四、遺志(34)
ロウたちは、傷ついた仲間を宿屋へ運び込む。
応急処置を試みたものの、彼の傷が深すぎることは素人目にも明らかだった。
「……くそ、シスターか法術医はいねぇのかよっ!?」
苛立ち、自分の膝を叩くロウ。
そのとき、外から市民たちの話し声が聞こえた。
「おい、ラグナ様が重傷ってのは本当なのか?」
「ああ……英雄が来たから俺たちも暴動を起こしたってのに、その英雄がもし死んだりでもしたら」
「お、おいおい!
そんな事になったら、誰が俺たちを守ってくれるんだ……」
ばたんっっっ!!!
「扉の前でゴチャゴチャうっせぇッ!!
どっか消えやがれッッ!!!」
開け放たれた扉から、ロウの怒号が轟く。
一瞬のざわめき。それから、市民たちの姿は蜘蛛の子を散らすように消えていった。
入れ替わりにジャスティンとカトレアが部屋へ入ってくる。
「何かあったの?怒鳴り声が聞こえたけど」
「……なんでもねぇよ」
怪訝そうなジャスティンから、ロウはふいと顔を逸らす。
と。
「…………ぐ、……ッ……」
喉を空気が抜けるような、呻き声が漏れた。
「ラグナさん、しっかり――」
「――う。ちが、うんだ。
俺は……ラグナ=フレイシスじゃ、ない」
遮るように、紡がれた弱々しい独白。
それは何処か、教会で告解を求めるそれにも似て。
「……………………」
一同がラグナを凝視する中、ロウだけが椅子に腰を落としたまま、窓の方を睨んでいた。
「騙していて、すまない……だが、
……そうするしか、なかったん、だ」
掠れる、声。
彼は苦しそうな、しかしはっきりとした声で、自らのことを語りはじめた。
王都から目の届きにくい辺境に於いて、人々は山賊や悪徳領主に苦しめられ続けていた。
彼は、そんな暴力から力なき人々を守らんと叛乱の狼煙を上げる。
当初は漆黒の聖騎士を騙ったわけではなく、一介の戦士として。彼は行く先々、民衆に奮起を呼びかけた。
しかし。怯えきった民衆はそれに耳を貸さないどころか、領主や衛兵に彼を密告するという有様。
そんな日々が続く中、ある村で事態は急変した。
その風貌や剣の腕前から、村人のひとりが彼を、救国の英雄ラグナ=フレイシスと勘違いしたのである。
『漆黒の聖騎士・ラグナ=フレイシス』の威光が、彼の下に賛同者を集め――やがて、ひとつのちいさなレジスタンスを形成した。
民衆に芽生えた闘志を摘む訳にはいかず、彼は真実を隠したままその村を去る。そして、次に立ち寄った集落でも同じように、人々を扇動し――
そうして、ホルダンまで辿り着いたのだった。
「何故そんな危険なことを……!もし偽者だとバレたら、」
「いつバレても、構わなかったんだ。
ただ、それまでに、ひとりでも……多くの仲間を、見つけることができれば――それで、よかった、んだ」
こほ、と、濁った堰が言葉尻に交じる。
「……………………」
そこには、確かな覚悟があった。
「俺が、英雄を騙る偽者として……殺されたとしても。
立ち上がった仲間の中には、俺より素晴らしい指導者がいるかもしれない。この理不尽な世界に、踏みにじられる人を、ひとりでも……減らせるかもしれない」
掠れた響きは、しかし何処までも穏やかだった。
彼はブラック――否、ラグナ=フレイシスの面差しを真っ直ぐに見据える。
「貴方のような本物の英雄に出逢い、俺の願いを託すことが……できるかも、しれない、から、」
焦点の定まらない瞳に浮かぶのは、安堵。
「――僕は、」
俯くラグナ。その後ろで、沈黙を保っていたロウが息を落とした。
「馬鹿。お前、勘違いしてるぜ」
「……ロウ、さん?」
「ホントの英雄っつーのはよ、騎士でも貴族でも、ましてや王族でもねぇ。
自分の出来るコトを必死で探して……テメェを犠牲にしてでも、誰かの為に奔走する、アンタみたいな奴のコトなんだろうよ」
ひょい、と。
ロウは名も知らぬ『英雄』の顔を覗き込む。
「なぁ。
――俺達の『英雄』の。本当の名前、教えてくれよ」
「……ありがとう、ロウさん。
俺、は――、…………」
ほんの微か動いた唇が紡いだ名を、その場の誰ひとりとして、聞き取ることは叶わなかった。
彼の愛剣が、立て掛けていた柱からするりと落ちる。
床を、一度だけ跳ね。そして――
ことり。
そのまま、
停止した。
国じゅうを巡り、確かな闘志の炎を分け与え続けて。
けして消えることのないヒカリを、人々の心に遺して。
そうして、
――名もなき『英雄』は、次なる地へと旅立っていった。