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夏風に流るる舟の行く先、何処か

作者: 八坂千路

―――吉原


華やかといえど、遊女にとってここは地獄に変わりなし。







「馬鹿じゃ………亜季ちゃんは」


私は立ちすくみ、そう呟いた。

足元には若い男女の遺体が転がっている。

その周囲には遺体見たさに人が群がり、皆口々に言っている。


「なんてことだい……首をくくっちまったのかい」

「確かこの妓、あとちょっとで突き出しだったんじゃねえか?」

「だからだろう。恋焦がれた相手だけに身も心も捧げたかったんだろうよ」

「女郎っていうのは絶望しながら生きていくもんだろう?それに耐えられる根性っていうもんがこの妓にはなかったんだろう」

「なるほどなぁ。そんで二人で心中とは……」


好き勝手言いやがって、虫唾が走る。

彼女………亜季ちゃんとは同じ見世で、振袖新造として登りつめるために苦労の日々を共にしてきた仲間だった。どっちが吉原一のお職になるか、競い合って磨きを掛け合って………私にとって敵でもあったけど大切な親友だった。そんな彼女のことを好き勝手言う野次馬に、いい加減我慢がならなくなった。


「何も分かっていないのに亜季ちゃんのこと面白半分に言わないでくんなんし!!」


群がる野次馬に振り返り、私は怒鳴った。

すると野次馬は気まずそうに口を噤み、辺りは静かになる。



そのときだった。


「ちょいと、通しておくれ!!あき!秋!!」


必死な声と共に野次馬を掻き分けて、中年の男性がやってきた。そしてその人は唖然と立ち尽くした。


「竹造さん……?」


意外な人物がやってきたことに思わずその人の名を呼んでしまう。

彼は髪結いで、よく自分たちの髪を結ってくれていた。

だけどそんな彼がどうしてこんなにも血相かいて、ここにやってきたのだろうか。


「………ぁ、あきっ」


横たわる遺体を見て、竹造さんは声を震わした。

そして恐る恐るといった様子で亜季ちゃんに近づいて………その場に膝をつき、蒼白くなった頬に震える手を伸ばす。


「………秋?なあうそだろ…?目を開けてくれよ………っ」


硬直しているだろう肌を竹造さんは撫でながら、亜季ちゃんに声をかけている。

だけど亜季ちゃんは目を覚ますことはもう二度とない。

竹造さんはそこでやっと死を実感したのだろう。


「………ぁあっ、―――あき……っ」


竹造さんは亜季ちゃんにすがりついて慟哭した。

その背は娘の死を悲しむ父親のように見えた。


「………なんでぇ、死んじまったんだよ秋。ばかだなぁ………親より先逝っちまうなんて」


耳を疑う。

まさか本当に竹造さんは亜季ちゃんの………?

混乱していると、後ろから肩を叩かれる。

誰かと思い、私は後ろを振り向く。


ふき姉さん!?」


姉女郎の蕗花魁がいた。

なぜここにいるのだろうと思っていると、蕗姉さんは、労わるように竹造さんに目を向けた。


「やっぱり亜季の父親は竹造さんだったんだね………」

「………え?姉さんはご存知だったのでありんすか?」

「竹造さんの……娘を想う親の気持ちは見てて分かっていたよ。優しい親父さんだからね」


そう言って、蕗姉さんは咽び泣く竹造さんを眺めていた。

私は何も言えず、蕗姉さんの隣に並んで二人を眺めることしかできなかった。



楼主おやかた様から聞いた話なんだけどね、私の母親はこの見世の売れっ妓で………知らないうちに私を身籠って産んだらしいの。気まぐれにもほどがあるわよね。だから私は父親の顔なんて一生見ることないんだろうな………』


