一、辺境の勇者(4)
一瞬たじろいだラグナ。
しかし何とか持ち直し、一度だけ重く頷いた。
「――間違いない、確かな情報だ」
「………………ッ!」
がら、ん。
先程まで忙しなく土を叩いていた棒が、するりと指を抜け、足元に転がる。
「国民にとって最大の希望、ウェルティクス様を失ったのはあまりに大きな痛手だ。だから……」
「失ったとか勝手に決めつけてんじゃねぇッッ!!!」
沈痛そうな言葉を遮ったのは、鼓膜を破る程の怒声。
気性は激しいが、ロウは気のいい青年である。ここまで敵意を剥き出しにするのは珍しく、ブラックは面食らってしまう。
「ロウ……」
「無理もないわね。ウェルティクス王子といえば、三王子の中で最も民からの信頼を集めていた方ですもの。
何不自由ない身分でありながら、常に貧しい民の暮らしに心を痛め、貧困と治安の改善に奔走しておられたそうよ」
「そう、なのか……」
白馬の王子様ってああいう方のことを言うのよね――とかなんとか、延々と続く向上は聞こえていない。ブラックは憤る青年を、心配そうに見遣るだけだった。
肩透かしを食らったのか、ジャスティンは物珍しそうな顔をする。
「随分、世の中のことに関心が薄いのねぇ。その若さで隠居でもしたの?」
「え?あ、いや……そういう訳じゃないんだが」
半分は冗談であったろう相手の疑問に、彼はどう答えたものか困惑して口ごもってしまう。
答えは別の場所から届いた。
「そいつは関心がねぇんじゃなくて、知らねぇのさ」
「『知らない』……?」
眉を寄せ、言葉を反芻するジャスティン。
「記憶喪失――って言えばいいか?
ついこの間まで何してたかも、自分の名前すら覚えてねぇんだとよ」
彼女は気の毒そうに声を潜め、まあと短く漏らす。視線を話題の中心へ向ければ、あはは、と困ったような笑みを浮かべていた。
短い溜息、それから。
ロウはラグナの方へ向き直り、品定めでもするようにこう問いかける。
「そんで?希望の王子不在の今、アンタはこんなとこうろついて、何してやがんだ?」
「俺は、横暴に苦しむ民達を解放したいと思っている。
その為に、共に戦ってくれる仲間を捜しながら各地を調査しているんだ」
「ふーん」
「それは、かなりの苦難が伴うだろう。自ら修羅の道を歩むというのかい?」
至極どうでもよさそうに相槌を打つロウ、深刻そうに顔を顰めるブラック。
「それは……覚悟している」
その回答に納得したのかどうか。記憶喪失の若者は、傍らの麗人にも問いを投げかけた。
「ジャスティンさん、でしたね。
……あなたも、それを承知で彼と行動を共にしていると?」
「まぁね。
アタシの場合、ちょっと面倒な事情があるの。利害が一致するなら同道したほうが効率的でしょう?」
彼女の言葉にそうかと返し、今度は心ここにあらずといった状態のロウに尋ねる青年。
「ロウ、君はどうするんだ?」
「…………、へ?なにが?」
ぽか、と開けた口。まともに話を聞いていなかったことが伺える。
「彼は大きな波に挑もうとしている。この村のみならず、沢山の人々の為に」
「だから?」
相手を牽制するようよう、ロウの三白眼が鈍い色を灯す。
「君は、彼と行動を共にするつもりはないのか?」
「はぁっ!?俺が?何でだよっ!」
抵抗に対し、ブラックの声は諭すようにあくまで穏やかだ。
「君は、さっき僕にこう訊いたね?戦いはエゴではないのかと」
「あ、ああ……
言ったけど、それが何だってんだよ?」
「彼と一緒に戦えば、きっとその答えが見えてくる。
僕はそう思うんだ」
「だ、ッ……からって何で俺がこいつらと!?
お前何の根拠があって、そんな――」
「さっき、君が言ったんじゃないか。僕のことは宛てにしているって」
にっこり。満足げに微笑んで。
「僕は、彼等と共に行こうと思う。ま、視力もなければ記憶もない僕が何かの役に立つか判らないけれど。
あとは、君がどうするか決める番だ」
――勿論、行動を制限するつもりはないよ。
擦れ違いざま、嫌味な程のんびりとした声がロウの耳に届く。
「……少し、考えさせてくれ」
そう答えるのが、彼には精一杯だった。
――自分の世話になった村以外はどうでもいい、とは思わない。
――武力に任せたあんな非道な暴行を、捨て置けるわけもない。
――国中であんな真似が横行しているなら、止めたいと思う。そんな連中、全員ぶちのめしてやりたいと思う。
しかし。
どこか釈然としないまま、ロウは三人の遣り取りを傍観していた。
「そういう訳で、もし良かったら僕も連れて行ってくれないかな?
目は見えないけれど、足手纏いにはならないつもりだ。
それに――ここでじっとしていても、失ったものを取り戻す手がかりは得られないからね」
「判った、そういうことなら……ええと、」
「ああ、僕は……ブラック。
ロウが仮に付けた名前ですけど、ないよりはマシでしょうから」
あまりに見たまんまの名前に、ラグナとジャスティンは顔を見合わせる。
「ふふ。よろしくね、ブラックちゃん」
ちゃん付けする彼女には気にするでもなく、宜しくと返すのだった。