一、辺境の勇者(9-10)
木々の間から差していた木漏れ陽は既になく、淡い藍の色が覗くのみ。
からからと愉しげに笑っていたジャスティンは、思い出したようにぽつりと呟いた。
「ところで、急がないと拙いんじゃなかったの?」
「いやお前が言うなよ」
突っ込みを入れるロウの隣で、目陰を差し砦を見据えるラグナ。
「そうだな、娘さんたちに何かあっても大変だ」
危惧する言葉。続いたものはブラックとラッドの首肯だった。
「ええ。……まぁ、そうそうおかしなマネはしないと思いますが」
「そうやろな。無傷で連れ帰ったっちゅーことは、商品にでもするつもりなんやろし」
――『商品』。
「ンだとっ!!?」
がっ!!
色を生し、ラッドに掴みかかろうとするロウ。
しかし、その手は虚空を掴んだ。
「わあ待て待て待たんかいッ!!俺にキレてもしゃあないやろ!」
「待ってくれ、ロウさん。彼の言うことも一理あるんだ。
俺は、そういう目に遭っている村を幾つも見てきた」
諌めようと近寄るラグナだったが、結果としてますます火に油を注いでしまう。
「『見てきた』だぁ?
てめぇは――それを見過ごしてきたのかッッ!?」
「ロウ!やめるんだ!!」
ラグナの胸倉を両手で掴み、激昂するロウ。
顔を覆い蒼ざめるジャスティンから遮るようにして、ブラックはつかつかと進み、青年たちを引き剥がす。
「しゃあないやろ。ひとりの人間がどうこう出来る話やない。
それに、兄さん独りで殴りこんだかて犬死にがオチや」
本来、この人数であの砦を攻め落とすのやって無茶な話や――と、
「そう……でしょうね」
僅か、俯く盲目の青年。しかし、直ぐさま顔を上げればこう続ける。
「それでも――僅かでも、可能性があるなら。
僕は、そこに賭けてみたい」
静寂は、ほんの一瞬。
それから。
ふたつみっつ、やや遅れてもうひとつ。それに頷くものがあった。
……判っていても、やるせないものがある。
しかし、だからこそ――彼等はここへ集った。それも紛れもない事実なのだ。
面白くなさそうに地面を蹴るロウをちらとだけ見遣り、ブラックは説明を再開する。
「先程も話しましたが、砦に入ってからは二手に分かれます」
「ああ、そうだったな」
先を促すように、ラグナの相槌が入る。
「ロウとジャスティンさんは、娘さんたちを助けに牢へ向かってください。
場所は……ロウ、判るかい?」
「あー……ガキだったし、入ったっても建造途中だったからなぁ……」
渋い顔で考え込むロウ。その後ろ、声は意外な場所から飛んだ。
「正面の門から一番奥の階段で地下に入ったら、牢屋に行けると思うで」
「!?」
驚きに満ちた顔が振り向く。光を点さないはずの瞳は、しかし相手をしっかりと見ているようで。
「このテの砦は、よう取引しとったさかいな」
「取引した、って……もし違ったらどうすんだよ?」
「いや。囚人に逃げられないよう出入口から遠い場所を使うのは、理に適っている」
思案顔で、ブラックは顎に手を宛てる。
「そうか!裏手が湖なら余計に逃げ場はないし、牢屋へと通じる道としては最適なのか」
「そういうことになりますね」
ぽむ、とラグナが手を打つ。設計者が聡明な人物とあれば、なおのこと合理的な建造をされているに違いないだろう。
「じゃあ、アタシたちは真っ直ぐ奥に進んでいけばいいの?」
「ええ。なるべく僕たちが敵の注意を引きつけますから、構わず牢へ直行してください」
任せて頂戴――と、朱を差した唇を上げるジャスティン。
「しくじんじゃねぇぞ!」
「こちらの台詞だよ。
敵の将を討ち、迎えに行くまで。――何とか持ち堪えてくれ」
「持ち堪えるってことは……籠城?」
「ええ。戦場に不慣れな娘さんたちを連れ歩くより、狭い通路に陣取って戦った方が――」
「地の利がない砦内で、拘束されているかもしれない人質と動き回れば、俺たちも彼女たちも危険に晒されることになる――うん、見事な作戦だ。
俺は君やラッドさんと一緒に、敵将を捜せばいいんだね?」
一歩進み出て、剣の柄に指をかけるラグナ。一同をぐるり見回し、こう最後に添えた。
「――剣聖ヴァユの加護が、我らにあるように」
聳え立つ城砦を、若者たちは挑むようにして睨め上げる。
刃物にも似た玲瓏な月灯りが――その所業を暴くよう、建物を照らし出していた。
さく、と。靴が古枝を踏む乾いた音を立てる。
宵闇の色彩へ染まっていく辺りを見上げ、ロウはその三白眼を細めた。
「今日は、月も細い。案外巧くいくかも知れねぇな」
楽観的な彼の様子に、馬を撫でながら釘を刺すラグナ。
「だが、油断は禁物だ。
ブラックさんがさっき言ったように、俺たちは斜走しながら砦に向かおう」
「ああ、わーってるよ」
ブラックは嘶く馬たちを落ち付かせるよう、優しく首に触れ、
ばさり。
その背に騎乗する。
「彼等は今頃、束の間の勝利に酔いしれているだろう」
「絶好のチャンスってやつだな」
に、と口の端に笑み。まるで立入禁止区域に忍び込む幼い悪戯小僧の面差しで、ロウは手綱を引いた。
先程より一段、重い蹄の音。
ふたつみっつと重なりゆくそれは、勇壮な行軍曲にも似て。
徐々に加速する旋律は、
「さあ。――行くとしよう」
ラグナの言葉を合図として、一斉に駆け抜けた。
――僻地ではじまりを告げた、ちいさな行軍曲。
それがやがて何を巻き込み、どんなオーケストラを奏で、何処まで響き渡ることになるのか。
未だ誰も、知るものはないけれど――