亜季ちゃんは母親を既に亡くし、誰が父親なのか知らないと昔言っていたことを思い出した。

実の父親が近くにいたとも知らずに亜季ちゃんは死んでしまった………。

これでよかったのだろうか。

死に別れた親子のことなぞ自分には関係ないはずなのに―――もやもやした霧のようなものに心が覆われた。

それから亜季ちゃんは死んだ他の遊女と同じように、三ノ輪の浄閑寺に埋葬された。


そしてあっという間に一月半は経ち、私は今夜突き出しを迎える。

亜季ちゃんが生きていたならきっと一緒に豪華な仕掛けを着飾り、道中を張ることになっていただろう。

どっちが見物客をうっとりさせることができるか、競い合っていたのだろうか。


「………っ」


親友の死に目が眩みかけたそのとき、


「失礼するよ。夏帆かほちゃん」


部屋の外から声をかけられ、背後の襖が開かれる。振り返ると鬢盥びんだらいを手に持った竹造さんの姿があった。


「竹造さん……復帰されたのでありんすか?」


竹造さんの姿を見るのは一月半ぶりだった。実は休業していたのである。

体調を崩し寝込んでいたと聞いていたが、きっと実の娘である亜季ちゃんを亡くした哀しみに耐えられなかったのだろう。

だけど今日ここに顔を出すということは髪結いを復帰したということだろうか。


「いつまでも寝込んでちゃあ仕方ないからねぇ。姐さん方の髪を結うのが俺の仕事だからよ」


いつもと変わらない、気さくな笑顔を見せた。

あぁ…竹造さんらしい。


「聞いたよ?今夜は突き出しなんだって?」

「はい」

「それは腕が鳴るなぁ!この俺に任せておきな!さあさあ鏡の前に座っておくんな」


そう促され、私は鏡台の前に腰を下ろした。

そして竹造さんは手際よく鬢盥の中から道具を取り出していた。

私は畳へと視線を落とし口を開く。


「本当なら………亜季ちゃんも今夜が突き出しでありんした」


竹造さんは動かす手を止めた。

すぐには喋ろうとせず、少しの間沈黙が流れた。


「………そうだねぇ。二人揃って突き出ししたらきっと華やかで見応えのあるもんになっただろうなぁ。寂しいもんだなぁ」


竹造さんの言葉はあくまで髪結いとして亜季ちゃんと関わってきた今までを追想して語っている。

私が聞きたかった言葉はそうじゃない。


「そういうことではなくて………」


私は胸が痛くなったが、畳から視線を上げ彼の方に向き直った。


「ごめんなんし。悪気はありんせんでした………」


そう呟き、畳に額をつけて謝った。


「ちょ、どうして謝るんだい…っ?顔を上げなよ」

「亜季ちゃんが亡くなったあの日、竹造さんが切迫した様子で駆け付けて………そうしてご遺体にすがって泣いていたところを見てしまいんした………竹造さんは亜季ちゃんの本当の親父さんなのでござんしょう?」

「………こりゃあ参ったなあ」


竹造さんはそう呟いて、頭をくしゃくしゃと掻いた。

目を細めながらするその仕草は涙をこらえているように見えた。


「情けねえところ見さしちまったな。あれは俺の大切なひとりきりの娘だったもんで」

「なにも情けなくなんてありんせん。大切な人を失うことはとても辛いこと。それを情けないなんてわっちは思いせん………」

「そうかい………気を遣わせちまったな」

「いいえ……あの、そうだ……これを」


気まずい空気を変えるために、私は懐に手を入れる。そうして手拭いを取り出して、その中に包んでいたものを竹造さんに渡す。


「こいつは……」

「四十九日経ったからもう亜季ちゃんの私物は片付けられてしまってもうこれだけしか。形見にと思ってわっちが持ち出してしまいんした」

「そうかい……柊のやつこんな古いもん、秋に持たせていたのか」


竹造さんに渡したのは古びたかんざし。

それをしみじみといった様子で彼は見つめていた。


「……あの、柊とは?」

「あぁ、秋を産んだ母親のことさ。こいつぁ、俺がその柊に昔贈ったもんでさぁ、秋が持っているなんて驚いちまったよ」


まさか持ち出したかんざしが、思入れのある代物だとは知らなかったため私も驚いた。

それともう一つ、確信を持った。亜季ちゃんの母親っていうことは、その柊さんって………。


「柊さんってもしかしてこの見世の妓でありんしたか?」

「そうだよ。柊はこの見世の売れっ妓だったよ」

「やはり……。以前、亜季ちゃんが柊さんのことをこう言っておりんした。遊女の母親は………知らないうちに自分を身籠って気まぐれに産んだ、と。それは本当のことなのでありんすか?」

「そいつぁ、誰がそんな吹き込みしたんだっ」


竹造さんはめずらしく腹を立てた様子だった。


「亜季ちゃんは楼主おやかた様に話を伺ったと言っておりんしたが………」

「あの楼主おやじ、出まかせ言ったんだろう。柊は気が強い女で、気まぐれなんかで秋を産んじゃあいないよ。あいつは……病だったんだ。残り少ない命を見据えて俺に大切な家族を残してくれたんだ。俺が一人きりにならないようにって」

「そうだったのでありんすね……」


亜季ちゃん、気まぐれなんかじゃなかったよ。

ご両親は互いを想い合っていたからこそあなたは二人の子どもとして生まれてくることができたのよ。


「わっちが言うのもおこがましいとは思うのでありんすが、大切な娘さんだったのならなおさら………実の父親だと知らせてあげてもよかったのではないでありんしょうか………?」


