四、遺志(33)
――大広間。
軽やかな音楽が部屋を包み、豪奢な衣服に身を包んだふたりの男を娘たちが取り囲む。
卓には色とりどりの料理と、赤葡萄酒。まさに宴もたけなわといったところだった。
その一方、ひょろりと痩せた男がもうひとりへ耳打ちする。
「して、ポルゴ卿、何時になったら兵を動かして頂けるのだろうか?
先日のこともある、いつまでも領土を離れる訳には――」
「なぁに、判っておるよ。今、伯爵の領土に密偵を送って調べさせているところだ。
万一、パニッシャーの連中がまだ残っていた場合、こちらもそれなりの戦力を用意せねばなるまい?」
落ち着かない様子の痩せた男――レドフリック伯爵に、でっぷりとした恰幅のポルゴ侯爵は眉を寄せ答える。
「そ、それはそうですが……卿。その、」
なおも食い下がるレドフリック。ほろ酔い加減のところに水を指された具合となり、ポルゴは不機嫌そうに片眉を上げる。
「……レドフリック卿。ご心配は察するが、長旅でお疲れであろう。
今宵はよく休まれてはいかがか?これでは何のために宴の支度をしたか判らぬではないか」
「は、はぁ……卿がそう仰るなら」
浮かない顔で俯くレドフリックの杯に、ポルゴは赤葡萄酒をなみなみと注ぐ。
そのとき。
ぎぃ、と、扉のなく音が耳に届いた。
「……む?」
開かれた扉から部屋に飛び込んできたのは、麗しい容貌の芸人ふたり。
ひとりは、やや小柄な踊り娘の少女。すらり伸びた長い手足に、女性らしい豊満なプロポーションが印象的だ。
もうひとりは、長身の麗人。小ぶりの竪琴を持っていることから、恐らく楽師だろうと伺えた。タレ目に泣きぼくろがなんとも悩ましい。
「ほぉう、これはどちらも美しい。
レドフリック卿、なんだかんだ言いながらもしっかり手配しておるではないか」
「は?私は何も……
――ッッ!!!」
がたんっ!
踊り娘――カトレアの顔を見て、レドフリックは思わず立ち上がる。
「お前は、あのときの踊り娘……!?
……ッははは!自ら私の元へ戻ってきたか!!!」
「はァ?
馬ッ鹿じゃないの、このエロ爺」
カトレアは、両手を広げるレドフリックを冷淡に白眼視した。それから、
「――それに。残念ながらこいつらだけじゃねぇんだな、これが」
ふたりの後ろから扉を潜るロウ。その後ろには勿論、ラグナとブラックが控えている。
「な、……なんだ、貴様等は!?」
異常に気づいたのか、脂ぎった額にじっとり汗を浮かべるポルゴ。
「ふふ、通りすがりの旅芸人よ――なんてね。
レドフリック卿。アナタには、ウチの妹がお世話になったみたいね」
挑発的な視線を送るジャスティンを、レドフリックの湿った視線がひと舐めする。
「妹……?これはこれは、姉妹揃って上玉ではないか。
よし、男共は始末しろ!女は捕えて地下にでも連れてゆけ!
――宜しいですな、ポルゴ侯?」
「構わぬ。お零れには預かりたいものだがな」
ひひ、と下卑た笑いを浮かべる男たち。
「けっ!ンなセリフは、俺等を始末してから言いやがれってんだ!
それに片方はハズレ――痛でッ」
吠えるロウの足を、ジャスティンの靴――それもヒールが踏みつけた。
「あにすんだよッ!」
目に涙を浮かべ、ばっと振り向けば、ジャスティンはつんと顔を背けた。ハズレ呼ばわりが気に障ったようである。
ち、と一度だけ舌を打ち、ロウは槍を構え突進する。ブラック、ラグナがそれに続いた。
侯爵たちとの間に割って入った衛兵たちを牽制するよう、大振りな槍の横薙ぎが轟く。その怯んだ隙を二振りの剣が滑り込み、衛兵をひとりずつ、斬り捨てる。
間髪入れず、残った数名の衛兵をジャスティンの魔法が黙らせた。
「何をしている!かかれ、かかれぃっ!!」
一瞬の出来事に呆然としていたほかの衛兵も、レドフリックの言葉で我に還り、得物を構え闖入者へと襲いかかる。
しかし、ジャスティンの後方支援を受けた槍と剣の勢いは止むことなく、衛兵を容易く突き、叩き、斬り伏せ、包囲を打ち崩してゆく。
「何をやっているのだ、この役立たずどもがッ――
……、ん?」
苛立ち、ヒステリックに叫ぶポルゴ。
しかし不意に、ある一点を注視して固まった。
「――その、顔……漆黒の髪と瞳、そしてその剣…………ッ!
