五、漆黒の聖騎士(38)
――それから。
ラグナ一行は、数々の町や村を圧制や賊から救っていった。
自ら立ち上がった民衆を指揮する聖騎士――という、歴史としては稀に見るかたちで辺境を救う彼等の活躍は、やがて人々に噂されるようになっていた。
漆黒の聖騎士ラグナ=フレイシス率いる『解放軍』と。
彼等が解放したのは、町や村といった集落だけではなかっただろう。絶望に閉ざされていた市井の人々の生きる意思をも、解き放っていったに違いあるまい。
そうして。
人々は、解放軍のリーダーがいつからか別人であったことなど知る由もなく――その漆黒たる剣に希望を灯され、またその灯火を語り伝えた。
ホルダン村に無名の墓標が立ってから、三つの月が巡る頃。
ラグナ一行は、アクディア公国との国境にほど近い街へと辿り着いていた。
国と国とを繋ぐ街道に面している為、交易も盛んな地域。常ならば昼夜を問わず賑わっているはずのその場所には――何処か、ひんやりと静かな空気が漂っていた。
「んだぁ?前に来たときはもっと賑やかだったぞ……?」
訝しげに眉をひそめるロウ。
「ロウは、この街に来たことがあるのか?」
「ん。
…………あー……まぁ、ちっとな」
彼はラグナの問いかけに、何故か極まり悪そうに顔を逸らした。
忙しなく指先が掻く頬に仄か、朱の色彩が混じるのを目敏く見咎め、ジャスティンがにんまりと表情を緩める。
「んー?赤くなっちゃって、アヤシイわねぇ。
……なあに?も・し・か・し・て〜……ロウちゃんの、コレ?」
「ばっ、バカヤロ!
そ、そそ、んなんじゃねぇよッッッ!!」
「ムキになっちゃって〜。まっすますアヤシイわぁ。
なあに、ここで逢引でもしたの?お姉さんに聞・か・せ・て♪」
カトレアだって聞きたいわよねぇ?なんて、傍らの少女に目配せをして。
ジャスティンは水を得た魚のように表情を輝かせ、ロウを全力でからかっていた。
大慌てで反論するロウだったが、焼け石に水どころか火に油。カトレアは助け舟を出すでもなく愉しそうに二人の様子を眺め、ラグナに至っては微笑ましそうに遣り取りに耳を傾けていた。
そんな中。
「――南の村の……あの話は本当なのか?」
ひそひそと飛び交う街の噂を、ラグナの耳が拾った。彼は思わず振り向き、そっと聞き耳を立てる。
「ああ。不作だってのに税を倍にされたら払える訳がねぇ。
病気の村長の代わりに、その息子が領主さまんとこへ懇願しに行ったんだと」
「けど、領主さまに会いに行って、そのまま、そいつは帰ってこないんだろ?
逆鱗に触れたんじゃねぇのか」
「だろう、なぁ。なんでも、今日の正午には焼き討ちにされるってよ。
昨日から、偉い数の兵が集まってたぜ」
くわばらくわばら、と肩を竦める男たち。
ラグナは周囲を警戒しながらも、噂話の主へ近づいていった。
「……すまないが、その話もう少し詳しく教えて貰えないかな?」
「な、なんだ、あんた?」
「いいから。その焼き討ちに遭う村の名前と、場所も教えてくれ」
ずいと詰め寄る青年の気迫に圧され、市民たちは数歩、後退る。
「……む、村の名前はコーレン。
こ、ここから馬で、だいたい南に二刻くらいだ」
有難う、とひとつ答えるなり、ラグナはばっと南の方角を睨む。
怪訝そうにそんなラグナへと視線を注ぐロウ。
「どうしたんだよ?なに市民脅してんだ?」
「脅すって……ロウじゃあるまいし、そんなことしていないよ」
「おい、そりゃどーいう意味だよ?」
じと目で非難するロウの言葉は完全にスルーして、ラグナはぐるりと一同を見回す。
「馬を調達して、直ぐ出発しよう」
「…………、は?」
そして。ぽかんとするロウや何事かと顔を見合わせる仲間へ、先程の噂話を伝えるのだった。
「なんで、ンな大事なコト早く言わねぇんだよっ!」
「なんで……って、先にロウが絡んできたんじゃないか」
「だぁもううるせーーーーッッ!
とにかく急いで向かうぞ!馬屋はあっちだ!!」
びしっっっ!
街の一角を指差し駆け出すロウに、ラグナ、ジャスティン、そしてカトレアと続く。
そして。
「う、馬を……四頭、ですかい?」
「ああ、なるべく足の速い馬を頼む。急いでいるんだ」
やや息を切らし頭を下げるラグナに、小太りの店主は汗を拭いつつ奥へ引っ込んでいく。
「は、はぁ、ちょっと待って下さい……っ」
足音がどすどすと遠ざかっていく中、ロウは一頭の白馬と視線がかち合った。
サーガにでも登場しそうな、利発そうな白い馬へ。靴音が吸い寄せられていく。
「……この馬、」
「ああ、お客さん。すいませんが、その馬は預かりものでしてね売れないんですよ」
奥から慌てて顔を出し、申し訳なさそうに何度も頭を下げる店主。
「まぁ、立派な白馬ね。
……でもロウちゃんには似合わないと思うけど」
「うっせぇッッッ!!!」
からからと笑うジャスティンだったが、次の瞬間には思わず呆然と瞬きを繰り返した。
「おい、やめろって!……はは、くすぐってぇっ」
白馬は嬉しそうに、ロウに擦り寄ってきたのである。
「おや、珍しい。この馬が主人以外にそんなに懐くなんて。
利口な馬なんですがねぇ人見知りするんですよ」
「へぇ……。
じゃぁ、この馬の主とロウが、何処か似ているのかな?」
ずんぐりとした恰幅の店主は、ロウと白馬を交互に見遣る。
「あ、えーと、そのぉ……この馬の主人は、そりゃぁ高貴そうな方でしてねぇ。
金髪に藍い眼をした――恐らく身分の高い方なんでしょうけども、いやいや並の貴族さんとは一線を画しているというかね。あんなに上品な方は私も初めてお会いしましたとも」
「…………ロウとは、似ても似つかなかったわね」
「ほっとけ!」
どっ、と場を笑い声が支配する。そんな様子をきょろきょろと見比べながら、店主は白馬の主について語り始めた。
「その方、数ヶ月前にひょっこりいらっしゃってねぇ。
なんでも、お兄さんを探してるんだとか」
「な……に?
――っ、そいつは本当か!?」
ばっっっ!!!
ロウは店主の襟首を掴み、樽のような体躯をがくがくと揺らす。
「え、ええそうですけどおきゃくさ、あばばばばば」
「――、は、ははっ……やっぱり……
〜〜〜〜おっしゃッッッ!!!ざまあみやがれッ!」
店主を引っ掴んでいた手をぱっと解放し、途端ガッツポーズなどをしているロウ。
「ど、どうしたんですかい、この人……?」
「……さ、さぁ……?」
呆然とする一同の白い視線が集中しているのに気づいてか、ロウははっと我に還り、ぱたぱたと顔の前で両手を振る。
「わ、わり、なんでもねぇんだ!
さ、さて、さっさと行こうぜ!時間がねぇんだろ!?」
「……あ、ああ」
彼の不審な態度に疑問を抱きながらも、ラグナたちは馬を得て、街をあとにした。