第十三話「本当の兄貴にできること(二)」
「動画がよく撮れた、あとでアップしよう」
ゲラゲラ笑る声が遠ざかる。
這いずりながら僕はスマホのほうへ行く。
「お兄ちゃん……」
「糸月ちゃん」
スマホを握りしめてから大の字になる。
暗い天井をしばらく見つめて、目を閉じる。
「お兄ちゃんしっかりして!」
呼吸を整え「公園で」と言ってから糸月ちゃんとの通話を切った。
雨が屋根を叩く音がする。
このまま眠るわけにはいかない。震える手でスマホを操作する。
「もしもし熱彦?」
◆
未来治から着信が来た。やはり不良どもと一悶着あったらしい。とても心配だ。
「未来治いまどこにいる?」
かすれる声の未来治の言葉も聞き漏らさないよう集中する。
「すべて終わったんだな未来治」
「いま身体がとても痛いよ」
「すぐそっちへ行く。くたばるんじゃねえぞ」
だが未来治は、俺にこっちに来るなと言わんばかりに未来治は唸る。
「公園に……行ってくれ」
「公園、なんだって?」
そこに未来治がいるのか?
「すまないね、熱彦」
「俺の監督不行届だ」
「熱彦。残りは君にすべて任せた」
そう言ってから通話が切れた。
「おい、未来治!」
指示に従い俺は猛ダッシュで公園に辿り着いた。
横殴りの雨となり、ばたばたっと傘が叩かれる。
古傷が本格的に悲鳴を上げ始めた古傷の痛みを押し殺し、未来治を探す。
白い街灯が揺れていた。
公園内の遊歩道を歩く、そこで糸月を見つけた。道の傍らにあるベンチで、びしょ濡れになりながら俯いている。
「糸月」
歩み寄り糸月の頭上に傘を差し出す。
「お兄……ちゃん?」
「馬鹿野郎」
それを聞いて糸月はいつもの反骨心を見せる。
「何もわかってないお兄ちゃんにそんなこと言われる筋合いはないよ」
「何もわかってない俺だと思ってるのか? いつだってそうだ、俺はお前の尻拭いを最後の最後にやらされる。いまから未来治に言う詫びの文句だって考えなけりゃならねえ」
「……」
「走れるのが自慢なクセに、キャッチボールが不得意で」
「あたしの変化球をお兄ちゃんが受け取れないからでしょ」
「うるせえ、お前の投げる球をどう読めばいいかわからない俺の身にもなれ。いつだってそうだ。お前の変化球を読み取れず、それで他人に迷惑をかけて、どれだけ俺がお前の尻拭いをしてきたと思ってるんだ?」
怒鳴ったせいで古傷に走った痛みを押し殺す。
「いつも威張ってばかりお兄ちゃんは」
「兄貴が威張って何が悪い!」
「……」
「俺は、最高の兄貴でもない、優しい兄貴でもない。でもな、俺はお前よりも先に生まれてきた。お前が生まれたころからお前のことを知っている」
勢いで言ってしまったが、その言葉が記憶の扉をこじ開けた。
糸月への懐かしい気持ち。
「俺は、お前の兄貴なんだよ!」
「お兄ちゃん……」
俺が兄貴であることは妹よりも優越があることだ。身勝手だがそれは事実だ。三年も先を行っている時点で、糸月は俺の視座に立つことも、ましてその視座を超えることもできない。
人は自分自身を思い返すことが往々にしてある。
三年前の自分を見直して、俺はあのときバカだったなと思うことはよくあることだ。
糸月だって三年後にはいまの自分がバカだったと思うはず。
俺は常に三年後の糸月だ。その視点で糸月を見ることができる。
糸月のことを知っているし、糸月よりも三年長く生きている俺だ。
「無鉄砲で、生意気で、内弁慶で、そうやって自分を大きく見せて」
俺が知っている糸月を次々と晒していく。そのたびに糸月は肩を揺らす。
「お前は変なところで頑張りすぎなんだよ! 努力家でそのクセいつも変化球で、どこへ行くかわかったもんじゃねえ!」
「そんなことないよ」
「ある! いま俺の一言一言にびくついただろ。改めて気づいたんじゃないのか? お前が自分自身どんな人間なのかって。お前本当に自覚してたのか?」
性格を誤魔化して振る舞ってるつもりだったのだろう。そうだ、糸月自身も見えないように振る舞っていたのだ。俺が知っていることと、自分に気づかされたことで、糸月はショックを受けたろう。
「あたしは……」
糸月は顔を歪めて、雨に紛れて涙をぼろぼろと零す。
「悔しいか?」
「悔しいよ……」
「何年経っても、俺とお前を隔てる三年間なんて、埋め合わせられるわけがない。何度だって言ってやるよ、俺はお前の兄貴だ!」
兄貴としての威厳をいま俺は取り戻した気がする。
「お前の尻拭いをしてやるから、俺に精一杯威張らせろ」
威張るっていうのは、決して思い上がることではない。
「妹として生まれたんだ。いつまで経ってもお前は俺の妹だ」
「お兄ちゃん……」
「自信をなくしたら俺を見ろ。そんなもの俺にはないぜ。でも俺はこうやって生きてる。教えてやるよ、俺はお前の兄貴なんだ。そして俺が見えるお前自身を教えてやる」
威張れるっていうのは、教えられるってことだ。三年後の自分がいまの自分を教えてくれる強さがあることだ。
「三年の不足分を俺に威張らせろ」
渡した黒傘を持ちながらの俺を糸月は見つめる。
「おかえり、糸月」
濡れたシャツ越しに俺の胸に顔を埋める。
「ただいま……お兄ちゃん」
「帰ろう。家に」
見るに糸月はまだ納得してはいない。だけど、これからもっと教えていくんだ。俺は糸月の兄貴なのだから。