくし達の絆を、以前よりも更に強く結び直してくれたのだ。
その時かけられた言葉は、わたくしの中にもはっきりと残っている。
そして、わたくしと同じようにダイアもまた、レオさんの優しさと真っ直ぐさに強く惹かれるようになったのだ。
「よくは……ありません。ですが、ブルゾア様を差し置いてまで、この想いを伝えるつもりもありません」
やがて顔を上げたダイアは、はっきりとした口調でそう宣言した。
しかし、その瞳の奥に隠しきれない痛みが宿っているのが、わたくしには分かってしまった。
「そう……」
分かっていて、それでもあえて何も言わず、わたくしは視線を逸らすと、窓から覗く満月に目を向けた。
結局いつも通り。
わたくし達は同じ人を想いながらも、決してその想いを口にすることはない。
何故なら、その想い人には心に決めた人がいて、それが揺らぐことはないということを知っているから。
でも、もし……
「そうね、もし……」
* * * * * * *
「はぁ、やる気でないわねぇ」
自室でお酒を呷りながら、そう独りごちる。
しかし、お酒の力を借りても、憂鬱な気分は全く晴れなかった。
何がそんなに憂鬱なのかと言えば、それは明日の式典で歌と踊りを披露しなければならないことだ。
別にそれ自体が嫌な訳ではない。
今までだって国を代表して自分の腕を披露したことは何度もあるし、マナーのなっていない嫌なお客さんを相手にしたことだってある。
だが、今回は流石に訳が違った。
「なんで……恋敵を歓迎しなくちゃならないのよ」
そう、明日の式典は、私の想い人であるレオさんの婚約者の歓迎式典でもあるのだ。
つまり、明日は私の初恋が無惨に散る日でもある訳で、その相手に対して心からの歌と踊りを披露出来るほど、私は大人になり切れていない。
「はぁ、今からでも辞退しようかしら」
そんな出来るはずもないことをぼやくくらいには、今の私は憂鬱だった。
私がレオさんに出会ったのは、今から2年前のことだ。
事故で下半身に麻痺を負い、もう二度と踊れないだろうと言われていた私を治療してくれたのが、彼だった。
彼は、“天女”なんて呼ばれ、持て囃されている私に対しても全く媚びることも気負うこともなく、普通に接してくれた。
治療中に素肌を見せることも多々あったのだが、彼は下卑た欲望を一切見せることも無く、淡々とした態度で治療に専念してくれた。
職業柄、普段から男性の欲望に満ちた視線を受けることが多い私には、そんな彼の態度がとても新鮮だった。
最初は薬師というのは職業柄そんなものなのかとも思ったのだが、他の薬師に掛かったことのある知人に聞くと、そんなこともないらしい。
なら、もしかして男色の気があるのかもなんて邪推をしてしまったが、しばらく彼に接している内に、そうではないと分かった。
彼の中に、女性は1人しかいないのだ。
その1人が彼にとって絶対で、他の女性をそういう対象として見ることは決してないのだと。自分の婚約者のことを嬉しそうに語る彼を見て、そうはっきりと悟った。
そして、その彼を見て、心が痛む自分がいることをはっきりと自覚した。
初めてだったのだ。こんなにも1人の女性を一途に想い続ける男性に会ったのは。
こんな男性がいるのかと思った。そして、どうしようもなく惹かれてしまった。
他に一途に想う人がいる相手を好きになるなんて我ながら馬鹿げているとは思うのだが、好きになってしまったものは仕方がない。
しかし、この想いを伝える勇気が私にはなかった。
レオさんをその想い人から奪える自信が全くなかったし、そもそも男性の口説き方が分からなかった。
私の歌と踊りの師である敬愛するビアンセ姐さんは、私の恋心を一瞬で見抜き、“どんな男でも1発でオトせる悩殺ダンス”とやらを伝授してくれたのだが…これが腰を激しく前後に振る過激なダンスで、とてもではないがレオさんの前でやれるとは思えない代物だった。
最近では、もういっそのこと駄目元で愛人にでも志願してやろうかと思っている。…いる、のだが……
「無理よねぇ……」
仕事であればいくらでも男性を魅了する妖艶な振る舞いが出来るが、日常生活でそれをやれと言われても出来る気がしなかった。
私はその仕事と派手な外見のせいで誤解されがちだが、これでも結構身持ちは固い方なのだ。そんな私が、愛人として男性を満足させることが出来るとは思えなかった。
「はぁ……」
結局いつも通り。
傷付くと分かっていて踏み出す勇気もなく、かと言って色々と振り切って愛人志願するような思い切りの良さもなく。今日も私は、胸の中の恋心を1人で持て余す。
やりきれない思いで窓の外を眺め、夜空に浮かぶ満月を見上げて…ふと思った。
でも、もし……
「そうね、もし……」
* * * * * * *
「っ! いったぁ……」
夜、ベッドに潜り込んでも余計なことばかり考えてしまってなかなか寝付けず、仕方なく起き出し、無心になるために薬の調合などしてみたのだが……
「はぁ……やっちゃった……」
やはり、どうにも集中出来ていないらしい。