貴様、処刑されたのではなかったのか!!?」
衛兵のひとりが床へ沈む金属音に、金切り声が交じり――大広間に反響する。
「またしても邪魔をするというのか、ラグナ=フレイシスよ!!!」
忌々しげに、ぎっと睨めつけ、人差し指を向けた先。
……そこには、
盲目の青年――ブラックが剣を携えていた。
「ね、ねぇ……?
侯爵が指差してるの、ラグナじゃなくブラックちゃんじゃない?」
「…………――、ッ」
怪訝そうに眉を寄せるジャスティン。ぎ、と歯を噛み締めなにやら呟くロウ。そして。
「…………え?」
指差された当のブラックは、呆然と相手を仰ぎ見た。
……残るひとりはといえば、ただ、静謐を保つのみ。
ポルゴは堰を切ったよう、早口で捲し立てる。
「貴様は、顔だけでなく遣ること成すことが母親に似ておるわ!あの――忌々しいリフ=トラスフォードになッッ!!
漸く邪魔者を罠に嵌め、山賊共に片付けさせたというのに……次は貴様か!
大人しく処刑されておけばいいものを、親子揃って忌々しいわッッッ!!!」
――……『山賊に』、『片付けさせた』。
どくん。
「…………っ」
閉じられた記憶の向こう、鼓動がまた、大きく、揺れて。
かたん。
「…………テメェ……今、なんつった……
……罠に……嵌めて片付けさせた――だぁッ!!?」
ポルゴへと飛び出したのはロウだった。しかし衛兵の盾に、憤怒の槍は阻まれる。
「テメェが……テメェがリフをッ!!
俺の目標を奪いやがったカス野郎かッッッ!!!!」
なおも進もうとするが、衛兵たちの盾に押し戻される。
どっ、と。ロウの体躯は壁へ叩きつけられた。
「ふん。愚かな女だった。
私が父を暗殺したと嗅ぎつけ、既に騎士団を除隊している癖にしゃしゃり出おって――」
「……ふざ、けるな……そんな理由で――ッ」
どくん、どくん、
――俺ノ 両親ハ 死ンダ ト 言ウノカ
どくんどくんどくんどくんどくん
己の鼓動が、閉ざされた扉を激しくノックする。
青年に漸く追いすがった忘却の欠片が、なにかを、強く訴えている。
ぎし、と、グローブの軋む音が響いた。
「…………ッ」
そんな彼の様子を不安げに一瞥し。
打ち据えた背中の痛みに顔を顰めながらも、なんとか上半身を起こすロウ。
――「なぁ、アンタはすげぇ強いんだろ?親父にも勝ったんだろ!?
頼むよ!俺に、剣を教えてくれよ!!」
――「……ふふ。残念ながら、貴方に剣を教えることはできないわ」
――「なんでだよッ!アンタまで、親父と同じこと言うのか!?
俺には才能がねぇって!!!」
――「それは正しいけれど、間違っているわね」
黒髪の女性から紡がれた言葉を、少年は狐に摘まれたような顔で聞いて。
――「なん……だよ、それ?」
――「才能とは、人が生まれ落ちたとき、天が与え賜うた見えない宝箱のようなもの。
人は生きる過程で、その鍵を捜し続ける。私や、貴方のお父様がそうであったように」
『また説教か』。表情で物語る少年を咎めるでもなく、凛然と声は続く。
――「貴方に、戦う才能はあるわ。充分過ぎる程、ね」
――「だったら、……ッ」
――「その才能を引き出せる鍵が、『剣』ではないというだけの話。
武器には相性があります。あなたの宝箱を開けるのは、剣ではなくて――」
そこで、記憶の中の声は途切れた。
ロウの心が、現実の時間へ追いついたからだ。
(俺はアンタのお陰で、最高の相棒と巡り合えたんだ。
……アンタの、――)
ぎしっ。
槍を杖代わりに、ロウはよろめきながらも立ち上がる。
「〜〜テメェだけは、絶対……許さねぇッッ!!!」
「ふん、許さないからなんだというのだ。
平民風情がこの私にそんな口をきくのも、『漆黒の聖騎士』ラグナ=フレイシスの威光という奴か……」
ポルゴの丸太を思わせる腕が、懐へ伸びる。
「ならば――貴様も母親と同じように葬り去ってくれるわッッッ!!!!」
その手に収まっていたのは、短剣でも、吹き矢でもない、小型の武器。
――『銃』。
ノルン王国の一部でのみ製造されている、新型の砲武器だ。
何が起こったか理解できずにいる盲目の青年へと、銃口は向けられ――
そして、
――放たれる!!!
