第九話「敏夫」
話を戻す。家を飛び出し、日付を跨ぐ直前にファミレスを訪れた。
深夜営業でお店の明かりが煌々(こうこう)としている中、僕は待っていた。
夜の空気が涼しい。
スマホを眺め、メールの着信音がする。
だがそれはスパムメールだった。僕が肩をなで下ろす。
空き缶を蹴飛ばす音がした。スマホの明かりに照らされ、女性の顔が宙に浮かんでいた。
「浅木」
城谷さんだ。
「何を驚いてるの?」
「首だけが浮かんで見えたから、びっくりした」
「は?」
夜中に歩きスマホで、生首が現れたのかと思った。
「呼び出してごめん」
だが彼女がファミレスの照明に近づくにつれて、痛々しいその姿が露わになっていった。
「城谷さん……」
左頬が青紫色に腫れ、覚束ない歩きで右腕に松葉杖を持っていた。
「その格好は……」
「あぁ? お前のせいだ浅木」
胸ぐらのシャツを掴んで唸り声を上げて咳き込む城谷さん。それから一歩下がり手を退ける。
「城谷さん」
「あ?」
「とりあえず店に入る?」
「ああ」
ファミレスは閑散としていた。こういうものか、はじめてこの時間帯に入店した。
お冷やが来て、四人席に座って城谷さんと向かい合う。
「私になんの用?」
先日コンビニで一問着した数日後のこと。僕は昼時に彼女と会った。あのグループの詳細を知りたくて、深夜に会う約束をする。この時間帯になった理由は、彼女曰く大切な用事があるからと。昼にこんな痛々しい格好はしていなかった。何かあったらしい。
「君が所属しているグループについて教えてくれ。詳しく」
「グループならもう抜けた。というかよ私はその会へ正式に入る資格を剥奪された」
「そうなんだ」
「罰としてみんなにボコボコに殴られたわ」
それでこんな惨めな格好を。
罰を受けた原因は僕だ。
でもそれでいい。一時の後悔で済んだのだから。これがコンビニの店員に咎められ警察へと直行する運びともなれば一生の後悔だ。
「それであのグループを知ってどうしようと言うの?」
そんなの決まっている。
「糸月ちゃんを、妹を救いたいんだ!」
城谷さんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。
「浅木、あの子ってあんたの妹なの? あの子は小岬糸月と名乗ってたけど?」
「関係ないね糸月ちゃんは僕のかけがえのない妹だ」
「なんか複雑な事情がありそうだけど聞かないことにするわ」
辟易する城谷さん。
「教えて欲しい」
僕が頭を下げて城谷さんは口を開く。
「敏夫さんはもともと大学に首席で入った人だ。敏夫さんを尊敬する女子の取り巻きができたのがグループのはじまり。彼は空手サークルに入ってて成績も優秀で誰も口も出そうとはしなかった」
「それで?」
「敏夫さんは空手の試合で相手を叩きのめしていた。けど合法的な殴り合いでは飽き足らず、違法的に相手を殴り倒して除籍処分になった」
敏夫にとって、空手は人を殴り飛ばすストレス解消の手段でしかなかったわけだ。
「でもそれを気にせず敏夫さんを慕う女子たちは多かった」
それがいまのグループに通じているといったところか。
「そして二年経ったいまも敏夫さんを敬う女子は多い」
「愚かだ」
「でも敏夫さんは心の強い人間でないとこのグループに入るのを認めなかった。そこで提案してきたのが勇気を試すあの儀式」
城谷さんがやった、コンビニに入って万引きをするあの馬鹿げた行為。
「犯罪行為じゃないか」
そう言ってから、後ろのテーブルで客の一人が立ち上がるのに気づく。
「神聖な儀式を侮辱するな」
答えたのは城谷さんではなかった。
渋い男の声がして振り返る。
敏夫がいた。話を盗み聞きされたようだ。
「黙りこくるな。気にせず会話を続けろよ」
完全に身体が固まる。
「びびってるのか?」
見くびられたくなくて、一生懸命しかめっ面を作り彼を凝視する。
「糸月は俺についていく。間違いないぞ」
胸くそが悪くなる。
「お前も仲間に入れていいぜ強くなりたいだろ? かわいい顔だなお前モテるだろ?」
気力をしっかり保って僕は彼から視線を逸らさない。
「そんな顔するなよいくらお前が怒ってもお前がかわいいことに変わりはない。俺の女どももお前をかわいがってくれるぜ」
僕は敏夫をにらみつけた。
「糸月は返してやる。お前が代わりにこのグループに入るならな」
「断ると言ったら?」
「断る? どうしてだ? 明日俺は糸月を試す。成功すれば晴れてグループに。失敗すれば罰を与える」
敏夫の目が城谷さんに行く。城谷さんは怖がって身をすくめた。
「じゃあな」
敏夫がファミレスを出た。
不愉快な残滓だけが心に留まる。
煮えくりかえる怒りに打ち震えていた。だけど身体が動かなかった。
「あの馬鹿野郎」
それを聞いて城谷さんは、席から身を乗り出し、僕に平手打ちを食らわせた。
「何するんだ」
「敏夫さんの悪口を言うな」
そんなに彼に対して未練たらたらなのか。執着する意味がわからない。
「馬鹿野郎でないならなんなの?」
「浅木。面と向かって馬鹿野郎と言えないお前は、敏夫さんの前にある塵芥ほどの価値もない」
「なに……?」
「お前は弱虫だ。敏夫さんの悪口を言う資格はない」
相手が怪我してるとか、女の子だからとか、そんなことはどうでもよかった。彼女が平手打ちをしてきたということは、もうそれなりの覚悟を持っているはず。
僕は猛然と立ち上がり、応報を込めて彼女の頬を思い切り平手でぶん殴った。
彼女が背中をファミレスの床につけて唸り声をあげる。
閑散としながらも、数人は利用している店内がざわつく。
「弱虫なもんか!」
僕は何度も失敗してきた、その失敗をバネにしてさらに一〇〇回は失敗した。でも、一〇一回目は成功させてみせる。
「ありがと、勇気をくれて」
「うるさい、浅木未来治」
悔しさをバネに僕はこれから糸月ちゃんと対面する。
ファミレスを後にした。迷うことはない。僕はスマホを取り出した。