うっかり棘のある薬草の茎を素手で掴んでしまい、指を怪我してしまった。
「こんなところ師匠に見られたら笑われちゃうな……」
そして、仕方ないなぁって笑いながら、優しく傷薬を塗ってくれるに違いない。
そう思うと、怪我したのにも関わらず、自然と口元に笑みが浮かんだ。
アタシが師匠に出会ったのは今から半年前。まだアタシが国家公認薬師に認定される前のことだった。
アタシは国家公認薬師を目指していたので、誰か先輩の国家公認薬師に師事することになったのだが、誰もその役目を引き受けてくれなかったのだ。
理由は簡単。アタシが曲がりなりにも貴族令嬢だったからだ。
アタシの実家は子爵家で、アタシはそこの三女だった。
子爵家と言っても辺境の山奥に領地を持つ貧乏貴族で、貴族というよりむしろ、いくつかの村を纏める村長のような感じだった。
そんな家だったので、貴族令嬢といえどのんびり遊んでいる訳にもいかず、上の姉達は早々にメイドとして、より上位の貴族家に奉公に出されてしまった。本来はアタシもそうなるはずだったのだが、幸いアタシには薬学の才能があったので、こうして王都に勉強に出ることを許可してもらえたのだ。
しかし、国家公認薬師の人達は、そう見てはくれなかった。
彼らはアタシの貴族令嬢という肩書を知ると、「貴族のお嬢様が道楽で薬師なんぞをやっている」と思い込んだのだ。
そして、「お嬢様の道楽には付き合えない」とか「貴族相手に無礼なことをしたらどんな目に合わされるか分からなくて怖い」とか言われ、片っ端から弟子入りを断られてしまったのだ。
貴族令嬢だというだけでアタシの覚悟を馬鹿にされている気がして、すっかり不貞腐れていた時、何と国王陛下直々に、師匠と引き合わされたのだ。
最初は、かの伝説の真珠薔薇の栽培に成功し、国家公認薬師筆頭になる日も近いと言われている相手と聞いて緊張していたのだが、いざ実際に会ってると、師匠は意外と普通の人だった。
もっと威厳のある気難しい人なのかと思いきや、アタシより少し年上くらいの人畜無害そうな男性が出て来て正直拍子抜けしたのを覚えている。
しかし、師匠は他の人と違って、アタシの出自を聞いても“普通”だった。
“普通”に弟子として指導をしてくれ、危ない失敗をした時は“普通”に叱ってくれた。そしていつしか、アタシは師匠のことを師として心から慕うようになった。
それだけではない。師匠の人となりをより深く知るにつれ、アタシは師匠のことを異性として慕うようになった。
しかし、この想いが届くことがないことはアタシがよく分かっている。
一度、アタシは師匠に聞いたことがある。
それは、「なぜ真珠薔薇を栽培しようと思ったのか?」という疑問だった。
その時アタシはてっきり、「どうしても治したい病気があったんだ」とか「より多くの病に苦しむ人を救うためだよ」とかいう答えが返ってくると思っていたのだが、師匠の答えは全く予想と違った。
「俺の幼馴染が…見てみたいって言ってたんだ」
師匠はそう言ったのだ。びっくりするくらい優しい表情で、少し照れ臭そうに。
それを聞いて、アタシは心の底から思った。「この人本当は物凄いバカなんじゃないか?」って。
一体誰が、子供の戯言を本気にしておとぎ話に出てくる伝説上の花を探しに行くというのか。
ましてやそれを栽培して増やそうなどと、誰が考えるだろうか。
そう呆れると同時に、それだけのことをするくらいに想う相手がいることに、胸を締め付けられる思いがした。
「はぁ……」
その人のことに思い至って、アタシは手を止めた。
明日、その人が師匠の元へ帰って来る。
そしてその時、アタシのこの恋は終わることになるのだ。
「……」
どうしようもなく込み上げて来る涙が零れないように、アタシは頭を上げた。
視線の先には、大きな満月。
その満月に、アタシは誓う。
「アタシは、師匠の弟子だから。弟子という形でなら、ずっと一緒にいれるから」
だから、それ以上は望まない。
側にいれるなら、それ以上の関係は……
あぁでも、もし……
「もし……」
「「「「「もし、その相手がレオさん(師匠/レオ殿/レオ様)に相応しくなかったら、その時は――――」」」」」
そして、夜が明ける。
5人の乙女の恋情と決意を宿して――――夜が、明ける。
そして、夜が明けて――――
「やったわ! やってくれたわあの女! さあ行くわよコーゼット! ダイア! 配置に付きなさい! フォーメーションBよ!!」
「ハッ!!」
「はい!!」
「来た! 私にも正妻を狙えるチャンスが来たわ! ……って、喜んじゃいけないのかしら? ううんでもチャンスよね。そうだわ! 今こそビアンセ姐さん直伝の悩殺ダンスを……~~~~~っ!!! やっぱり無理!!! あんなの出来ないわ!! そ、そうだわ、せめて腕に抱き着くくらいで……は、はしたないと思われないかしら? やっぱり手を繋ぐくらいの方が? あぁでもでも…………」
「あんのクソ女!! よりにもよって師匠を捨てるなんて!! よくやった!! だが死ね!!!」
戦いの火蓋が切って落とされ、乙女達による聖戦が始まるのだった。