あぁ、自分でもこんなこと言うなんて本当にお節介だと思う。

けどこのもやもやした気持ちのまま、突き出しを迎えるなんて―――もっと嫌。


「彼女がわっちに柊さんのことを話してくれたのは………きっと寂しくて、あなたに会いたかったのだと思いんす」

「………そうだよなぁ」


竹造さんはそう漏らして、手のひらを顔に当てた。


「言い訳になっちまうんだが、いつか言おうとしてたんだよ。俺がお前の親父だよって。だけどさ、言っちまうのが俺はぁ、怖かったんだよ。秋の人生がこうなっちまったのも、親として何もしてやれなかった俺のせいなんだよ。それをあの子は恨んでるんじゃないかって………っ」


竹造さんは手のひらで顔を隠していたが、堪え切れなくなったのか嗚咽を漏らした。


「ばかだよなぁ……、躊躇わずもっと早くに言ってやればよかったんだ………っ。俺がぐずぐずしてるから秋のやつは死んじまったんだ………なんでだよっ」


後悔して責任を感じてるんだ。

取り返しのつかないところまで来てしまったから。


「一緒に死んでいった想い人のことを恨めしいなんて思わねぇよ。秋が精一杯恋して、命を賭けて本気に好いた男なんだから。それをどうこういうつもりはねぇんだ。俺はなぁ、ただ自分が父親らしくしてやれなかったことに、悔しい気持ちでいっぱいなんだよ………っ」


これが竹造さんの本音なんだ。


「竹造さん……」


父親だと告げられなかったことが果たして父親らしくしてやれなかったことなのだろうか。

いや、違うはずだ。


『竹造さんの……娘を想う親の気持ちは見てて分かっていたよ。優しい親父さんだからね』


あの日、蕗姉さんは竹造さんを見てそう言った。

“娘を想う”。

そうだわ。想っているからこそ、竹造さんは亜季ちゃんの近くにいて………。


「告げられなかったとしても、でもやはり竹造さんは亜季ちゃんの親父さんなんだって今分かりんした」

「……え?」

「竹造さんは髪を結いながら、亜季ちゃんのことをずっと見守ってきんしたでしょう?子の成長を見守るのは親にしかできないこと。だから何も父親らしくしてやれなかったなんて言わないでくんなんし」


自信を持って真っ直ぐに伝える。


「夏帆ちゃん………」


竹造さんの顔が穏やかになった気がする。



「秋はいい友達もったなぁ」

「さて?友達なのでありんしょうかね。わっちらはお職を狙う敵同士でありんした」


わざとらしく戯けると、そこには笑みが溢れる。


「ははっ。それは最高にいい仲だなぁ!さあ、今夜は突き出しだろーよ?」


「そうでござんすえ。竹造さん、いつものよう、結っておくんなんし」


そう声をかけると竹造さんは白い歯を見せ笑ってくれる。


「吉原一のお職になるんだろう?そんじゃあ、気合い入れて結わないとな」


「ええ。よろしゅうたのみんすよ」


くよくよしてられない。私は前に進む。

今夜の突き出しは絶対成功させてみせる。

亜季ちゃん、私は絶対吉原一のお職になってみせるから。

鏡の前に座って、微笑んでみせる。






「おぉ!」

「今日は大見世 花咲屋の夏帆の突き出しだ!」

「凛とした姿がたまらんね~!!」


大門まで伸びる仲之町通りを歩けば、脇に群がる観衆は歓呼を上げた。

華やかな衣装に負けじと、ふわりと微笑んで見せれば皆がうっとりと私を見ている。

この道中は私が主役なんだと、思い知らせてくれる。

本来なら隣には亜季ちゃんがいて、張り合いながら道中していただろう。


私は今どんな顔をしてここに立てば良いのか………。

だけど敵がいなくなったことに清々しい顔をし、優越感に浸ったりする女郎などになってたまるものか。


亜季ちゃん………


目を閉じれば、親友の姿が瞼の裏に現れる。

誓うことはただ一つ。


私は………あなたのことは忘れない。あなたはいつまでも私の親友で、敵よ。






―――吉原

華やかといえど遊女にとってここは地獄に変わりなし。

だけど絶望しながら生きていく人生なんてつまらないじゃないの。

絶望の中に小さな幸せを見いだして、しぶとく生きていけばいつかきっと幸せが訪れるはずだと私は信じている。だから私は吉原ここで生きていく。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

この話の主人公・夏帆という名にちなんで夏風、舟が思い浮かび、【夏風に流るる舟の行く先、何処か】というタイトルをつけました。まだ遊女になりきれていない新造という立場の彼女が、朋輩の亜季の死をきっかけに突き出しへの思いや葛藤などを綴り、前を向いて歩いていくというお話でした。

また気力があったら違うお話も書いていきたいと思います。そのときはまた読んでみてください^^

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