五、漆黒の聖騎士(37)
――「貴方のような本物の英雄に出逢い、
俺の願いを託すことが……
できるかも、しれない、から、」
その言葉が、剣の墓標に佇むラグナの胸中で未だくすぶっていた。
「……英雄、か」
違う。
――僕は、そんな立派なモノじゃない。
――「貴様のような外道に生きる資格などないッッッ!!!」
あのとき。
「あのとき、僕は――怒りに任せてこの剣を振るっていた」
両親を謀殺し、仲間の命を奪った男――ポルゴ侯爵を前にして、青年の理性は、憤怒に暴れる感情を御することができなかった。
止めてくれる仲間を振り払い、その命を奪っていたとして……何ら不思議ではなかったのだ。
あの、
あの『声』さえ、聴こえなければ。
――「こんな真似――アイツが望むわきゃねぇだろっっ!?」
――『ラグナ。僕は』
(……あの『声』は――……?)
ラグナの思考は、後ろからの呼びかけに遮られる。
「どうした?浮かない顔して」
「……ロウ」
ロウはやや心配そうにラグナを見遣り、その隣まで歩いていく。その指が路傍の花を一輪、墓標へと添えた。
「お前、なんか様子がおかしいぜ?
やっと両親の仇をとれたんじゃねぇか。もちっと喜んだらどうだ?」
首を傾げ、彼は怪訝そうに幼馴染みの顔を仰ぐ。
「……わからないんだ」
「は?」
「僕は、あの夢を見たとき――
どうしても両親や妹の仇をとりたかった。あの侯爵が許せなかったんだ」
「……??まぁ、当たり前だろうな」
続きを促すよう相槌を打って、ロウは話が読めないというように眉を寄せる。
「……そして、やっと仇をとれた。
僕は、僕自身の手で、家族の無念を晴らせた。……けど」
「けど?」
俯くラグナ。
きゅ、と、下唇を噛み、掠れがちな声で、
「――笑ってくれないんだ」
それだけ、告げた。
「……記憶の中の母さんは――笑ってくれないんだ」
なんとはなしに開いていた肉刺だらけの掌、血が滲みそうな程にきつく握り締め。
盲目の青年は、遠くを眺め遣るようにして、虚を仰ぐ。
「……………」
ふい、と。ロウは無言のまま視線を逸らす。
見ていられなかったのかも、しれない。
「仇をとれば、あの喪失感も埋まると思った。でも、違った。
空いた穴を埋めたのは虚しさだけだ」
一歩、前へ歩を進めて。
ロウがそうしたように、素朴な花を一輪、墓標へ供える。
淡い紫色の花弁は、ほんのすこし血で色がくすんでいたけれど。
「……今なら。
あいつが――クリスが止めてくれた理由が、判る気がするよ」
「――てッ、……おい……?
ラグナお前ッ、記憶が戻ったのか!!?」
がし、とラグナの両肩に衝撃。
ロウが興奮気味に、ラグナの両肩を捕まえ、揺さぶっていた。
「え??」
「いや、だって……今、『クリス』ってよ!」
「…………あ。確かに、
でも……誰の名前なんだろう?」
ラグナの返事には、がっくりと肩を落とすロウ。
「戻ったワケじゃねぇのか……」
肩から手が離れ、空気が抜けたように言う親友に、思わずラグナはすまないと呟いた。
「あー……クリスってのは、お前の幼馴染み――いや、大事な家族で相棒だよ。
ま、それだけじゃねぇけど――」
「え?」
首をかしげる記憶喪失の青年に、からかうような視線を一度、送って。口端を笑みに象ったままで、ひょいと肩をすくめてみせる。
「それは俺の口から言うことじゃねぇな。
――いつか思い出すさ。きっと、な」
「ああ。
絶対――取り戻してみせるさ」
力強く頷き、黒いブーツの両足は大地を確りと踏みしめて。
まだ朧げな紫電の風へと想いを馳せるよう、若き騎士は――漆黒の剣を誓いの所作に掲げた。
「――んで?これからのコトなんだけどよ」
どうするんだ?と、いつもの軽い調子で問いかけるロウ。
ラグナはほんの僅か思案に唸るも、迷いなくこう続けた。
「僕は……記憶を取り戻す為に、旅を続けようと思う」
「そ、か」
「それに、仲間に託された思いを無下にはできない」
両腕を首の後ろで組み、のんびりと耳を傾けていたロウは、そこでぎょっとして振り向いた。
ラグナはそんな親友の様子に構わず、おもむろにしゃがみ込む。
「!?それじゃ――」
もう、一輪。
戯れるように、路傍に咲く花を摘み――名もなき英雄へ手向けて。
「今の僕に何ができるかは判らない。けれど……
やれるだけのことをやってみるつもりだ」
ロウはかし、と頭を掻きむしり、ふっと息を漏らす。
「コイツが護りたかったモノの為に、か?」
「いや。
――ひとりでも多くの人が、自分の道を切り開く力を得る為に」
「道を切り開く……力?」
ラグナはその爪先をロウの家へ向け、つかつかと歩き出した。ロウもそれに続き、歩き出す。
「今、人々は……抗えない力を前にして、受容することに慣れきっている」
「そんなの、今に始まったコトじゃねぇだろ」
「かもしれない。でも、
そうではないということを……僕は示したい」
振り向いて。右手を胸の前で握る。
要領を得ない、というように首を捻るロウ。ラグナは一度だけ首肯して、
「強大な力を、より強大な力で覆しても、それではただのパワーゲーム――力持つ者が変わっただけに過ぎない。
それでは何も変わらない。だから、」
だから。
「切り拓けない『理由』を奪ってしまえばいい。僕はそう考える」
――戦う術を持たないなら、戦う術を得ればいい。
そう、黒耀石の眼差しは言い添えた。
「それが……切り拓く力、か」
「他人の力で得たモノに、意味も価値もないからね」
そんなモノはいつか、また失うだけだから。
すい、と。ラグナは再び歩き出す。
声をかけようとしたロウは、その背中から届いた声に思わず眼を見開いた。
「それに。
『あの方』がここにいたら――きっと同じことを言うだろう?」
……え、と。
そう漏らすのが、精一杯で。
我に還り、遠ざかる背中を慌てて追いながら、ロウは胸がざわつくのを感じていた。
「本当に、……覚えてねぇんだ、よな?」
――クリスや、アイツのことを。
言葉は口の中だけに溶かし、彼は幾度かかぶりを振る。
そうして、視界に集落がはっきりと見え始めた頃合。ラグナはふと肩越しに振り向いた。
「ロウ、君はどうするんだ?」
「ん?俺??」
「君は、既に疑問の答えを見つけただろう?それに――
ここからは、僕の戦いだ」
喪失われたモノを取り戻す為の、漆黒の聖騎士ラグナ=フレイシスの。
「……は、ンだよ。そんなコトか」
ロウは呆れたように溜息ひとつ。それから当たり前の口調で、
「記憶も完全に戻ってねぇ奴をホイホイと見送れるかよ。 それに……
それに?と、ラグナは歩調を緩める。
「俺も見てみてぇんだ。
お前の言う『自分の道を切り拓く力』って奴を――さ」
「……ロウ」
かしゃん、と、槍の啼く音を頼もしく聴いて。
「それより、早く戻ろうぜ。うるさい連中がお待ちかねだ。 やれ服が汚れるだとか座る場所がないだとかよー」
きしし、と笑うロウに、笑みを移されラグナもまた微笑んで。
ひとつ肯きを返してから、今度はずんずん先を進んでいくロウの後ろ姿を追いかけた。