四、遺志(32)
闇の色が空一面にひろがり、揺らめく破月が静かに街を見下ろす頃合。
ラグナたちは、裏口からそっと宿屋を抜け出した。
悪政による治安の悪化からだろう、日没後の街には人っ子一人見当たらない。人目を阻んで館を目指す上で、それは好都合だった。
不気味に並木がさわさわと揺れる中に、ポルゴ侯爵の館は聳え立っていた。
遠目に様子を伺えば、門番が槍を構えているのが見て取れた。その左右には――
グリフォンらしき紋が施された、立派な門柱。
「黒いグリフォンの、紋章――か。
では宿屋で話した通り、見張りの少ない裏門へ回り込もう」
先導するラグナ。声に従い、ロウ、ジャスティン、そしてカトレアが続いた。
「……おい、行くぜ?大丈夫か?」
「え?……あ、ああ。すまない、ロウ。
なんでも――ないんだ」
かぶりを振って、たどたどしく紡ぐ言葉。物言いたげなロウの背中を押し出すようにして、記憶喪失の青年は裏門へと急いだ。
何かが掴めるかもしれないという期待と、深く淀むわだかまりが、胸の奥で転がっていた。
裏手側に回ると、こちらの門――恐らくは通用口――には、二名の門番が立っている。
「さて。問題はこの後ですね……」
裏門には、門番が二名。空をふと仰ぎ、ラグナは四人を見回した。
「門番を黙らせるにしても、他の見張りに気付かれないようにしなくては」
「んー。要は門番を誘き寄せればいいの?」
「まぁな。人気のない路地の方に誘い出せりゃ、袋叩きに出来るしな。
でもそんな簡単に――って……おい??」
門番の様子を注視しながら頷くロウ。振り向けば、そこにいたはずのカトレアが消えていた。
ぎょっとして止めようとするが、時既に遅し。彼女はもう門番の前に佇んでいる。
「お、おい……!?」
カトレアは何やら門番たちと話をしているようだが、その内容までは伺えない。
門番は徐々に彼女との距離を詰めているように見える。やがてカトレアに手招かれるまま、門番の男たちは裏路地へと吸い寄せられていった。
「たしかに……裏路地へ誘い込んだ……わね。アタシたちも行きましょ」
「なっ!?カトレアさん、いったいどんな話術を……!?」
慄きながらジャスティンに続くブラック。そんな彼の態度に、ロウとラグナは何故かふいと顔を逸らした。
「……い、行くぜ」
「え?あ、ああ……??」
――それから、数分後。
門番たちは哀れ、柱に縛りつけられていた。
「はい、いっちょあがりー♪」
肩口がおち、胸元まで露にしたカトレアが、両手をぱんぱんとはたく。
はだけたケープを留め直す美貌の少女を眺め、ロウは内心、門番たちに合掌した。
「…………なんつーか……男って、哀しい生き物だな……」
何も言えず視線を逸らすラグナ。
ブラックだけが何が起こったかを理解できず、不思議そうに佇んでいた。が、そのまま館の裏口へ歩を進める。
「このまま館に入りましょう。
侯爵たちは宴の真っ最中、館の中より外の警備を厳重にしているはずです」
「酒を運んでる商人の話じゃ、大広間は二階の中央らしいぜ」
顎をしゃくって上を示すロウ。ラグナはそれに応じ天井を睨んだ。
「直接そこに乗り込んで、増援を呼ばれる前に決着をつけよう。
長期戦に持ち込まれたら不利だ」
「オーケー。要はスピード勝負ってことね」
作戦を確認するラグナに、ジャスティンは片目を瞑って返事した。
館の中へ入ると――灯りこそ点っているものの、見回りをする兵などの姿は見受けられない。
「スピード、勝負……」
先程の台詞を反芻し、肩越しに後ろを振り向くロウ。ひとりの少女と視線がかち合い、がっくりと肩を落とした。
「なによ?」
「〜〜なんでお前までついてきてんだよッッ!!!」
少女――カトレアは、ロウの非難もどこ吹く風といった調子である。
「えー?いいじゃない別に。」
「よくねえだろッ!!」
「なによー。けちー」
噛み合わない二人の応酬に、はふと息をつくジャスティン。
「まあ、この娘のことだからどーやったってついてくるわよ。
独りにする方がもっと危険だわ……」
「じゃあどうするっつーんだよ!?」
ロウに噛み付こうとするカトレアを制し、ジャスティンは続けた。
「とにかく。……いざとなったら、この娘はアタシが守るわ。
――進みましょう。階段は……あれかしら?」
壁に張りつくように身を隠しながら、少しひらけた先。上り階段らしきものが見て取れた。
「間違いなさそうだな」
ラグナは周囲を警戒しながら、首を縦にする。
「見張りも見当たらねぇし、一気に行くか?」
「――いや。
扉の前に一人……たぶん、武装した兵がいる」
ひたり。
立ち止まってそう呟くブラックに、ジャスティンは首を傾げる。
「え?どうして判るの?」
「僅かに、金属がぶつかる音が聞こえました。
複数ではなかったので一人だと思います」
「――ッはは、伊達に目が見えなくなったわけじゃねぇな。どんな耳してやがんだ」
苦笑交じりに肩をすくめるロウ。
「……強行突破は得策じゃないな」
「ええ。また逃げられたら、今度こそ打つ手なしです」
思案するラグナとブラックを他所に、ジャスティンとカトレアは目を見合わせ、微笑む。
「こういうときは――、アタシたちの出番よね?」
「宴の席に呼ばれるなんてざらだし、見張りの気を引くくらいなら任せて頂戴。
……あたしを置いてこうとしたコト、好きなだけ後悔していいわよ?」
最後にロウへとひと睨みくれるカトレア。
「見た目によらず、とんだじゃじゃ馬だぜ……」
閉口するロウの傍らで、ラグナはちいさく息をおとし、こう告げた。
「判りました。よろしくお願いします」
その言葉に満足したようで、旅芸人の二人は階上へ急ぐ。そして、見張り兵のもとへ堂々と姿を現した。
「なんだ、お前たちは?」
「なんだ、って……いやぁねぇ。見ての通り、侯爵様に呼ばれた踊り娘よ」
兵たちへ流し目を送りながら、にっこりと唇に笑みをともすカトレア。
「なに?そんな話は聞いていないぞ」
「それなら、侯爵様に確認した方がいいんじゃなくて?
勝手に追い返したら困るのはそっちでしょう」
ジャスティンの言葉に、やや不安になったのだろう。兵士はちらと扉を見遣り、
「な……ちょっと待っていろ。いま――」
「いや、その必要はねぇぜ」
――ごすっっっ!!!!
「がッ!なん、……ッ」
ジャスティンの後ろに潜んでいたロウが、兵士の鳩尾へ拳を繰り出す。
仰け反り、逃れようと後ろに下がる兵士。その後頭部に、ラグナの手刀がすとんと入った。
どさり、沈んだ兵士の首根っこを捕まえるロウ。そのまま縛り上げ、隅へと転がす。
そして、
一同は――大広間へ続く扉を潜り抜けた。