第十二話「優しいお兄ちゃんにできること(二)」
◆
夜が間近に迫る。糸月ちゃんに電話が来てすでに話を伺っていた。もうすぐ儀式を行なう……。
涙を浮かべる糸月ちゃんを説得し家に待機させ、待ち合わせのコンビニまで僕一人で向かった。
煌々と明かりの照るコンビニ前に、敏夫と女の子三人が待ち構える。
「糸月はどうした?」
「さぁ?」と素知らぬ顔で僕はこう告げた。
「僕は糸月ちゃんの代わりだ。僕が儀式を受ける」
「そうか。ふっふっふ……ん? その荷物はなんだ?」
僕は黒いリュックサックを背負っていた。
「万引きよりも面白おかしいことしようと思って」
しょこんでいたリュックサックを下ろし、右手で持つ。
「これからこのコンビニを爆破してあげようと思ってね」
「お前に爆発物を作る技量があったのか。面白そうだが嘘じゃないだろうな」
「ショータイムだ」
入店を告げるチャイムが鳴って僕は足を踏み入れてぐるっと眺めた。
幅が広い通路に目をつけた。アイスを冷凍させるボックスがあった。好都合とばかりに僕はあからさまに怪しい素振りでバッグの中身を取り出し、ボックスの上に積み上げる。
コンビニの店員さんの目にも怪しい光景に見えてるのは明らか。
設置し終えて、猛ダッシュでコンビニの自動ドアまで駆ける。出る直前に僕は腕を掴まれる。
「ちょっと待ちたまえ、君!」
「はい、なんでしょう?」
「こっち来たまえ!」
店長さんらしき男性が、アイスボックスのほうへと手を引っ張る。
「これはなんだね!」
ボックスに厚い漫画雑誌二冊、さらにその上、レモンスカッシュの缶ジュースが載っている。
「これ? 爆弾ですよ」
「な、なんだと!」
「せっかくだから、いま爆発させてますね?」
「よせ!」
レモンスカッシュのプルタブを開けて炭酸が勢いよく噴き出る。ジュースを浴びて、僕はずぶ濡れになった。床とアイスボックスの表面にジュースの水滴がかかった。
「ははは、レモンスカッシュ爆発したり!」
店長さんが強い憤りを眉に込めて僕を見る。
「君は、最近ちまたで悪ふざけの動画を投稿するバカッターとかいうやつかね?」
「ごめんなさい」
けたけた笑って店長さんに謝る。
「うちの商品の雑誌と飲料水をこんなことして困るんだよ、君のやってることは犯罪だよ」
「店長、これうちが扱ってる商品じゃないですよ?」
店員の一人が説明して店長がきょとんとする。
漫画雑誌二つは季節外れの一月号と二月号。レモンスカッシュはこのコンビニに置いていない。それは調査済みだった。
「とりあえず汚したところを掃除してもらうよ。警察に通報はしないけどもうバカな真似するんじゃないよ」
「はい」
法的にグレーゾーンだから逮捕されても文句は言えない、その覚悟でやった。真似されても僕は知らん。
店長さんが穏便に済ませてくれて幸いした。
モップで僕は後始末した。
そして二度とこんなことはしないよう誓約書を書かせられた上で、店を出た。
外の傍目から見ていた女の子と敏夫は唖然とした顔で見ていた。
コンビニから出て僕は四人の前でおちゃらけた顔を見せてやった。
「コンビニは爆発したよ」
敏夫の奴が「くくく」と笑いが零れる。
「はっはっはっはっは……」
たがが外れたように笑いが止まらない。
「……はっは、なんて笑うと思ったか? 馬鹿野郎つまんねえんだよ!」
怒号が降る、僕はそれでもへらへらする。
「つまらん。罰だこっちに来い!」
僕は腕を引っ張られた。
これからシリアスが始まる、でも序章がバカ笑いで始まれば何も怖くなんかない。そのほうが楽に移行できる。考えが幼稚だが、痛い注射の前に先生が笑い話をしてくれるのと同じ論理だ。
シリアスに直面して、やはり緊張感を隠し切れない。
割れ窓から月明かりが差し込む。リノリウムの床に金属片やら木くずやら、そして割れガラスが落ちていた。
見学人の女子が増え、敏夫も含めてグループ七人。
僕とグループ以外、ここには誰もいない。
昨年閉鎖した廃工場。ここならばいくら暴れても、誰も気づくまい。草伸び放題の土手に囲まれ、民家も離れた場所にある。助けなど呼べない。