「危ないッッッッッ!!!!」
彼を異変に気づかせたのは、
横から届いた、――叫び声。
声とほぼ、同時。身体に衝撃を受け、身体は数メートル床を転がった。
――火薬の、煤けた臭い。
何者かに突き飛ばされ、庇われた、そう理解したのと。
『ラグナ――っっ!!!』
ジャスティンたちの悲鳴を聞いたのは。
やはり――ほぼ、同時だった。
「ッお、おい!?」
ロウの動揺する声が届く。
視界はなくとも、迷いなく衝撃のあった方角へ、駆ける。
自分を庇った青年を、抱えあげ、
そして。
「ラグナさん、しっかり……っ!」
「ぐ……がはッ」
音で、相手が血を吐いたのだと理解できた。
グローブ越しにじわり湿った――血の滲む、感覚。
「何を訳の判らんことを……
茶番は終わりだ、貴様等纏めて始末してくれるっ!」
銃を構え、叫ぶのは――ぎらぎらした装飾品を纏った丸太のような男。
ポルゴ侯爵。
「……茶番、だと――」
静かに、ただ静かに。
倒れた青年を床へと下ろし、彼は立ち上がる。
「貴様に、踏みにじられた者の痛みなど判るまい――」
無造作に抜き放たれた剣が、玲瓏な光を放つ。
「貴様のような外道に生きる資格などないッッッ!!!」
僅かに姿勢を低くした刹那。
黒い残像だけを残して一気に男へと近付き、誰ひとり間に入る暇を与えぬ儘――
どさ、り。
ポルゴの胴が上下に両断された。
「ひ、――ひぃッ!!」
「……貴様も……貴様も外道の仲間か……」
とん、とん、とん、とん。
抜き身の剣を片手に、残されたレドフリック伯爵に歩み寄る、黒耀石の双眸は虚ろに光を灯す。
気配と声だけを頼りに進んでいるにしては、いやに正確に。
「た、助けてくれッ頼む、助けてくれッッ!!」
裏返った声で早口に命乞いを繰り返すレドフリックとは対照的に――青年の声は這うように低く、冷たい。
「そうやって助けを求める民を、貴様等は何人殺してきた……?
貴様も、彼等と同じ苦しみを味わったらどうだ」
「ひぃぃぃッ!!」
伯爵の悲鳴。
振り上げられた剣。
「ちょっと待ってブラックちゃん!」
「もうやめなさいよ!こんなの……ただの虐殺じゃない!」
「ジャスティンさん、カトレアさん。
……止めないでください。こいつ等に生きている価値なんてないッ――!」
二人を振り払おうとした左腕は、しかしロウに掴まれる。
次には、
ごすっっっっ!!!!
その左頬に、ロウの拳が力一杯減り込んだ。
「もうやめろ、ラグナ!!
こんな真似――アイツが望むわきゃねぇだろっっ!?」
――『ラグナ。僕は』
「――、え?」
青年は知らず、振り返っていた。
振り向いた先には、窓がひとつ。
――そこに、
銀色のヒカリに包まれた哀しげな瞳が、こちらを見つめている――気がした。
「…………っ」
映るはずのない月を見据え、立ち竦む盲目の青年。
その視線の先を追って、ジャスティンが、カトレアが、続いてロウが、窓から覗く破月を仰いだ。
どうあれ青年が落ち着いたのを察し、ロウは掴んでいた手を離す。
「自分が何しようとしてたか、判ってんのか?
それこそ――このカス野郎共と一緒になっちまうじゃねぇか」
「…………、あ」
漸く、黒光りする剣は下ろされる。
そこへ、兵士がひとり駆けつけてきた。
「侯爵様、大変です!
市民たちが暴動を起こし屋敷の正面門が突破され……ぐはッ」
ロウの槍が兵士を黙らせる。ジャスティンは扉を肩越しに見て、それから再びロウへ視線を合わせた。
「市民が暴動、って……」
「俺等が動いたのがバレたのかもな。
それよか早く、こいつの手当をしてやりてぇ。運ぶのを手伝ってくれ!」
「いいけど……伯爵はどうするの?」
「はっ、完全に腰が抜けてんだ。逃げられる訳ねぇよ。
心配ならカトレアとお前がふん縛っとけ」
言って、銃弾に倒れた青年を運び出す。
さして間を置かず、市民たちが大広間へと押し寄せた。
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