掴んだ腕を乱暴に振りほどき、僕はその反動で僕は壁に背中を叩きつけられた。
「おい糸月に電話をかけろ」
ここに来て敏夫が放つ一言目。
「なにする気?」
「いいからかけろ俺の命令に逆らうな」
スマホを取り出し、糸月ちゃんからの返事を待つ。
「もしもしお兄ちゃん!」
糸月ちゃんから声がかかり敏夫がスマホを奪い取って耳元に当てる。
「糸月か。いいものを見せてやる」
スマホの設定をテレビ電話に変えて、僕とグループが対峙するところが見えるよう、傍らに置く。
「ショータイムだ、ゆっくり見物しろ糸月」
「やめて敏夫さん!」
「やめて欲しいだって? 冗談言うな。だったら俺のところに来い。場所は……」
「やめるな!」
「あ?」
「僕が罰を受ける。その代わり糸月ちゃんに金輪際会うな」
僕はお兄ちゃんだ。妹のことを思う優しいお兄ちゃん。
「僕は糸月ちゃんを守るんだ」
「お兄ちゃん……」
嗚咽がここまで響いてくる。
「糸月ちゃん」
糸月ちゃんがぐっと涙をこらえているのが、声の調子でわかる。
僕は敏夫をまっすぐに見据えた。もう笑ってなんかいられない。痛みを手に入れる覚悟は万端だ。
「お兄ちゃん、いま警察呼ぶから……」
「そんなことしたらこいつが半殺しでは済まなくなるぞ」
ドスの利いた声で敏夫が糸月ちゃんを脅す。
「そんな……」
「さぁ、いこうか。糸月の兄貴さん」
グループの女子たちがスマホやガラケーを取り出し始めた。
「こいつはヤバァ、パネェ、ゲラゲラ笑える、動画撮ろうぜみんな、明日にでも動画サイトにアップしようぜ」
汚い笑い声を上げながらスマホのファインダーを僕に向ける。
敏夫が笑っていやがる。
握り拳を作り、僕は頬に一発食らった。面の皮がねじれた気がした。首が回ってよろけたところを、右腕を掴まれ足払いをかける。バランスを崩したところを、背中に肘鉄を打たれる。
いきなり熨されるようにして倒れされた。
僕を睥睨しながら間合いを取って、僕は膝をバネにして立つ。
敏夫の目を見る。
「その目が気に入らないな」
肉薄し、眉間に握り拳をめり込ませる。
刹那、鳩尾と右胸をぶん殴り、左膝に靴底を載せて潰す。そして、回し蹴りをぶつけた。
済んでのところ僕は耐えきる。
だが攻撃の手を休めない。次々と身体に拳を何度も浴びせる。サンドバックにされていた。顔、頬、額、顎に。
僕は無抵抗で耐えるだけだ。
攻撃が止んだところで一歩下がる。
「その程度か敏夫、お前の攻撃は?」
「あぁ?」
「そんなもの……ほうが……よっぽど……」
「聞こえないぞ。もうちっとはっきり言え」
敏夫が甘ちゃんを見る目で僕を見る。
「そんなもの……僕の姉貴のゲンコツのほうがよっぽど痛い! お前の拳なんか痛いうちに入らないよ!」
「お前……」
僕は糸月ちゃんが見ているスマホ画面に向かって、ピースサインを送る。
「安心して糸月ちゃん、僕は全然痛くない」
「往生際が悪いな往生しろ!」
渾身の一撃を顎に食らって、僕は意識がぷつりと途切れる。
冷たい水を浴びせられたようで、意識を現実に戻される。
服が濡れてべったりと肌にはりつく。
水の入ったバケツがいくつか用意されていた。敷地外にある用水路から汲んできたのか。
「気絶なんかさせねえ」
「そうだね油断しちゃったよ僕。さぁもっと殴ってみろよ」
「お兄ちゃん!」
糸月ちゃんの悲痛の叫びが聞こえてくるが、僕はスマホに向かい笑顔を見せる。
敏夫が足を大きく振り上げる。
上から蹴りが降り、腹部に靴底が食い込む。酸っぱいものが逆流した後、足の甲を蹴り潰された。
下半身全体が痺れて倒れた直後、割れたガラスの破片で頬を切る。血がぽたっと落ちて床に付着した。
「すまない。お前のかわいい顔に傷をつけてしまったな。女の子には傷をつけない主義だったんだが。本当にすまないな」
「僕は女の子じゃない、男だ!」
「もう殴るのもつまらない。お前が殴ってこい」
「殴らない」
さすがの僕もペナルティか報復が怖かった。
きっと殴れば敏夫は再び糸月ちゃんに執拗なまでにつきまとうだろう。
「もう一度気絶させてやる」
長い足が蹴りを後頭部にヒットさせた。